中殿にはコトの真相が何もかもわかった。
益母草なら、においだけでも分かる。
自分も十数年飲み続けてきたのだ。
なぜ飲み続けたのか…?!
その理由は元嬪と同じだった。1日も早く、懐妊したかったのである。
死産をする前日まで益母草を飲んでいたということは、元嬪の懐妊が事実無根である何よりの証拠だ。
あれほどの下血なら、20日先でも脈にもあらわれる。元嬪の脈を調べれば、簡単にわかることだった。
息も切れるほどの速足で、グギョンは大殿の階段をのぼりきった。
元嬪からすべてが中殿にバレたと聞かされたばかりだった。
おそらく中殿は、王様に知らせに行くつもりだろう。
解決策が浮かんだわけではないが、とにかく中殿よりも早く、王様に謁見したくて気ばかり焦った。
大殿の前へ到着したグギョンを待っていたのは、ナム尚洗だった。
「中殿様が王様に謁見中です」
どうやら一歩、遅かった。体から魂が抜け出るような不安がグギョンを襲った。
ようやく王様の前に通されたとき、王様はねぎらいの笑みさえ浮かべていた。いつもと変わった様子はない。
グギョンは、おずおずと正座し、手をひざに揃えた。
「中殿様が私について尋ねられたそうですが…何をお尋ねになったのでしょう?」
「今日は妙な日だ。中殿はそなたがどんな臣下であるかと聞き、そなたは質問の内容を尋ねる。中殿が尋ねたのはこういうことだ。“私がそなたをどれほど信じているか”と」
サンはさも面白おかしそうな顔をした。
「…恐れながら、それに何と答えたのでしょうか…?」
「そなたの心は私の心であると言った。そなたは常に忠義を尽くし、私を支えてくれた。どうだ。納得いく答えになっているかな?」
サンは、グギョンが何か言いたそうな顔をしていると思って見返したが、グギョンはおどおどした暗い目つきで、うつむいただけだった。
サンの澄みきった笑顔は、グギョンから告白する勇気を奪い去った。
まもなく内医院の立ち入り調査が開始された。現場ではサン、ナム尚洗、ジェゴンが医員や医女から直接、話を聞いた。
「内医院の薬倉庫にある白朮が減っておりますね…」
薬倉庫から庭へ出てきたナムが、サンに報告した。
サンは渋い顔で考え込んだ。中殿にぬれぎぬを着せようとした御医の仕業だろう…
しかし肝心の御医は何者かに拉致され、行方をくらましたままだった。
内医院の中庭にパク・タロが飛び込み、恵慶宮の部屋の前で、元嬪が席藁待罪の騒ぎを起こしていると伝えたのは、ちょうどそのときだった。
サンが、がく然としたのも無理はない。
席藁待罪とは、座り込みをして許しを請う行為である。
元嬪は一体何をしたというのか…?
元嬪は敷石の広場に上がると、ござに座り込んで泣き叫んだ。
大変な勘違いをしてしまった。
中殿の薬が死産の原因ではない。
お腹の子にいいだろうと思い、懐妊後に益母草を飲んだ。
白い着物姿の哀れな元嬪の姿は、サンや重臣らの目にも止まった。
しかし恵慶宮の部屋の扉は、ぴしゃりと閉ざされたままだった。
御前会議のため、重臣らを引き連れて歩くのは、チャン・テウだった。
テウは屋根つきの警備門をくぐり、中庭を少し歩いたあと、さっそうと便殿の石段をのぼった。
重臣らも土をじりじりと踏み、後に続いた。
便殿の板の間では、重臣らは左右の朱色の柱を挟んで前後二列ずつ向かい合わせに座った。
部屋の中心は広く空けられ、奥の一段高い座にサンがついた。真正面の敷居を出たすぐのところに、速記係が2名ほど静かに筆を走らせていた。
チャン・テウの声が、ひときわ大きく目立った。彼はここぞとばかりに声を張りあげ、厳しい質問をサンに浴びせたのだ。
「このゆゆしき事態を放ってはおけません! 元嬪様はホン承旨をかばっておられますが、その関与は明らかです! かくも重大な事をホン承旨が知らぬわけがないっ!」
御医を拉致したのもホン承旨だ。即刻ホン承旨を捕えて尋問し、元嬪様を廃位させるべきだという意見が、他の重臣らの口からも出た。
それとは別に、ソクチュと数人の重臣らは、グギョンをかばうのに専念した。
「元嬪様は取り返しのつかない過ちを犯しました。しかしそれは不注意によるもの。階位を下げ、謹慎させるだけで十分ではないでしょうか!」
側室は巷の女とは違う。王様は世継ぎを失ったのだと、テウは息を荒げて、すぐ反論したが、ソクチュらの意見が変わることはなかった。
それらのやり取りはむしろ、グギョンが大妃様側の者たちと、より親しくしている事実を、サンにひしひしと感じさせた。
会議のあと、サンは弓の稽古場へ足を運んだ。
横に広がる松の枝から伸びた針葉が、弓を弾くサンの姿をちらちらと隠した。
10本ばかりの弓と木のさやに納まった刀が4本ほど、デスクの上に整然と並べられている。
