2017年6月9日金曜日

イ・サン2話「父の絵を見せたくて」

サンが再びソンヨンを見かけたのは、宮中のお堀のそばを通りかかったときだった。

「その手を離さぬか!」

サンに叱り飛ばされた先輩女官達は、ソンヨンの口から猿ぐつわを外すと、かしこまったように整列した。

ソンヨンは先輩女官達が、どうして慌ててムドクに頭を下げたのか、最初のうちわからなかった。
ムドクの後ろには侍従が数人立っていた。それにムドクは胸に大きな紋のついた紫の服を着て、マドレーヌみたいな形のふんわりした帽子をかぶっていたのだ。

「あんた、ムドクよね……?」

さっきまで先輩女官たちに羽交い絞めにされていたソンヨンは、ようやく自由の身になった。さらに改めてまじまじとサンを見るうちに、ようやくムドクの正体に気づいたのだった。

「王世孫様とも知らずに、ご無礼をお許し下さい!」

急にハハーッと深々とおじぎをするソンヨンを見て、サンの胸は痛んだ。
昨晩、時敏堂に入った者を、大逆罪とみなすとの王様のおふれが出ていたくらいだから、厨房に行ったきり、帰りがすっかり遅くなったソンヨンが何かしら疑われたのも無理はなかった。

サンはテスのことも気がかりだった。兵士に連行されて、大きな門の辺りで消えたのが、彼を見た最後だったからだ……


「王世孫様、服をお着替え下さい」

部屋に侍女三名が入って、暗い表情のサンに声をかけた。
侍女は棚の上の飾り箱から、金紋が入った紫色の服を取り出し、箱のフタを閉めた。
そのときサンは、ふと思いついたように飾り箱に注視した。
(もしやあの中に……?)
鹿やハスの花などの赤い絵柄がタイルのようにペイントされたその派手な飾り箱を、もう一度開けるように侍女へ命じた。
侍女は留め金具から鍵を抜き、美しい絹の衣装を何枚もめくると、底の方から巻物を入れた小箱を見つけて取り出した。

父さんがおじいさんに見せろと言っていた絵に間違いない。
絵は最初から自分の部屋にあったのだ……!


松林に立つ男と、男の背中に隠れた女……
彼らに気軽に声をかける男……

さっと確認しただけで、サンは絵を素早く巻きなおした。
雲従街への巡察の旅に出た王様に、一刻も早くこの絵を届ける必要があったからだ。

でもその前に、井戸の水汲みをしていたソンヨンのもとへ飛んでいった。
宮中の外へ出るのに、誰かに道案内して貰う必要があった。

ソンヨンはすぐにOKした。
ぶっそうな街へ、サンをいくらなんでも一人で行かせる訳にはいかないと思ったのだ。
世継ぎの息子でありながら、心配事を相談したり、頼ったりする仲間さえいないサンが、何だか気の毒なくらいだった。


約束を取りつけ御殿に戻ってきたサンを、サンの母親の恵嬪宮と母方の祖父、ホン・ボンハンが首を長くして待っていた。
と言うのもサンがあの夜、時敏堂に行ったことが王様にバレてしまうのが問題だったのだ。
ボンハンはすぐにも待機させていたコシにサンをのせて、逃げるように実家へと向かった。
サンだけでなく、旗を持った兵士のあとに恵嬪宮をのせたコシもいる。
その金色の屋根とサンを乗せた銀色の屋根に続いて、タンスや風呂敷、荷車が続く大掛かりな移動だった。
ハスの水田や田舎道を抜ける間、村人達が道をあけて深々とおじぎをする姿が各所で見られた。

やがて山道に入ると、オープンみこしの椅子に背中をもたれていたホン・ボンハンが後ろを振り返った。
どうした訳か銀色の屋根がいつのまにか見えなくなっている……

「用を足されているそうでございます……」

そばを歩いていた年配の侍女が説明した。

「そうか……」
といったんはホッとし、くるりと前を向いたものの嫌な予感に襲われた。
念のためコシを止めさせ、後ろにすっ飛んでいってみると、案の定、銀のコシの中はもぬけの殻となっていた。


ホン・ボンハンはそう頭の悪い男ではなかったし、ある程度の力も持っていた。
(恐らくサンは王様に会うために、雲従街に行ったのであろう……)

