2017年6月9日金曜日

イ・サン26話「救いの銃弾」

キム・ギジュが中殿の部屋に呼ばれたのは、儺礼戯の前日のことだった。
「計画は王世孫に漏れています。成功するわけがありません」
中殿は恐ろしい顔をして、自分の兄キム・ギジュを睨みつけた。
情報元はサンの身辺を探っていたフギョムによるものだった。放っておけば、きっと自分達にまで失敗の火の粉が飛んで来ると思ったに違いない。
「今さら中止だなんて・・・」
さぞガッカリしたのだろう。中殿の前にひれふしたキム・ギジュは、目を白黒させて戸惑い、そして荒々しい息を吐いた。

商売けのある主人は、店先に清からの舶来物の花火を並べて、通りすがりの客に声をかけた。花火を売るには普通は許可がいるものだけど、この日ばかりは大目に見て貰えるだろうという祭り特有の雰囲気があった。
客は主人に一文を差し出し、こより花火を4、5本取った。
薄汚れた着物に樽を背負い、トボトボと道端を歩いているのはグギョンだった。少し先に石を積み重ねた塀が見える。その中庭の隅に、集めた肥やしを溜めるための穴があった。
しかし塀の前まで来たグギョンは、足を止めて、奇妙な光景に目をやった。
白い三角巾で鼻を覆った役人たちが、ヤシの実のようなひしゃくで肥やしをすくい出し、木の桶の中へ注いでいる。
「軍器寺から爆薬の原料を集めに来たらしいよ」
やはり背中に樽を背負った通りすがりの若い男が、庭に入りもせず突っ立ったままでいるグギョンに説明した。
肥溜めは火薬を作る煙硝の原料にもなる。花火に使われるのは煙硝の比率が小さく、火力が弱い。しかし最も比率が高いものだと、少量でも大爆発が起こる・・・
そんな風なことを考えていたグギョンは、爆竹に驚いて、思わず後ろを振り返った。

薄っすらと雪の降りかかった地面に、筒状の花火が1本立てられていた。その小さな筒から花火が吹き上がるのを眺めて、男の子たちがはしゃいでいるのだった。
グギョンは急に思いつめたようにうつむいて、今年の儺礼戯の座席表の記憶をたどった。
ひな壇席の足元に置かれた小さな8つの箱。
ソンヨンはあのとき、小人のように描かれた王族を、ひとさし指で一人ずつさしながら、グギョンにかなり詳しい説明をしてくれたのだった。
「これは花火を上げるときに使われる箱で、王族の方々の前にある台の上に置かれます。す。王族の方々が火鉢に火をつけると、その火が導火線をつたい、火のついた箱から火花が出るのです。安全な花火なので心配はいりません・・・」
グギョンは、市場の通りを一目散に戻りはじめた。向こうからやって来た男とぶつかった拍子に、地面に落っこちた樽とひしゃくは、二度とグギョンに拾われることはなかった。

「司憲府の持平だ。急ぎのようで参った!」
グギョンは、城壁門のアーチのそばで旗を持っていた警備兵の顔に、身分証を突き出した。
刺繍入りの青い光沢のある着物と、なすびのような形の帽子を身につけたグギョンは、かなりの地位のある役人に見えたはずだった。
それでも警備兵は、ひるむどころか、き然とした態度を崩そうとしない。
「許可証をお見せ下さい。今日は儺礼戯があるので許可証がなければ宮殿には入れません」
警備兵は忙しそうに大声を張り上げ、後ろの仲間に門を閉めて中に入るよう指示した。いよいよ儺礼戯が始まるらしい。
グギョンはハッと顔色を変えた。中に入れないということは、花火の爆発も止められないということだ。
しかし次の瞬間、城壁の大扉は無情にも、グギョンの鼻先でバタンと閉められた。

王様と中殿が、御馳走の並んだ長いテーブル席に姿を現した。ひな壇下段のサン達や侍従、ムシロ席のジェゴンやソクチュらも、腰を上げて王様に頭を垂れた。
予定通り、石段を挟んだ下段の右側に、ファワンとサンの弟達の計3名が、左側に恵嬪、嬪宮、サンの3名が並んでいた。
「始めよ」
王様は言った。
巨大な太鼓がドーンと三度鳴り、ついで石段の下に設置された8台の大砲から、それぞれ祝砲があがると、カランカランとおはやしの音色が風に吹かれるように聴こえてきた。
出席者たちの目は、ムシロ席に四方を囲まれた広場の中央へ集まった。
皿を回す芸人と、円を描くように白いリボンを振る芸人がいる。その周りで、頭からこぼれそうなほど大きい花笠をつけた男らが、腰の太鼓をたたいた。

