中殿の部屋に通された恵慶宮は、奥の座イスに、スカートをうずめるようにして座り込んだ。その口調はいつになく厳しいものだった。
「何ということです! 例の図画署の女が大逆罪で投獄されたというのは本当ですか? だから言ったのです。王様に災いをもたらす女だと。それをそなたは側室にしようなどと」
「恵慶宮様、何かの間違いです。あの者はそんな子では…」
「間違いですと? あの者は義禁府に連行されたのですよ。今回はただでは済ませません。罪を明確にし、重い刑を科さなければ…」
恵慶宮は気が治まらないといった風に、肩で大きく息をついた。
これではソンヨンを側室にする話どころではない。中殿の言い訳も今度ばかりはむなしく響いた。
通報したのは、ウクを診察した医者であった。
ソンヨンへの取り調べは、まず直接グギョンが担当した。
ソンヨンは顔見知りであったし、王様も心配していたから、逃亡者の行方さえ話してくれれば、すぐにでも釈放するつもりでいた。
しかしソンヨンの答えは何度聞いても同じだった。
「知りません。いつ出て行ったのかもどこへ行ったのかも分かりません。私を処罰して下さい。罪に問われても仕方がありません。知っていることはすべてお話しました。他のことは何も知りません…」
行き詰っていたところに、いよいよ判義禁府事が取り調べ室に入って来て、ソンヨンを義禁府の牢へ連れていってもよいかとグギョンに尋ねた。
ソンヨンの家を捜索した兵士らは、倉庫の足元に埋め込まれた石の列に、生乾きの血の跡を発見し、引き続き山へと向かった。
ウクに肩を貸しながら山の中をしばらく歩き、テスは腐ったような長い草の上に、尻もちをついて倒れ込んだ。まだ胸の傷が痛むらしく、ウクのうめき声があがった。
少し先の方に、たいまつの明かりが、とぎれとぎれに、ちらついている。
あの兵士たちは本来、皆テスの部下であった。にも関わらず、テスがこうして草の陰に身を潜めなければならなくなったワケは、ウクの逃亡を助けるようソンヨンに頼まれたからだった。
兵士の帽子の房飾りが、薄暗く揺れた。彼らは草の根の方をしきりに探していたが、やがて方向を変え、たいまつの明かりと共に一列に山をのぼっていった。
サンは執務室にナムがやって来ると、筆を置いて、墨の乾ききらない書案を2、3枚重ねて渡した。
「先日、街で見た人参のことだ。安価な薬材として民に栽培をさせてはどうか。薬材商による独占販売を禁止して、人参の流通を拡大させるよう戸曹に命じよ」
ソンヨンのことだけを考えるには、サンはあまりに多忙だった。清への使節団の件もある。
ついで捜査にやっきになっているグギョンを部屋に呼んだ。逆賊を取り逃がし、しおらしい表情だった。
「気にしなくてもよい。ソンヨンだけでなく、今牢にいる罪人は皆すぐに釈放されるだろう」
サンはきびきびと早口で言った。
「え、どういうことでしょう…?」
「天主教徒を逆賊とする証拠の銃は、彼らの物とは限らぬだろう。あの銃は清から入ってきた数百両はする代物だ。財産もなく身分の低い彼らに買えるはずがない。首謀者であるヤン・ジンスは最近、全財産をはたいているが、銃は買っていない」
サンは、手元の帳簿をテーブルの上に滑らして、向かいに立つグギョンに預けた。
天主教徒が王様を狙ったのでないとすれば、一体誰が犯人なのか…?
