「そこで何をしている?」
お供を引き連れ、回廊を歩いてきたサンは、怪しんで声をかけた。
敷石の隅にしゃがんでいた男は、絵の具粉を入れたボウルと竹筒の筆入れを持って、慌てて立ち上がった。
「私は塗装工でして…。塗装のはがれた箇所を調べています」
ナム洗尚は、この怪しい男を内兵曹へ連れていくよう声をあげた。補修は資政殿と泰寧のみと聞いている。ここ崇政殿に入り込むはずはなかった。
男は、てっきりここが資政殿だと思ったのだと、オロオロ泣き声をあげたが無駄だった。
赤服兵2名に両脇から体を引っ張られ、残った右足は大きく敷石に引きずられた。
「放してやれ。そう騒ぎ立てるようなことでもあるまい」
サンが顔をしかめたまま、突き放すような口調で、兵士を止めた。この塗装工を警戒して何になるだろう? 男は右足がかなり不自由なのである。
「恐れ入ります。この御恩は忘れません…」
塗装工は深々とおじぎをして、感極まったように田舎くさい訛り声でお礼を言った。その声は、サンがお供を引き連れて、回廊を曲がるまでも続いた。
しかしサンの姿が完全に見えなくなると、男は急に目つきをかえ、すっと足を揃えて姿勢よく立った。
その身のこなしは、宮殿の天井に飛びつくほど軽かった。
客は漬け物をのせた膳の端に、小銭を置いて、次々と引きあげていった。
もう閉店の時間だった。フギョムの助手は、重いため息をつき、あきらめて酒場を後にすることにした。ここ数日、ずっと待っているのに、高額金で雇った刺客からの連絡はナシのつぶてだった。
客が全員去ったので、表を片付けようと膳を持ちあげた店主は、縁台に残された封書を見つけた。
ドーナツ型の血色の印が押してある。これこそ助手が言っていたものだ。
追ってきた店主から受け取った封書を、助手は読まずに懐へしまい、夜道を急いだ。
途中、尾行に気付き、そで口からそっと手下に封を渡して道を別れた。
書状を持った手下は、フギョムの屋敷を目指して民家の並ぶ道を抜けようとした。
こんな夜更けに、道端で木箱を抱えあげる若い男が霧の向こうにいる。
木箱はグラグラしながら宙を漂い、フギョムの手下の顔の前で止まった。
「こいつ。邪魔ではないか。そこをどけ!」
「エッヘッヘ。すみませんね」
テスは歯を見せて笑いながら、ゆっくりと地面に木箱をおろすと、次の瞬間、振り向きざまに、手下の腹と背中を蹴り上げた。
テスが入手した書状は、その夜のうちにグギョンによってサンのもとへ届けられた。
即位式で自分を暗殺しようとする計画の書かれた手紙を折り畳んだサンは、がっかりとし、また厳しい表情でグギョンに「命だけは助けてやろうと思ったのに残念だ。しかしもうそろそろ潮時だろう」と呟いた。
雅楽の複雑な音色が天に伸びた。広場の門から、黒い衣装に身を包んだサンと赤い衣装の嬪宮が入場した。冠のひさしから垂れた数珠玉のすだれが、サンの顔の前にちらちらとかかり、より王様らしい神秘的な姿にみせた。
嬪宮の髪は、冠と一体化したもので、すそのラインが大きく台形に広がっている。
縁どりは縄目に編み込まれ、高くとぐろを巻いた頭のあちこちに、乳白色の玉のついた銀の皿飾りが光った。金のハチマキをしめた額の中央には、4粒の乳白色の玉を散りばめた花の飾りがあった。
門の2階では、警備兵が一定の間隔で立ち、即位式の様子を監視していた。
赤と青の日よけパラソルが、レッドカーペットから御殿へと移動するサンと嬪宮の後を追った。続く内官、尚宮、女宮らの影が横縞模様となり、カーペットを挟んで広場の両側に整列した大臣らの影と、横一線につながった。
その一部始終を、図画署のメンバーが、地べたに紙を広げて模写していた。
今日はパク別提も自ら筆を握った。
御殿のひさしから石段の下まで日よけテントが斜めにかかり、その足元に車輪付きの大砲が並んでいる。パク別提は、砲兵の服とそばの大太鼓を赤く塗った。まもなく大砲は筒から煙を吐いて、祝砲を響かせた。
壇上には、王世孫と嬪宮と一緒に宮仕えたちもあがった。恵嬪や尚宮らは、ひまわりのように丸く編んだ特別の髪型をし、頭のてっぺんに、肩幅ほどもある∞のラインをした艶やかな黒色のクリップを刺した。
女官らは、鳥や動物をあしらった上品できらびやかな大ウチワを持ち、壇上の背に並んだ。
サンの母方の祖父であるホンバンが、王世孫のテーブルへ玉手箱を大事に置き、おごそかに宣言した。
「このたび朝廷は新たな王を迎えました。王様に玉印を捧げます!」
金の冠をつけた大臣らが、それぞれ手にした木べらをかかげ、お辞儀を繰り返し、流れるように声を合わせた。彼らの赤い服が、広場を埋め尽くしていた。
「新しい王様に、万歳、万歳、万歳…」
ソクチュ、グギョン、フギョム、ジェゴン、ホン・イナンも、それぞれの思いを胸に秘め、万歳三唱を繰り返した。
即位式の最中、テスら護衛部隊は、宮殿周辺の山中に潜伏していた刺客、ならびに敷地内に忍び込んだ怪しい役人らを捕まえた。
即位式が無事に終わったことで、グギョンはホッと息をついた。
サンの意向によって、晩までには特別警備体制も解除された。
大殿の警備は禁軍のみに任され、テスら護衛部隊は疲れを癒そうと、一人残らず自宅に戻っていった。