禁軍随一の射撃の名手たちの実演は、もう日が暮れかけた頃になった。
2列の兵が、御殿と反対方向に銃を構えた。ムシロ席の後方に吊り下げられたひょうたんに、銃弾が次々と命中して、水しぶきを散らしながら砕け散った。残った部分は、ひもの先でぶらんと大きく揺れた。
王様と中殿は、満足そうに顔を見合わせて微笑んでいる。
それに比べてムシロ席で兵士の動きを見つめるフギョムの表情は、どことなく重かった。
とにかく暗殺は中止になったのだ。
しかしフギョムの心には、まだ引っかかるものがあった。
何百人といる公の前での暗殺など、無謀と考える方が自然だろう。
でもそうした常識が、野獣のようなキム・ギジュに果たして通用するだろうか・・・

やがて射撃兵の隊列は、銃をおさめるように縦に持つと、冷たい息を吐きながら、ざっざっと、一般兵らが配置された門前の定位置まで戻り、足踏みを止めた。
デモンストレーションが終わったのだ。
ナムは、ホッと息をついて、ジェゴンにささやいた。
「今回は取り越し苦労だったようですね。夜の花火が済めば儀式は終了です・・・」
「何事もなくてよかった」
ジェゴンは厳しい目線を広場に残したまま頷いた。彼の着物の胸についた大きな刺繍の紋様に、夕日があたって金色に光った。

広場の見世物は物々しい演習風景から、艶やかな踊りへと変わった。
袖から色とりどりのリボンを何本も垂らした女達が、両手をあげて花のようにクルクルと舞っている。
中華人のようなナマズ髭の面をかぶった男らが、チャルメラ楽器隊の演奏をバックに踊りはじめた頃には、辺りが薄暗くなった。
ファワンが王様の席に近づいて、声をかけた。
「もうすぐ花火が見られますね。今年は見世物が多く実に愉快です」
「皆も大いに楽しんでいるようで、私も嬉しく思う」
弘化門での惨劇のこともあり、儺礼戯の開催に難色を示していた王様は、すっかり満足した様子だった。

辺りが真っ暗になると、とつぜん火のついた矢が左右から飛び交い、広場の中央の高い聖火台に燃え移った。
火花は円盤状に広がって、雨のように地面へと降り注いでいく。
それを合図に、次々と夜空に花火が打ち上げられた。笛の音を響かせながら、蜘蛛の子を散らすように火花が散ったかと思うと、今度は色とりどりの丸い光が菊花模様に長く垂れた。花火を鑑賞しに城壁の周りにたかった民衆らは、弾け散る乾いた音に酔いしれた。

その頃グギョンは画員の許可証を使って何とか宮殿に入り、中門のバルコニーから広場を見下ろしていた。会場内への立ち入りは厳しく禁止され、なす術もない状態だった。
王様と中殿が席を立ち、いよいよ巨大な火鉢に、火のついた棒を入れたのを見たときには、グギョンの顔はすっかり青ざめた。
グギョンの隣にはテスもいた。テスは会場内への進入は絶対ダメだという生真面目な警備兵を、とっさに殴り倒して、銃を奪い取った。

ムシロ席からフギョムが見つめているのも、やはり同じ火だった。嫌な予感はいまだ消えない。いつのまにか激しい雪が降り始めて、フギョムの肩を白くしていた。
導火線は予定通り箱をつたって下段へおり、右側の3番、4番へと移動していった。
やがて左方向へと火が伸び、7番の箱から豪快に吹きあがった火花が、嬪宮の笑顔を照らし出した。
サンは待ちかねたように目の前の8番の箱に目をやった。
次の瞬間、一発の銃声がして、サンの席に一番近い大きな花瓶が砕け散った。
大爆発が起きたのは、サンと恵嬪たちが銃声にびっくりして席から離れた直後だった。
整然とムシロが敷かれた広場は、逃げ惑う人々で、ごった返した。黒々とした爆風が押し寄せ、破片が大量に降り積もる。王様をはじめとする王族たちは、おつきの者に腕を抱えられ、席をあとにした。
フギョムの不安な目は、ひな壇に注がれていた。爆発の犠牲になって倒れた者が何人かいる。王世孫か・・・。いや違う。フギョムは愕然とした。

2010/1/10



韓国ドラマイ・サンとは

時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...