サンのそばにいる内官が、かしこまったように矢を1本両手にのせて、サンに手渡した。
横には内官、尚宮、緑の服を着た女官らがずらりと控え、その背後に兵士らの手にした槍の先が、何本も顔をのぞかせた。
サンはバリケードのパネルを見つめた。パネルの中心にはイノシシの顔を模写した的を貼りつけてある。向こうの山は霞んでいた。
ねずみ色の空に矢を向けた。サンの心もまた、あの山や空と同じく沈みがちだった。
矢尻を弦の中央にのせ、弓をめいっぱい引くと、耳元でじりじりと木がきしんだ。
親指と人差し指を放した瞬間、矢は弾かれたように飛び、イノシシの左頬、15cmばかり外れたところへ刺さった。イノシシの鼻筋を貫いたのは、皮肉にも矢の影の方だった。
「雑念が多いせいか矢が集中しないな…」
サンは後ろで待っているテスに、少し照れくさそうに言い訳したが、その原因には心当たりがあった。
ホン・グギョンを疑う気持ちを振り払えなくなりそうで、自分でも怖かったのだ…
そうこうするうち夜になり、どしゃぶりの雨が降り始めた。
いまだ恵慶宮の部屋の前で座り込みを続ける元嬪を見かね、サンはとうとう恵慶宮へ足を運び、元嬪を部屋へ戻らせた。
次の日、サンは中殿とグギョンを大殿に呼んで告げた。
「私はそなたが挙兵でもしない限り、どんな過ちも許そうと心に決めた。そなたは私にそう決心させるほど大事な部下なのだ。この先もやるべきことが山のようにあるのに、そなたを信じずしてそれらが成し遂げられようか…」
恩を痛感したホン・グギョンが、王様のお忍び視察の準備のために、何より奔走したのは言うまでもない。
今まで何度となく命を狙われてきた王様だ。護送中に逃走したミン・ジュシクの一味に狙われる可能性も捨てきれなかった。
宿衛所の執務室にテスら信頼のおける者を呼ぶと、グギョンはテーブルいっぱいに地図を広げた。
周囲の山のふもとは明るい黄色に、頂上は緑で塗られた地図の真ん中に、線で簡単な道筋が示されてあった。
グギョンは、左から右へと、こまごまとした地名が書かれた線を指でなぞりながら、最終的に山のふもとの四角い枠を指した。
行き先はサムゲナル方面である。
武術に秀でた者を選び、万一のため兵を配置した。王様が民から話を聞くことを考え、信用のおける者を予め選ぶことにした。また町をたむろするゴロツキたちは、2、3日の間、町から追い払われ、姿を消した。
予想外だったのは、サンが当日、行き先を変えたことであった。
これではお忍びの意味がないと考えたようである。
同行者のナム尚宮とテスは、やむなくサンに従い、日が沈むのを待ってから、共に雲従街へ向かった。
現地では、酒場の一室で、3人の男と酒を酌み交わしたが、気軽にジョークにも応じるサンのことを、男らはかなり気にいったらしく、ぜひ白塔派に入るよう勧めて、サンに名前を尋ねてきた。
酒場を出てから、ナム尚宮がサンに言った。
「白塔派を自称する実学者たちのようです…」
サンは彼らのことをもっと詳しく調べるように命じ、次に重臣殺しの罪で先日処刑された貧しい男の実家へ寄った。
王様の特別な配慮により、税金の取り立ても、両班からの嫌がらせも無くなったと、母親は拝むように説明した。
一行は、やがて草ぶきの屋根の並ぶ狭い路地にさしかかった。
家の土台に積まれた石が黒光りし、足元から霧が立ちのぼっている。
路地の中ほどまで来たとき、木格子から長い銃口がのぞいたのに、サンらが気づくには辺りが暗すぎた。
銃口はサンの歩みに合わせて、少しずつ移動した。
2010/9/20
韓国ドラマイ・サンのあらすじサイト。1話~77話(最終回)までと各話ごと揃っています。ネタばれ率100%!小説風に書いているので、ドラマと二度楽しめます。
韓国ドラマイ・サンとは
時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...
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政治シーン 宮中の催事などを絵に記録する図画署が舞台ということで評判になった「イ・サン」ですが、チャングムみたいに物語の中心になっている感じはありません。 むしろ朝廷の闘争争いの方が印象に残りました。王様が主人公だけあって、トンイや馬医に比べて政治シーンが多いドラマです...
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王子は目の高さで紙を持ち、背筋をまっすぐにした。1枚読んだら卓上机に重ね、また次の1枚を手に取る。 上奏文や巻物、書物の山は小さな王子をうずめてしまいそうだ。 それでもまだ父上の質問に対する答えが見つからなくて、気分はどうもマンネリになってきた。 もう3日も食事をしていない...