部署に残ったグギョンのもとへ、刺客を拷問にかけた部下が一次報告にやって来た。
「護衛官が捕えたのは王命の伝達など重要な任務に関わる人物です。家柄も確かで働きぶりもまじめだそうで、暗殺の実行犯だとはとても思えません。拷問を続けても供述は出てこないでしょう。なにより彼らは武器を何も持っていなかったのです」
22代国王、正祖となったサンは、初の声明を出した。
「私は、サド王世子の息子である。先代の王が王朝の系譜上、私を孝章王世子の養子にしたが、私の父はただ1人だ。また母である恵嬪ホン氏を恵慶宮に昇格させる」
この声明を聞いた大臣らには、これからどんどん事態が悪くなっていくのがわかった。
ホン・イナンは、とりあえず大事なものだけをまとめて、都から逃げ出そうとしたものの、もはやそれえも許されないのを知った。治安維持の名目で出動した禁軍が、屋敷前を取り囲み、大臣らを監視しはじめたのである。
また軟禁中のまま大妃となった中殿の胸には、失望の波が深く静かに打ち寄せた。
「そう…。確かにそうだ。あの者は亡き王世子の息子なのだ。なるほど。この日のために私を生かしておいたのか。自分が王位に就くのを見せるために…」
夜、帰宅したフギョムは、門の前に、たいまつを焚いた禁軍が並んでいるのを見て、薄笑いを浮かべた。
それでも屋敷の中に入ると、嘘のように静かだった。ここならひと目も気にせずにいられる。バルコニーから闇に潜んだ庭を見つめ、フギョムは思いつめたような暗い顔をした。
王世孫の暗殺計画は、からぶりに終わった。計画に賛同する重臣たちから資金を調達し、国庫の約半分、純金1万両をつぎこんでの計画だった。
書状を見られた以上、王世孫があのまま黙っておくはずはない。
いつかファワンが言った、そなたを王にすると言った言葉が、いつのまにか頭にこびりついて、無理な計画に走らせたのかもしれなかった。
純金1万両をはたいて雇った刺客が、即位式にとうとう現れなかったのは、今となっては、どうでも良ことだった。
城の裏山に隠れていた者が、何名か捕えられたと聞いている。あの男もきっと、その中に入っていたのだろうと、フギョムは思った。
ふと、たもとに手を突っ込んで毒薬を取り出し、包み紙をゆっくりと開いた。これ以外に逃げ道があるだろうか…?
「早合点は困りますな」
低い呟きがフギョムの手を止めた。急に現れたその男は、フギョムに気配を感じさせなかった。
彼は黒傘を取り去り、ソンヨンが見た塗装工と同じ鷹のような鋭い目を向けた。
「王世孫に計画が漏れたのか、警備が厳重でした。そちらがへまをしたようですな。こうなることは予測していましたよ。あなたの手下は尾行にも気づかない愚かな連中でした」
男に言われて、フギョムは目からウロコが落ちたような気分になった。
「もしや…あの書状は初めから王世孫側に渡るよう仕組んだのか?」
「その通りです。フギョム様。王世孫が王になる前に殺すと約束した覚えはありません」
確かに、即位式が終わった今なら、誰もが油断している絶好の機会だった。
「こんな遅くに外壁の補修をしたいだと?」
門番の兵は、ボウルと筆を持った塗装工をじろじろ見ながら、面倒くさそうに考え込んだ。
「図画署の方に今日中に終えろと言われまして。犬の刻までには来ようと思ったのですが、見ての通り足が言うことを聞かないもので…」
今にも泣き出しそうな顔で訴えられ、門番は見るに見かねて、ついに塗装工を中へ通してやった。
男はぺこぺこと何度もお礼を言って、右足を抱えるように大きくひきずりながら宮中の奥へと姿を消した。
サンはその晩、随分と遅くまで、祖父の祭壇へお参りをした。そのあと王になって初めての夜を過ごすため、大殿へ入り、読書をした。
内官や女官らが表の軒先に控えているのを忘れさせるほど、張り詰めた空気が1本通り、室内はひっそりしていた。
サンは、先の鋭い金のかんざしに軽く親指を触れ、本の次のページをめくった。
2010/6/13
韓国ドラマイ・サンのあらすじサイト。1話~77話(最終回)までと各話ごと揃っています。ネタばれ率100%!小説風に書いているので、ドラマと二度楽しめます。
2017年6月8日木曜日
韓国ドラマイ・サンとは
時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...
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政治シーン 宮中の催事などを絵に記録する図画署が舞台ということで評判になった「イ・サン」ですが、チャングムみたいに物語の中心になっている感じはありません。 むしろ朝廷の闘争争いの方が印象に残りました。王様が主人公だけあって、トンイや馬医に比べて政治シーンが多いドラマです...
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宮中の大広場に集まった絵師達が、地面に大きな紙を広げて、祭りの様子を事細かく写生していた。 ある絵師は、広場の中央で華やかに舞う踊り子達を描いた。 絵の中の女は三つ網をウチワみたいに巻いて、造花や長いカラフルな布を高く掲げながら、くるくると回っていた。天女みたいなスカートを膨らま...