そう推察し急いで宮中へ戻る途中に、とある部署に立ち寄りかなりの数の捜索隊を派遣させておいた。
それとは別に、もう一つ気がかりなことがあった。

昨晩、時敏堂に行った疑いで捕らえられたテスという子供が、どうもサンの顔をはっきり覚えているらしい……
その事実をホンバンに伝えてきたのは、彼の部下だった。
さてどうしたものかと途方に暮れるホン・ボンハンの胸のうちを察したのか、部下が早口でささやいた。

「露見しないように直ちに手を打ちます。お任せ下さい……」

そのときホン・ボンハンは、あえて何も返事をしなかった。部下の言ったことが聞こえなかったわけではない。ただ何となく後ろめたいような気はするのだけど、この場合はやむを得ないと考えたのだ。



一方、コシから脱出したサンは、荷馬車のタンスに隠れていたソンヨンと合流した。
まずは庶民の服に変装しようと、二人であばら屋に忍び込んだ。
そこでソンヨンの腕から血が流れているのに、サンは初めて気づいたのだ。
すぐにも自分の豪華な帯をほどいて、ソンヨンの袖に巻きつけてやった。

それから近場の市場へ行って、今度は樽馬車の荷台に忍び込んだ。
その樽馬車の御者は、ちょうどヤミ酒を雲従街に運ぼうと、馬車を止めていたところだった。
城門の前は今日は特別、人でごったがえしていた。

なぜかと言うと雲従街に向かう不審者を、荷物の隅々まで調べあげるよう、おふれが出ていたからだ。

密造酒を隠している御者は、やむなく馬車を引き返すことに決めたようだ。

その後、かまどの湯気がもうもうと立ち込める密造酒工場に到着した。

そこにどういうわけか偶然にも、テスが監禁されていたのである。

すぐさまソンヨンが機転を利かせて、密造酒工場があることを役所に密告しに出ていった。
そうして工場が役人に襲撃されている間に、テスを連れまんまと脱出するのに成功したのだ。


雲従街の特設会場には、オレンジ、赤、青、黄色のカラフルな着物姿の役人達が、王様の両側にぞろりと並んでいた。
店舗の組合員達が、その正面に肩を寄せ合うように立って、窮状を訴えていた。

救済金を日照り対策に使い果たして、火災の分がきちんと店舗に行き届いてないという……

王様は別の官庁の財源を回すよう指示してから、ふと空を見上げた。

(日差しがやけに暑い……こう暑くては、立っているのも辛かろう)

日除けのある王様の席でさえ耐え難い。王様は急きょ集会を切りあげることに決めた。
一段落したところで、家臣から水の入ったボウルを差し出された。
王様はそれをいったん飲みかけたものの、無言で突き返した。
この暑さの中で、今も米びつに閉じ込められている王世子の姿が頭をよぎったのである……


サンがようやく雲従街に着いたのは、すでに特設会場の解体作業が行われている最中だった。
ミニサイズのわら帽子を頭にのっけた男は、今さらおかしなことを聞くねぇという顔で言った。

「暑いから王様が早めに切り上げられたのさ!」


すでに王様の一行は墓参りをするために、次の目的地へ出発したという。


シンバルやチャルメラ楽器隊の後を、長い行列がぞろぞろと進んでいった。
そのうち王様のコシがゆっくりと沈み、地面に着地した。

王様は耳を澄ませた。
遠くから鐘の音が聞こえる……
橋や門に設置された鐘を、むやみに鳴らすのは禁じられているはずだ。しかしその鐘の音は、どんどんこっちに近づいてくるようだった。


「お待ち下さい! お話がございます!」

手にぶら下げたドラを鳴らし、民衆の垣根を掻き分けるように走ってきたのはサンだった。

王様は孫を出迎えるために、コシから下り立った。

「なぜそなたがここにいる?! そのみすぼらしい格好は何だ?」

予想のつかない出来事だったので、つい口調は荒くなったが、幼い孫を心配する面影が、まだかすかに残っていた。


「王様、父上の絵をお持ちいたしました! 見れば誤解が解けると申しておりました!」 

「そなたの父が申しただと? いつ父と話を? まさか……まさかそなたが!」

王は驚いて声をあげた。

まさにホン・ボンハンの嫌な予感が現実のものになろうとしていた。


2008/11/1/ 更新



韓国ドラマイ・サンとは

時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...