その晩、グギョンは兵曹判書の屋敷の前に突っ立っていた。馬が駆けてくる足音に気づいて建物の影に隠れていたら、馬からおりた男が、辺りを警戒しながら屋敷の門をくぐっていくのが見えた。
グギョンはその男の顔に見覚えがあった。フギョムの屋敷までグギョンを案内した男だ。
同じ頃、サン率いる軍が、山道を駆けのぼっていた。激しい雨粒が、フギョムとテスの顔を直撃した。軍はぬかるんだ山道を進んで、やがて沼地の広がる、ある村に到着した。
おかしなことに、秘密訓練場は、もぬけの殻になっていた。まるで夢の跡みたいに静かで、ただ土を踏みしめたり、タイマツの火が燃える音だけがした。
「兵士も武器もこの目で確かに見たんです!」
テスは、目をまん丸にして必死に訴えた。
サン自身、この光景を信じることができなかった。
焚き火の跡に手をかざしてみると、まだ温かかった。
サンは地面に落ちていたやじりを摘んで、サチョに言った。
「王様との約束まで、あと1日ある。私はあきらめない」
兵士たちが手にしたタイマツの煙が、どろどろと切れ目なく空に流れて夜の闇を白くしていた。
渡り廊下を歩いていた王様は、ふと立ち止まって空を見上げた。昨晩からの雨は小降りになってはいたけど、まだ白い雲が残って薄暗かった。
「王世孫の様子はどうだ。何か進展はあったのか?」
王様に尋ねられたおつきの男は、体を板みたいに折って答えた。
「昨晩、宮を出て先ほど戻られたところです。義禁府に行って聞いて参りましょうか」
「いや、よい」
王様は断った。
どちらにせよ、明日の朝、イ・ソンスの最終判決が下されたら全てがわかるのだ。
宮中内にあるファワンの御殿から出てきたフギョムは、石段を下りながら、兵曹判書としばらく立ち話を楽しんだ。
襲撃を受ける前に、秘密訓練所の兵士や武器の移動が無事に済んで、気持ちにもだいぶ余裕が戻ってきたところだった。
兵曹判書と別れたあと、フギョムは、少し離れたところから意味ありげにこっちを見つめていたグギョンに近寄っていった。
「2日経ったが、私について何かわかったか?」
「ええ、いろいろと。少なくとも敵には回したくない方ですね・・・」
グギョンは、愛想なく言うと、さっさと立ち去っていった。
フギョムは、思わず振り返って、軒下の長い石畳を歩いているグギョンの後ろ姿を目で追った。グギョンの目が、気のせいか笑っているように見えたのだ・・・
テスがグギョンの家にすっ飛んでいったとき、グギョンは静かに書物を読んでいた。
ひざのそばには、まだこれから読まれる本が、きれいに積み重ねてあった。
テスは、さっそく昨晩の事を夢中で話したものの、思ったような反応がない。
ようやく書物から顔をあげたグギョンは、イライラした様子のテスに、わりと真面目な顔つきで言った。
「私はもう手を引く。王世孫は終わりだ。巧みな狩人たちに囲まれたも同然なのだ。望みがないなら見限らねば。だがそう怒るな、私も不本意なのだ・・・」
サンとパク・サチョは、馬に乗って都の田舎町に向かっていた。
ソ・インスの自宅から発見された連判状は、偽造である可能性が高かった。
謀反を企む仲間らと連判状を書いたとされる日付は10月15日。その日、彼は光州で開かれた王様の宴に出席していた。
サンはその出席者にアリバイを証言して貰うつもりだった。
馬をとめたサチョは、かやぶき屋根の廃れた感じの屋敷の中へサンを案内した。
証言を依頼したのは6人。しかしサンがこの部屋で待っている間、とうとう誰もやっては来なかった。
ただ質素な服に外出用の黒帽子を被った男が、事情を説明しに屋敷に立ち寄った。
「事件に巻き込まれるのを恐れて、みんな逃げ帰ったのです」
男は狭い座敷の入り口に座り込んで、手短にそう話した。
サンは町を通って宮殿に戻りはじめた。賑やかな人通りだ。
巨大な石が裁断されて、ちょうどロープで橋の上にゆっくりと引きあげられているところだった。橋の周りには細かい足場が組まれている。巨石はずらりと橋の中央に並べられていた。
「橋の補修工事中です。迂回しましょう」
