2017年6月8日木曜日

イ・サン50話「側近たちの思惑」

朝廷は人手不足で、麻痺寸前に追い込まれている。もちろん辞表を提出した目的は王の暴走を止めることであって、朝廷を破たんさせることであってはならない。
王様が臨時に招集した政務報告会には、とりあえず出席した方がいいのではないか…?
いろいろと考えたすえ、ソクチュはチャン・テウの屋敷に出向いた。
「誰ひとり登庁させぬ。犠牲もなしに大事がなせると思うか。こうも臆病だから毎度へまをするのだよ」
ソクチュはテウにぴしゃりといましめられた。
ソクチュが引き揚げたあと、テウは手下を部屋に呼んだ。書物をめくる合間に、空いた方の手で、しかめっ面で封書を差し出したが、中の紙を広げてみた手下は、そのかなりの金額の文字に驚いた。
「その金で薪を買い民に配ってやれ。疫病を防ぐには水を煮沸せねばならん。私の財産など死んでしまえば使い道もなかろう。他の重臣たちからも義援金を募れ。今日のうちにも王は自分の無力さを思い知るだろう。そうなれば折れざるをえまい」
テウは大真面目に言った。自分たちのしていることは、愚かな王を諭して民を救うためだと、あくまで信じて疑わなかったのである。

チャン・テウが指摘したように、朝廷の混乱による一番の被害者は民だった。
サンも、決して手をこまねいていたわけではない。
民を診察する恵民署へ視察に訪れたサンのもとに、医官が慌てて駆け寄り、深々と頭をさげた。
「悪いときに来られました。恐れながら急いで宮殿にお戻り下さい。ここにいては危険です。皆、疫病に感染しているのです。3日前に出した報告が伝わってないようで。医官が不足し対処できずにおります…」
疫病と聞いて、サンはびっくりした。瓶壷から煮えたぎった湯煙が、もくもくと白くあがっていた。
診察の番が回ってこないのだろう。広場の至る所からうめき声がきこえる。医師や医女がそばを通り過ぎるたび、地面に横たわった貧しい患者らが、救いを求めて腕を伸ばした。
宮殿に戻ってまもなく、医官より新しい報告があった。
「どうやら高熱と粟のような発疹が特徴の冬場にはやる疫病のようです。羌活、敗毒散、桔梗を患者に処方すれば、さらなる拡大は防げるでしょう…」
サンはさっそく内医院の医官と医女、薬房の役人ら百名と、それとは別に南部の各官庁からも医官5名と医女10名を集めて、それぞれ班を作るよう指示した。
その際、薬材は典医監と内医院の備蓄分と、京畿と忠清の官庁から強制的に集め、召集を拒む医員について厳しく処罰し、足りない経費は国庫から出した。
今や下級官吏や地方の官吏までもが重臣たちに味方していた。上京した南人派の者たちで埋め合わせしたところで、他の部署までは手が回らず、内情は火の車だった。
この難局を乗り切るには、辞表を提出した重臣らの行為にひとまず目をつぶってでも、協力を求めたいと、サンが思ったのも当然といえる。特に申の刻の政務報告会については、やる気で望んだ。

ところがサンの思いは、からぶりに終った。申の刻になっても老論派の重臣は、誰1人として現れなかったのである。
王であるサンが自ら、テウの屋敷を尋ねたのは、その晩のことだった。
老体に銀の衣をさらりとまとったチャン・テウは、王のために上座の席を空けて、卓上机を挟んで向かいに座った。
ロウソクが短くなっている。サンが来る前、皮肉にも、この部屋には政務報告会を欠席した重臣たちが顔を揃えていた。彼らがテウのもとへ指示をあおぎに来たのは、今後の不安を抱えてのことだった。
サンはある封書を手渡したが、その中身に目を通したとき、テウのへびのような目は、驚きのあまり、さらに毒々しくなった。サンが屋敷を去ったあとも、しばらくの間、彼はじっと物思いにふけった。
―科挙は5日後に改めて行う。今回の合格者には正七品と八品という破格の位を与え、優秀な者はその場で要職に任命する。今回の科挙に応じない者は、今後10年間、科挙の受験資格をはく奪する―
テウが見せつけられたものとは、明日、サンが告示する宣旨であった。

「果たして儒生たちが応じるでしょうか? また彼らにつぶされてしまったら、朝廷の王様の前途に汚点となりかねません…」
宮殿に戻ったサンに、ナムは疑問を投げかけた。サンは何も答えなかった。いや、答えられなかった。儒生らがこれで試験会場へ現れるかどうかは、サンにとっても大きな賭けだったのである。
それでも人手不足のなか、科挙の準備は急ピッチで進められた。短い階段や、道具箱をいくつか積み重ねて運び入れる役人らが、次々と広場の朱門をくぐっていった。
ジェゴンは、顔を合わせた各部署の代表らと、廊下ででも熱心に打ち合わせをしたし、サンは食事をとるのも忘れて1日中、執務室にこもり、書類に目を通し、研究を続けた。
広通橋、仇里介を中心に広がっていた疫病が峠を超えると、それまで内医院を手伝っていた部署の者たちも、科挙の準備へと全力を注いだ。

