王世孫の摂政が取り消しになったとジャンボから聞かされたのは、テスがちょうど訓練場にいたときだった。さらに驚いたことには、グギョンが弘化門事件の責任を取って辞職したという。
テスが大慌てでグギョンに会いに行ってみると、ちょうど風呂敷をさげて、グギョンが一人、宮中の中庭を去っているところだった。
「王世孫様の一大事なんですよ! 先日の件が罠だったことは私からお話しますよ」
テスは、あたふたして言った。
「家出した女房を連れ戻すみたいだな。暇な時に家に遊びに来て酒でもおごれ」
グギョンはウッシッシと笑いながら、テスの肩をポンと叩いて、しがみつかれた腕を放した。しかしその笑顔とは逆に、宮中を去ろうという意思はとても硬そうに見えた。
もちろん民への攻撃命令は濡れ衣だった。漢城府の判官までもが、フギョムに買収されていただけのことだ。真実を話せば王世孫はきっとグギョンをかばおうとするだろう。でも大臣らにとっては、それが王世孫を退ける絶好の機会となる。グギョン自身、そのことを誰よりもよく知っていたのだ。
サンは、ホン・グギョンがどうしてあんな乱暴な命令を下したのかと思って、本当にがっかりしたけど、それは彼を起用した自分の責任であることも痛感していた。改革の失敗により起きたデモを、サンが武力で収拾しようとしたと、王様に誤解されたのも、そういう意味では仕方のないことだったのかもしれない。
サンの摂政の取り消しがされてまもなく、サンは王様に呼び出された。王様とたった2人きりの部屋は、悪夢の惨劇が嘘のように思えるほどの静けさだった。
事件の一報を聞いたときと違って、王様の怒りもだいぶ治まっていた。意外なことに、その口調にはサンに対する愛情さえ感じられた。
「そなたが11歳の時、私はそなたに王がすべき最も大切なことを尋ねた。覚えているか?」
「はい。王様・・・」
サンはうなだれた。3日のうちに答えを出せと言われて、夜なべであらゆる本や上奏文を調べつくしたにも関わらず、結局、わからなかった思い出がある。
ところが清に身売りされようとしていた子供達を救うために、サンが東宮殿の予算3千両を使い果たしたと知ったとき、王様は王世孫の廃位の決定をとつぜん取り消したのだった。
「そなたはそれを実行しながら答えられなかった。私が今日、その答えを教えてやろう。王がすべき最も大切なことは民を慈しむ心を持つことだ。よい者も悪い者も、強いものも弱いものも、そなたの子供であり、王はあらゆる民を包み込まねばならない・・・」
サンの表情が硬くなった。摂政を撤回されたのは、てっきり弘化門の事件が原因とばかり思っていたのに、どうも王様の考えは、それよりもっと深いところにあるようだった。
話し続けるうち、王様の口調はだんだんといつもの厳しい口調に変わっていった。
「専売商人どもは確かにけしからんやつだ。重臣たちにワイロを渡し、利権をむさぼっておる。その上、商権を独占して貧しい民を食い物にしているのだ。だがそんな専売商人もこの国の民である。その子に対し、親がすべきことは何か。短所を正す一方で長所を伸ばしてやることではないか。しかしそなたはどうだ? 短所ばかりか長所まで潰そうとした。害を被る者のために、何か準備したか。そなたはじっと安座して、改革だと騒いだだけではないかっ!」
サンは何も言い返すことができなかった。
自分がいかに未熟で半人前だったかということが、王様の荒々しい言葉と一緒に、体中に伝わってきた。
結局、多くの人々を苦しめただけの独りよがりの改革だったのかもしれない・・・
サンがそんな風に考え込んでいたとき、書庫を訪ねてきたのはテスだった。もう5日も閉じこもっているサンを、心配したらしかった。
すっかり夜は更けていた。
ロウソクの明かりに照らされた薄暗いテーブルに、ソンヨンから預かってきた風呂敷をのせ、テスはカサカサと中を開いて見せた。
意外なことに中身は墨で書かれた書き損じの紙の山だった。
「ご覧下さい。ソンヨンが教えている茶母たちの絵です。王世孫様のお力添えで、ソンヨンが画員の教育を受けられるようになりました。そして今度は他の茶母に教えているのです・・・」
テスの話では、ソンヨンは最近、サンの妻の懐妊祈願であるザクロの絵も、8枚つづりの屏風に見事に描き上げたということだった。
改革で機会を得たのは図画署の者ばかりではなく、テスのいる護衛官たちにも及んでいた。