サチョに声をかけられ、サンはくるりと馬をUターンさせた。
ソ・インスを救う方法が何も見つからないまま、時間だけがこうして流れていく。サンには全ての手は全部、出し尽くしてしまったように思えた。
橋のそばの道に、テーブルが出してあった。そのうえに紙を広げ、数人の画員が工事記録を描いていた。その光景が、サンの目に強く焼きついていた。
判決の朝、王様はサンの姿がないことに気づいた。フギョムの他、数名の大臣達は、すでに王様の椅子を囲むようにして、軒下の壇上に顔を揃えている。
前衛隊長のソ・インスら数名が、とんがり帽を被った男達に連れられて庭に入り、椅子に縛りつけにされた。
兵曹判書は赤い巻物を広げて、いよいよ判決を大声で読み上げた。
「辛卯年10月! 罪人達を取り調べた結果、謀反を企てていたという大罪が明らかになった。この者たちを斬首の刑に処し・・・」
でも兵曹判書はこの続きを言うことができなかった。パク・サチョとチェ・チェゴンを率いて、サンが門をくぐってきたのが目に入ったのだ。
サンは王様の前まで進み出ると、丁寧におじぎをして言った。
「この者たちに罪はありません。そのことは王様もご存知のはずです」
「この者たちの無実を、私が知っているだと・・・?!」
王様は怒ったように言い返した。
サンは、短い石段の途中までのぼって、大きな紙を差し出した。
王様はさっそくその紙を広げてみた。
なんのことはない。広州の宴の出席者達、それに踊り子達や楽器の演奏者が、こびとみたいに小さく描かれるだけの、たわいもない記録画だ。
しかしさらに目線を下にやったとき、がく然とした。前護衛部隊長ソ・インスの姿と名前が、はっきり記されていたのだ・・・
記録画は、図画署の膨大な資料の中から発見されたものだった。
サンに10月15日の宴の記録画を探して欲しいと頼まれたパク別堤は、画員を狭い倉庫へ総動員して作業にあたらせた。
本物は広州に保管してあった。はたして都にその写しが残っているかどうかも、わからないまま、この作業に全力をかけたのは、それが前護衛部隊長、ソ・インスを救う唯一残された道だと、サンが考えたからだった。
判決のあと、王様は部屋にこもって机に記録画を広げた。
サンの言う通り、ソ・インスの事件は、王世孫を陥れようとする者たちが、でっちあげたものに違いなかった。
王世子を殺して以来、王様は必死に迷いを打ち消してきた。心が揺れ動くたび、大臣達の口添えとか、ときには自分の弁解で、そのほころびを直して、より守りの殻を頑丈にした。
しかしどうだろう。その中のどの言葉が、はたして真実だったのか・・・?!
王様は、何度も何度も確かめるように記録画を指でなぞった。
イ・ソンスと書かれたその文字は、王様の古傷にしみた。
2009/1/18更新
韓国ドラマイ・サンのあらすじサイト。1話~77話(最終回)までと各話ごと揃っています。ネタばれ率100%!小説風に書いているので、ドラマと二度楽しめます。
韓国ドラマイ・サンとは
時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...
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政治シーン 宮中の催事などを絵に記録する図画署が舞台ということで評判になった「イ・サン」ですが、チャングムみたいに物語の中心になっている感じはありません。 むしろ朝廷の闘争争いの方が印象に残りました。王様が主人公だけあって、トンイや馬医に比べて政治シーンが多いドラマです...
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王子は目の高さで紙を持ち、背筋をまっすぐにした。1枚読んだら卓上机に重ね、また次の1枚を手に取る。 上奏文や巻物、書物の山は小さな王子をうずめてしまいそうだ。 それでもまだ父上の質問に対する答えが見つからなくて、気分はどうもマンネリになってきた。 もう3日も食事をしていない...