王様が白い寝間着で、長枕を置いた寝床に座っている。
特別に用意された赤いチョゴリに身を包んだソンヨンと2人きりだった。
ソンヨンは、床に広げた紙の上に覆いかぶさるようにして、筆を走らせていた。
2本の太い枝から、さらに細かく線を枝別れさせ、筆の先で春の芽をつけた。淡いもの、濃いもの、ピンクの梅の花びらが枝いっぱいに浮かんだ。
王様に見つめられているような気がして、ソンヨンはふと筆を止めた。藤色のスカートが長く床に流れるソンヨンの姿は、横たわる人魚のようだった。
しかし王様はソンヨンではなく、じっと絵に見入っていた。その表情はとても寂しそうで、疲れてもいた。
最後にソンヨンが枝と同じ色で、外側へ向かって筆を払い、1本ずつ花弁を描き込むと、梅の図は完成した。艶やかでありながら、心落ち着ける風合いでもあった。
「よく似ている。死んだ息子の描く梅花図とそっくりだ…」
王様は首を垂れたまま、梅の花をしみじみと眺めて、微笑んだ。
この女の腕前は他の画員にも引けを取らない… とそんな風にも思った。
しかし華やかな梅の花を映した王様の目の奥には、苦悩がにじんでいた。
決して中殿を許したわけではない。一生、中宮殿に閉じこもって、残された人生を死人として生きよと告げたのだ。
王世子サドを殺した過ちを、再び繰り返すのではという恐怖が、皮肉にも中殿を救わせることになった。
しかしどうだろう。王世孫が自分に見せたあの恨めしい目は…
それが王世孫にとって、どんなに酷なことか、王様はよくわかっていた。
それでもなお、自分の死後に、王世孫が中殿を生かし続けてくれたらと、願わざるをえない。今はただつくづく、王世孫に申し訳ないと思うばかりだった。
同じ頃、内官や侍女らは、バタバタと駆け足で庭や渡り廊下を行ったり来たりしていた。
嬪宮のおつきの女が、どこかからか血相を変えて戻ってきて、王世孫が行方不明になったのだと尚宮に耳打ちした。護衛もつけずに、こんな夜更けに1人で宮殿を出たことに、誰も気づかなかったらしい…
尚宮は険しい表情で、控えの宮女が数名立っている嬪宮の部屋の前に目をやった。まだ騒ぎを知らないのだろう、障子越しに灯った明かりが、ひっそりしていた。
薄らと夜が明けはじめた紺色の空に、細かい枝葉が 影を落としている。その木々の下には、 円形に盛られた芝土が青白く浮かんでいた。
花模様の石台に築かれた墓は、無念の死を遂げた王世子サドのものだった。
サンはその前に、ひざまずいていた。
米びつのわずかな隙間から絞り出す父の最後の言葉と、そのそばにすがって泣いた幼い自分の声が、耳に響いていた。
(サン、誰かを恨んではならぬ。怒りと憎しみで身を滅ぼしてはならぬぞ…)
サンを探しに丘をのぼってきたナム尚洗は、そのときサンがお墓にうずくまるようにして、むせび泣いているのを見つけたものの、しばらく声をかけることはできなかった。
ソンヨンが昨夜、王様の寵愛を受けた、またはソンヨンが王様の寝所で夜のおとぎをしたのだという言い方をする者もいた。
大殿から王様の使いの男女数名が、図画署へ訪ねて来たとき、いよいよその噂は本当だったと、図画署の誰もが思った。
ソンヨンがパク別提に呼ばれて小屋へ顔を出してみると、パク別提のそばで、王様のおつきの男と尚宮がソンヨンを待っていた。いつもの小屋なのに、どこか華やいだ空気が漂っていた。
おつきの男は、テーブルの上で風呂敷包を解いて、王様からの贈り物を見せた。その口調は、眠った気分を揺り起こすほどに、はつらつとしていた。
「昨夜描いた絵に対する褒美だ。王様は大変お気に召したようだ」
いつかソンヨンは、宮殿の倉庫にお宝のように並んだ画材用具を、うっとりと眺めたことがある。
そしていま目の前には、それにひけを取らないほど立派な、清の皇室で使われる端渓硯というすずりが置いてあった。
給仕の女は、庭のかまどで酒をあたためていた。古びた夫でもいそうな女だった。
さっきからしきりに振りかえっては、縁台であぐらをかいている若い男性客のことを気にして見ていた。
男は黒いつばの帽子を脱いで、1人で酒を飲んでいる。服はこぎれいな方だが薄着だった。
女はついに思いきって男のそばに駆け寄り、暖かい部屋へ入らないかと誘いをかけた。
「結構だ。部屋よりもこの胸の方が熱い」
男が眠そうな目をして答えると、女は大胆にも、男の胸元に手を入れて喜んだ。
「あらま、本当に熱いわ! 私の体もほてってるのよ」
男が文句を言わないのをいいことに、女はますます体をしならせて、部屋へ入らないかともう一度誘った。
しかし男の方は、軽く冗談を吐いて女を喜ばせては、やっぱり酒ばかり飲んでいる。酔っぱらっているわりに、心底酔えていないような風だった。
テスとソンヨンを連れ、ナム尚洗が現れたとき、その男の表情がパッと明るくなった。