サンの改革は確かに失敗した。しかしサンが蒔いた改革の種は、少しずつ芽を出し、それぞれの場所で育ちはじめていたのだ。
ファワンはとても機嫌がよかった。
サンの摂政が王様によって撤回され、ようやく自分達が主導権を握れるときが来たのだ。
「うれしいですか? でもそう簡単にいきそうにはありません。中殿様がキム・ギジュ様を朝廷に呼び戻されたようです・・・」
フギョムが少し気弱な顔で言った。
ファワンがハッとしたのも無理はない。キム・ギジュと言えば中殿の兄だ。フギョムの話によると、朝廷に戻るなり、王世孫の幼い弟君2人を連れて中殿の部屋へ、こっそりあがったという。
サンの廃位を早くも視野に入れ、次の王位継承者選びの準備をはじめるつもりなのだろう。そしてその暁には、中殿が自ら摂政に乗り出すに違いなかった。
しかしいまだ自分たちには、その計画が何も知らされてない。それがどうも気にかかった。
夜も更けた頃、キム・ギジュとソクチュは中殿を交えて熱心に密談を交わしていた。
ソクチュの表情はどうも冴えなかった。
事を急ぎすぎるのは良くない。肝心なのはどうやって王世孫の身分を廃止するかの方だった。しかし王世孫に対する王様の信頼は今でも厚い。すべての決定は王様の心の中にあった。
「だからどうしようと言うのです! ひと思いに王世孫を消してしまいましょう」
熊のような風貌通り、どう猛で短気な性格のキム・ギジュには、ソクチュの慎重な考えは、あまりにまどろっこしいようだった。
特にソクチュとフギョムが企てた暗殺計画が、いずれもお粗末な結果に終わっている事実は、キム・ギジュの野心を掻きたてるのに十分といえた。
夜、キム・ギジュはソクチュを案内して、密かに山へ入った。
ギジュが到着したときには、すでに数名の下働きの男らが、準備を終えたところだった。
ソクチュは、渋い表情で辺りに目をやった。真っ暗なうえに霧がかかっていて視界は悪い。でもよく見ると、枯葉だらけの地面に小さな木箱が等間隔に並んでいる。箱の下からは何かネズミの尻尾のようなヒモが出ていた。
キム・ギジュが箱の方を手で示し、意味ありげに聞いた。
「数日後に悪魔を払う儺礼戯の儀式が行われます。その最後を飾るのが何か、ご存知ですか・・・?」
ソクチュが考えあぐねたように黙っていると、ギジュが待ちきれずに答えた。
「花火ですよ。今回の儺礼戯は花火とともに王世孫の死で締めくくられます」
とつぜん何を言い出すのかとソクチュが戸惑っているうちに、ギジュは荒々しく下僕の男らを怒鳴りつけた。
男たちは、きびきびと小走りで動き出し、箱から伸びたそれぞれの導火線の先に、たいまつの火を放った。
導火線の火は煙と一緒に地面をはい、箱の外から内側へと燃え移った。光が箱全体を明るく照らし、火花を散らしはじめると、ソクチュはその眩しさに思わず目を細めて、何が起こるのかを見守った。
次の瞬間、火花は70cmほどの火柱となって吹き上がり、物凄い音をたてて次々と爆発し、辺りを白い闇に変えた。
2009/12/12
韓国ドラマイ・サンのあらすじサイト。1話~77話(最終回)までと各話ごと揃っています。ネタばれ率100%!小説風に書いているので、ドラマと二度楽しめます。
2017年6月9日金曜日
韓国ドラマイ・サンとは
時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...
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政治シーン 宮中の催事などを絵に記録する図画署が舞台ということで評判になった「イ・サン」ですが、チャングムみたいに物語の中心になっている感じはありません。 むしろ朝廷の闘争争いの方が印象に残りました。王様が主人公だけあって、トンイや馬医に比べて政治シーンが多いドラマです...
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王子は目の高さで紙を持ち、背筋をまっすぐにした。1枚読んだら卓上机に重ね、また次の1枚を手に取る。 上奏文や巻物、書物の山は小さな王子をうずめてしまいそうだ。 それでもまだ父上の質問に対する答えが見つからなくて、気分はどうもマンネリになってきた。 もう3日も食事をしていない...