2017年6月9日金曜日

イ・サン39話「亀の岩の秘密」

ホン・イナンは、まじまじと講堂の入口の貼り紙に目を近付けた。王様の体調が優れないため、政務報告会を明日の同じ辰の刻に延期すると書かれてある。
慌てて石段を駆け下り、重臣らと話し込むホン・イナンの姿を、ソクチュが、ため息でもつくように眺めている。彼もまた講堂まで来て、ムダ足を踏んだ1人だった。
 (王様が王世孫に猶予を与えたということなのだろうか…?)
そう考えるソクチュの隣では、フギョムが辺りを見回していた。
フギョムの目や耳に入ったのは立ち話をする重臣たち。講堂の屋根づたいに、とめどなく流れ落ちる雪解け水、小鳥のさえずりだった。
たわいもない風景に、どこか物足りなさを感じながら、フギョムはふと眉をひそめた。
グギョンやジェゴンは一体どこに行ったのか…?
重要なこの場に、なぜか王世孫側の人間だけが一人も来ていない。
とっさに思い浮かんだその理由は、フギョムの腹をじわりと冷やした。
講堂まで来る必要がない人間…それは前もって、政務報告会の延期を知っていた者だ。

報告会が延期になり、仕方なく家路に着いたソクチュを出迎えたのは、グギョンだった。
ソクチュは、降りたばかりのコシにまた乗り直し、グギョンと一緒にユーターンするはめになった。
コシが再び地面におろされたのは、王様が即位前に住んでいたという屋敷の前だった。
案内された部屋に入ってみると、王様と王世孫が座っていた。
ソクチュは、驚いて声にならなかった。
王様は、外出用の透けた黒帽子と模様のない着物を1枚着ている。着ぶくれたソクチュより、よほどシンプルな格好だった。極秘のお忍びであることは明らかで、そこにただ事ではない気配を、ソクチュはとても強く感じたのだ。むしろ人質にでもなったような気分といっていい。
事実、屋敷の周りは護衛部隊による厳重な警戒が張られていた。
「申してみよ。老論派の手に染まっているのはどの軍だ?」
王様は腹の底で何か知ったような目つきで、ソクチュにいきなりそう尋ねて、じっと返事を待った。
「王様、恐れながら理由をお聞きしても…? そのようなことをお尋ねになる理由をです」
ソクチュは珍しくガタガタと頬を震わせて、床に触れるほど頭を下げた。どんな緊急事態でも常に慎重な点だけが、ソクチュらしいところだった。
王様はゆっくりと、笑うように目を細めた。
「私は明日…王位を王世孫に譲る」

もし譲位が発表されたら、きっと朝廷で血の嵐が吹き荒れるだろう…
ソクチュはこの状況の中で、必死になって考えた。
根底から朝廷が覆されてしまうような事態だけは、何としてでも避けたい。
内部情報を漏らすのと引き換えに、その旨を申し出ると、王様がちらりとサンを見た。新しい王の判断に委ねようということらしい。
サンはソクチュを値踏みするような目つきで見つめ、口を開いた。
「いいだろう。約束しよう」
ソクチュは緊張のあまり、こもった声を吐き出した。
「すべてです! 禁衛営以外は、すべての軍が王世孫様に刃を向けるでしょう…!」
彼の必死の告白は、王様とサンに、予想以上の厳しい現実をまざまざと見せつけた。

ソクチュとの密会のあと、サンは屋敷の庭へ出て、グギョンへ新しい指示を出した。
総戒庁の総兵を広州以南に動かすこと。守禦庁、御営庁は都の百里外まで動かすこと。
禁軍の中にも老論派の私兵が潜んでいるので警戒すること。
宮殿の警護は護衛部隊と禁衛営に任せること。ただし禁衛軍もすべては信用せず、護衛官を配置することを決めた。
まもなく宮殿の兵士たちが、続々と都を離れはじめた。
刀と銃を手に、都を過ぎる数千もの兵士の姿は、水汲みに出かけた茶母の目にすら止まったほどだった。
軍の指導者の中には、戸惑いの色もあった。
禁軍の教官チャン・ドイクは、片時も都を離れるなという裏ルートからの密命を、ずっと気にかけていた。
水原までの移動中に、王命を放棄して軍と共に都へ引き返そうとしたところ、山中でテスたち護衛部隊の待ち伏せにあい、失敗に終わった。