ナムは男にべったりと寄り添う給仕の女に向かって、小声で忠告を入れた。
「その方は王世孫様だ…」
女は大慌てで地面にひれふし、一目散に店の奥へと逃げていった。
サンはテスとソンヨンに、縁台へ座るよう誘った。でも2人が戸惑ったように立ちすくんでいるので、一人で酒を飲みながら、ときどき微笑んだり、冗談交じりに2人に愚痴を呟いたりしたのだった。
「これまで幸せだったのは3人でいた時だけだ。友に会うのに場所など、どうでもいいだろう。ソンヨン、なぜ泣くのだ。そなたたちは、よく泣くなぁ…。私は涙さえ枯れてしまったのに」
翌日、恵嬪の部屋をとつぜん嬪宮が訪れたのは、昨夜、夫が1人でまた宮殿を出て、泥酔して戻ったという知らせを聞いたからだった。
「まさかっ…!」
嬪宮の話を聞いた恵嬪も、随分驚いて大きく息をのんだ。
まもなくナム尚洗が、恵嬪と嬪宮が東宮殿に訪ねてきたと、サンにうかがいをたてに来た。
卓上机で考えごとをしていたサンは、我に返ったように顔をあげ、2人を部屋へ通すように言った。
「あなたの気持ちは分かります。行き場のない憤りを抱えていることでしょう。でも、どうか自分を大事になさいませ…」
恵嬪は、サンを責めるというより、心底心配している様子だった。
「恐れ入ります、母上。情けない姿をお見せして申し訳ありません…」
サンは静かに答えた。
嬪宮は夫であるそんなサンの姿を、どこか恨めし気に見つめていた。
疲れた顔を見せない夫…。それどころか自分に顔をしかめたことさえ一度もない。
いつも温かい笑顔を向けてくれるのに、どこか寂しい気持ちがするのも本当だった。
次の日から、サンに忙しい日々が戻った。
爆発事件で敵の輪郭は見えたものの、全容を把握するには至っていない。
王様の強い希望もあって、老論派の実体を暴き出すこと、そして王様もほとんど成果をあげることの出来なかった公平な人材登用の実現と、滞っている清との貿易を正常化する計画を、一気にスタートさせたのだ。
「11月に派遣する冬至使は特別な使節団とする。特に毛皮や人参などの輸出品目と絹や紙などの輸入品目の数量に関して合意を得たい」
サンの指示を受けて、グギョンとジェゴンも再び動き出した。
フギョムは、しばらく御殿に顔を見せなかったことを、まずファワンに詫びた。
事態は思わぬ方へ転んだ。どちらかというと良い方向のように思えた。
「母上の望みは何ですか?」
王世孫を廃位させ、摂政の座を狙った中殿の計画が水の泡となって、今後の自分たちの行方が気になっていた。
「そなたは王になる素質を備えている」
ファワンは鋭い目つきで即答した。前から頭の中に計画はあったのだろう。
大きなファワンの期待を噛みしめ、部屋をあとにしたフギョムは、ちょうど執務室から出てきたばかりのソクチュに会った。
爆発事件で罪を逃れたことでホッと息をついたにしては、やけに顔色が暗かった。
事情を聞いてみると、さっきいきなり王世孫に呼ばれて、爆発事件の重要人物の筆頭に、自分の名があがっていることを告げられたらしい。
「捜査は終わっていなかったのだよ…」
ソクチュは重い表情でフギョムに呟いた。
2010/2/21更新
韓国ドラマイ・サンのあらすじサイト。1話~77話(最終回)までと各話ごと揃っています。ネタばれ率100%!小説風に書いているので、ドラマと二度楽しめます。
2017年6月9日金曜日
韓国ドラマイ・サンとは
時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...
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政治シーン 宮中の催事などを絵に記録する図画署が舞台ということで評判になった「イ・サン」ですが、チャングムみたいに物語の中心になっている感じはありません。 むしろ朝廷の闘争争いの方が印象に残りました。王様が主人公だけあって、トンイや馬医に比べて政治シーンが多いドラマです...
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時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...
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王子は目の高さで紙を持ち、背筋をまっすぐにした。1枚読んだら卓上机に重ね、また次の1枚を手に取る。 上奏文や巻物、書物の山は小さな王子をうずめてしまいそうだ。 それでもまだ父上の質問に対する答えが見つからなくて、気分はどうもマンネリになってきた。 もう3日も食事をしていない...