女将は大あくびをしながら、雑巾がけで痛む腰を伸ばした。科挙があるのを見込んで、店を手伝おうといそいそ庭へ駆けこんで来たテスの叔父の姿が、ふと目に映った。
「2度も騙されないわよ。今回の科挙もパーになるという噂だからね!」
女将は口をねじまげ、ぶっきら棒に吐き捨てた。
科挙が行われる含元殿の通りまで出たテスの叔父は、 荷物を背負った数人の男とすれ違った。女将の言う通り、他に猫の子一匹いやしない。
仕方なく、とぼとぼ引き揚げていると、道ばたで図画署のイ・チョンに会った。
「含元殿は科挙の会場じゃないぞ! 疫病のせいで春塘台に変わったんだ。今下見をしてきたが、大勢集まってる」
イ・チョンは興奮したように、目玉を大きくした。
イ・チョンの言ったことは、またしても本当だった。
春塘台への道すがら、その人波が途切れることはなかった。付近の酒場が儒生たちで賑わっているのを見て、パク・テロは遅れをとったことにようやく気付き、腰を抜かした。
儒生はその後も続々と都に集まり、含元殿や春塘台ばかりか、弘化門前にも列を作った。

城壁のアーチ門に、俵を積んだ荷車や人が足止めを食らい、ごったがえしている。朝廷で人手が足らないしわ寄せが、こんなところにも押し寄せていた。
治安が悪くなったため、検閲が強化されたのだ。
背中の大荷物の中身をチェックしたテスは、男に木札を返してやり、それから3日ぶりに、服を着替えに家に帰った。
昼間は宮殿の警備、夜は漢城府に代わって都の見回りと、それこそ目の回るような忙しさだった。
急いで飯を喉にかきこみ、ソンヨンに会わないまま逃げるように職場へ戻ろうとするテスに、女将が風呂敷に包んだ差し入れを持たせてくれた。
民家街を通っているとき、図画署から帰宅途中のソンヨンと鉢合わせになり、会話を交わした。
「その荷物はおばさんからの差し入れ? おばさんがいるから私は用済なのね…。テスったら冷たいわ」
ソンヨンは、ぎこちなく笑った。テスの顔をまともに見ることなど、できやしなかった。
「あんなこと言われたから気まずいのか? 俺のことは気にしないでくれよ。お前の反応くらい予想してたしな。当分は帰れないけど、着替えはあるから持って来なくていい。その方がいいんだろ?」
テスは元気なく手短に話を済ませ、立ち去っていった。怒ったような背中をしていた。

町の掲示板に、兵士の1人が手の平をなでつけるようにしてビラを貼った。
遠巻きに見ていた民衆らは、兵士達が引き揚げるなり、すぐさま掲示板の前にたかった。
そばを通りがかったソンヨンの目にも、人垣の隙間から、文字がちらりと見えた。
禁婚礼のおふれだった。
中殿に世継ぎができないため、王様がいよいよ側室を迎える。その間、妙齢の女は、この禁が解かれるまで、しばらく結婚ができない。
大出世をとげたホン・グギョンは、今や飛ぶ鳥を落とす勢いだった。その妹が、すでに側室に内定しているというのは、誰の耳にも、もっともらしい話に聞こえた。
またこんな噂もあった。中殿が推薦する人物はどうも身分が卑しいらしい。それで王様の母、恵慶宮に反対されているのだと…

まだ目を通していない巻き物が山のように積んであったが、中殿が執務室へ尋ねてきたと聞いて、サンは書状をくるくると巻き戻し、テーブルの隅へ置いた。
「折り入ってお話があり、お仕事中のところ、お邪魔しました…」
「邪魔だとは思ったこともない。早速、話を聞かせてくれ」
サンは嫌な顔ひとつせずに、かえって興味深そうな色を目に浮かべた。
「王様。本日、側室選びの公示が出されました。内命婦の担当とは言え、今まで王様に黙っておりましたのは、恐れながら政治に専念して頂きたいという恵慶宮様のご配慮です。王様の地位を確かなものにするため、側室を迎え、世継ぎを得なければなりません。実はそのことで、切にお願いしたいことがございます。ぜひとも側室に迎えたい者がいるのです…」
「そうか。母上と中殿の意向がそういうことなら、私は黙って従うことにしよう。そなたの頼みなら何なりと聞く。側室に迎えたい者とは誰なのだ? 遠慮なく話してみよ」
中殿は、少しためらいがちにうつむき、重い口を開いた。
「ソンヨンでございます」
驚いたサンは急に暗い顔になった。そして、深く長いため息をついた。

2010/6/27

韓国ドラマイ・サンとは

時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...