譲位のことは、明日の辰の刻の発表まで伏せられた。
もしもこの計画が途中で洩れたら、間違いなく反乱が起きただろう。
それまでに万全の準備が整うように、事は進められたのだ。

話は少し前に戻る。政務報告会は延期されたものの、サンは辰の刻に、ちゃんと王様のいる大殿へ顔を出していた。
そのときに見せられたのが、例の王世子サドからの手紙だった。
その手紙の中で、サド王世子は謀反の罪を自ら認めていた。
それは、むしろサドが王になることを熱望する声がそうさせたと言った方が正しい。
サドが一旦、その計画に乗るフリをしてみせたのは、行き過ぎた期待を持つ臣下から、謀反の証拠を押収して、計画の中止を説得する狙いがあった。
サドには王様に刃を向ける気など、最初からなかったのだ。
しかし中殿とキム・ギジュは、これを絶好の機会と見た。無実の王世子が老論派によって謀反の張本人に仕立て上げられた経緯は、そういうことだった。

サドの手紙はこう締めくくられている。
「今となっては自分の愚かさが悔やまれ、胸が裂けそうです。でも分かってくださいますか? 親不孝者ですが、心ではいつも父上を思っていました。もし私を許していただけるなら、最後に切にお願いしたいことがあります。王世孫を守ってやってください。私の息子だというだけで、苦難の道を歩むことになる子です…」
手紙を読んで泣き晴らす王世孫に、王様は優しく声をかけた。
「よいな。そなたは生き延び、聖君になれ」
その言葉はサンの心に、父の声を蘇らせた。
かつて、米びつの中で父もサンに同じことを言った。

おじいさんと父上との3人で、仁王山に行った記憶は、サンの記憶の中では、もうおぼろげになっている。
幼いサンは、サドに手を引かれて、切り立った崖を歩いていた。
崖下の川底には見渡す限り、階段状の岩場が広がっている。その中央に亀そっくりの岩を見つけ、指をさしてはしゃぐ幼い子の姿に、大人2人も喜んだ。王様とサドが仲良く笑いあったのは、そのときが最後だった。
王世子サドの山水画は、あの光景を描いたものだった。
確か庚辰年6月のことだったと、サンは覚えている。

父を無実の罪に陥れたに者ついては検討がついていたものの、その罪を問うには証拠を手に入れる必要があった。
サンが王世子の元護衛隊長を務めたソ・インスとその部下たちに、はるばる会いに出かけたのは、彼らの証言から手がかりを探るためだった。
「老論派の連中がやり取りした書状を手にいれた王世子様は、山に向かわれました。お人払いをされたので、書状をどこに埋めたかまでは分かりませんが…。いや、待てよ…。確か仁王山だったはずです…」
集まった部下のうちの1人が、記憶を辿り、サンにこう証言した。

グギョンが全軍を動かして、兵を城外へ続々と移動させているのは、嫌でも中殿の目に入った。
不吉な兆しは他にもある。 朝から何度、大殿を訪ねても、王様に会うことができないでいた。
熱を出し、薬を飲んで休んでいるというのがその理由だった。

夜になって、ファワンとフギョムが突然、中殿を訪ねてきた。
中殿のそばには、あのキム・ギジュがいた。
中殿に恨まれていることを知りながら、ファワンが軽く笑みさえ浮かべていたのは、中殿が喉から手が出るほど欲しい情報を、自分たちが握っていると知っていたからだ。
「今、中殿様が知るべきことは一つ。王様のお考えではありませんか? 王様が禁衛営を除くすべての軍を城外に移された理由を、知らせに来たのですよ」
情報と引き換えに、キム・ギジュが復帰したトリックを問われた中殿は、すぐに機転を利かせた。
「教えてやろう。王様は認知症なのだ。もう随分になる…」

2010/5/2更新

韓国ドラマイ・サンとは

時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...