グギョンの捜査は、いったん暗礁にのりあげた。
そうこうするうち、銃の密貿易の足取りから、事件の背後に浮かび上がった通訳官のキムが、毒をあおって死んだ。
没落した両班出身で、商人と結託して莫大な財産を築いた男だった。
この男がたった1人で王様の暗殺を企てたなど考えられない。
しかし男の死は、天主教徒の容疑を晴らす証拠にはなった。
ウクの怪我がすっかり回復すると、ソンヨンは、天主教徒の一行と華川の方へ旅に出ることにした。
やっと再会できた弟と、少しでも一緒にいたいという気持ちが強く、図画署には断りを入れた。
ソンヨン自身、都に戻るかどうかもわからず、ひょっとしたらこれが最後の別れになるかもしれないと思った。
しかしパク別提は、ソンヨンがいつでも図画署に戻って来られるよう配慮して、休みの手続きをすすめた。
地べたに固まって座る者たちや、列に並ぶ者、炊き出しの場には大勢の民が集まった。
おさげを1本、背中に垂らした女や、ハチマキをしめた男らに混じって、子供の姿もある。
大鍋は広場の3カ所に用意された。2カ所は地べたに置かれ、かっぷくのいい女が給仕するテーブルの鍋の前には、一番長い列ができた。
わらや木の皮を屋根にした家々が横一線に並び、そのずっと奥の石垣のアーチ門の向こうは、ねずみ色の空が広がるのみだった。
ウクは地べたの黒釜の湯気の中へひしゃくを入れ、黄色い粥をすくった。彼の方は紫地の服に羽織りを着ていたが、ウクから碗を受け取ったみすぼらしい子供や、後ろに並んだ大人たちは、どれも薄い上っ張り1枚だった。
少しでも何か手伝おうと思って、ソンヨンは汚れた椀をボウルに入れて川へ行った。
器を洗い終えた後は、桟橋のように長く突き出た岩の道で一休みした。
しかしソンヨンの目は美しい景色ではなく、手に握った帯を見ていた。紫地に金の刺繍がほどこされて、同じ色の房飾りと、ぶ厚い花の金ボタンがついたものだった。
まだ小さかった頃、サンと一緒に宮殿を抜け出し、腕に怪我をしたことがある。血を止めようと、自分のものをほどいて、腕に縛りつけてくれたのが、この帯だった。
都から離れた今、サンのことをより深く思い出す。かと言って、都にいるときも似たようなもので、どんなに図画署の仕事に打ち込んでいても、気持ちは満たされなかった。
岸辺から川の中ほどまで、平たい岩が寄せ集まり、その岩の間を水が浅く流れていく。
川の流れの静けさと小鳥のさえずりが、ソンヨンの胸に悲しみをゆっくりと浸みこませた。
川面に向かって斜めにそびえ立つ崖の木々のうち、数本は咲き始めの淡い桜だった。ソンヨンの体は桜の花に埋もれるように、小さく見えた。川の両側はどこまでも深い木々で覆われていた。
給仕の終わったウクが、ソンヨンを手伝おうと川へやってきた。すでに洗いものは終わった後だったので、ウクはボウルを抱えて、姉と一緒に岩場を去った。
しかし、ほどなくソンヨンは、夢中で道を引き返すことになった。
すでに広い河口辺りまで下っていたのを、土手沿いをずっと走り抜けて、とうとう上流の岩場まで舞い戻った。
どこで落としたのかしら…?!
岩場の下かもしれないと思って、川や雑木林に目をおとしたあと、もういっぺん足元を探しながら岩場の道を戻りかけたとき、急に後ろから声をかけられた。
「探しものはこれか。これをまだ持っていたのか」
そう言って、帯を差し出すサンを見て、ソンヨンは驚いて瞬きもできずに身を硬くした。
「王様…。ここには何のご用で…?」
「そなたを迎えに来たのだ」
サンは言った。
2010/10/11
韓国ドラマイ・サンのあらすじサイト。1話~77話(最終回)までと各話ごと揃っています。ネタばれ率100%!小説風に書いているので、ドラマと二度楽しめます。
2017年6月8日木曜日
韓国ドラマイ・サンとは
時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...
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政治シーン 宮中の催事などを絵に記録する図画署が舞台ということで評判になった「イ・サン」ですが、チャングムみたいに物語の中心になっている感じはありません。 むしろ朝廷の闘争争いの方が印象に残りました。王様が主人公だけあって、トンイや馬医に比べて政治シーンが多いドラマです...
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王子は目の高さで紙を持ち、背筋をまっすぐにした。1枚読んだら卓上机に重ね、また次の1枚を手に取る。 上奏文や巻物、書物の山は小さな王子をうずめてしまいそうだ。 それでもまだ父上の質問に対する答えが見つからなくて、気分はどうもマンネリになってきた。 もう3日も食事をしていない...