ホン・イナンをはじめとする計5名の大臣が、ソクチュの屋敷に押しかけていた。
朝の政務会で、ソクチュが突然、今まで老論派の独占状態だった重要な地位に南人派を採用し、平等な人事をめざそうと言ったからだった。
ソクチュが王世孫側に寝返ったと思うのも無理はない。
しかしソクチュは渋い表情で、珍しく声を荒げた。
「老論派が無惨に崩れ去ってもいいのですか…? 生き残るのが先決でしょう?!」
ホン・グギョンの調査がこのまま進めば、老論派が一掃されるのは、もう時間の問題だ。事実、重臣と専売商人の癒着は昔からの慣例になっていて、ほとんどの者が金品を受け取っているのだ。
確かに自分たちの首を絞めるこの案は、堪えがたい屈辱ではある…
しかしこれはあくまで取引なのだ。賢い王世孫はそれにちゃんと気付き、応えもしてくれるだろう。
老論派の生き残りのために、 他にどんないい方法があるというのだろうか…?!
ソクチュはそう強く信じて疑わなかった。
だが悲しいことに、この厳しい現実をきちんと直視できているのは、どうも自分一人だけのようだった。
その夜、サンは部屋にグギョン、ジェゴン、ナムを集めて、新たな指示を出した。
「捜査はもうしなくてよい。南人派の登用をジェゴン、商業の自由化推進をグギョンに任せる」
いつまでも後ろを見ていても仕方がなかった。老論派の反発は、吏曹判書ソクチュが抑えてくれる。いよいよ温めてきた政策を進める段階に入ったのだ。
「私はどうもふに落ちない…」
サンの部屋を退出して、執務室に戻ってきたナム尚洗が、ぽつりと漏らした。任務をまっとうすることに気を取られていたグギョンは、少し意外だという顔をして、ナムを見返した。
結局、王世孫の命を狙う敵を、1人も罰せずに終わったのだ。
ファワン…フギョム…そして中殿さえも…
改革を進めるために混乱を避けたとはいえ、怪しい火種が平然とそのまま朝廷に残っていることが、どうもナムには不安なようだった。
王様の様子がおかしいと、大殿の内官から新しい連絡が入り、中殿は女官を連れずに、尚宮と2人だけで大殿へ向かった。ひと目に触れては困る。
何の問題もなく、すぐに部屋へ入ってよいとの許可が出たことで、ホッと息をついた。ちょうど今は、症状が現れている最中らしい。
王様がニヤニヤと嬉しそうに微笑んだ。
いとも簡単に中殿がするりと結び目をほどき、卓上机に巻き物を広げて見せたからだ。
さっきまで腹の虫が煮え繰り返っていたのが嘘のように、これですっきりとした。
なぜ自分には、結び目が上手く解けなかったのだろう…。引っ張れば引っ張るほど、ますますコブは硬くなっていった。こんな些細なことで腹が立つのは、疲れているせいなのではないか。あぁ…中殿が来てくれて本当に良かった。
王様はしみじみ思った。
「王様、いっそこの際、兄を呼び寄せてはいかがでしょう? 王様は兄の豪快な性格を気に入っていらしたではありませんか。裏表がない人なので話していると楽しいと」
中殿が、それとなく王様に話を持ち出した。
彼女の心安らぐような笑みにつられて、王様が嬉しそうに言った。
「そうだったな。あのような豪傑は他にはおらぬ…」
こんな夜に王様が通達を出すというので、都承旨が内官に連れられて部屋にあがってみると、驚いたことに幽閉生活を送っているはずの中殿が、王様のそばに座っていた。
「キム・ギジュを、都に呼び寄せなさい」
王様は言った。
都承旨がうろたえたのも無理はない。王世孫の暗殺未遂事件のまだ草の根も乾かないうちに、流罪となったキム・ギジュを、呼び寄せるとは何かの間違いではないのか…!?
そうこうしている間にも、内官と尚宮が紙と筆をのせた台を、都承旨の前に運び終え、そろりそろりと後ずさりしながら姿を消した。部屋には王様と中殿、都承旨の3人になった。
今、一体ここで何が起きようとしているのか…。中殿がじろりとこっちを盗み見た目の中に、その答えが隠されているのだと都承旨には思えた。
「都承旨、何をしている。王様の仰せだ」
中殿に厳しい口調で急かされて、都承旨は慌てて筆を握った。
王様が通達の文句を言いはじめようと、まんざらでもない顔で都承旨の手元に視線を落とした。
無事とは思うが心配だ…。ソンヨンが不自由をしていないか調べて欲しいとサンに頼まれて、テスは今、清の地にやって来ていた。
商店街の人のうねりがずっと奥まで続いている。走り出したテスのかかとが、石畳のタイルの浮いた部分を勢いよく踏んで、泥水を跳ね上げた。
アーケードの終点から裏通りへ入る道沿いに、小さい窓が並んだ長い石壁があった。
案内役の毛皮帽を被った男が、ここだと小さく頷いて見せたので、テスは飛び越えるようにして、壁門をくぐっていった。
工芸部屋に通されると、いよいよソンヨンに会えると思い、ワクワクした。
ところがソンヨンの代わりに現われたのは、ナマズひげを生やした面接官だった。随分といばり腐って背中をそりかえらせていた。
以前ソンヨンの通訳も務めたことのある通訳官は、この面接官に事情を聞き出し、今にも泣き出しそうな顔でテスに告げた。
「あの者はここを去ったようです! 新しい方が赴任するなり追い出したとか…。実は最近、政変がありまして前任の監督官が投獄されたのです」
ソンヨンの情報については、10日前に宿屋を出ていったらしいというのが、わかっただけだった。
途方に暮れ、帰国したテスから噂が伝わり、ソンヨンを心配する声が次々にあがった。
「なぜすぐに知らせないのですかっ! 私があれほどきちんと面倒を見ろと言ったのに!」
ソンヨンを清に行かせた張本人である恵嬪も、行方不明と聞いては気が気ではなかった。
「申し訳ありません。茶母ごときのことと簡単に考えておりました。清に残った者から数日前に届いた知らせでは、しばらく燕京にいたようですが…」
サンの母方の祖父であるボンハンは、やり場のない様子で、目をしょぼしょぼとさせた。
図画署では、先に帰国したタク画員をはじめ、茶母ら20人ばかりが心配して庭に集まった。もしかしたら朝鮮に向かっているのではないかと、チョビがふと口にしたけど、タク画員はそれをきっぱりと否定した。
というのも燕京から船で帰国してみて、あの極寒の中、とても女が一人で歩ける距離じゃないとわかったからだ。
サンの命令を受けて、義州差使が燕京一帯の捜査にあたった。
捕盗庁のような機関で人捜しの専門家がいるという清の錦衣衛にも、協力を依頼した。
サンは、テスが清から持ち帰ってきたソンヨンの風呂敷包を卓上机に広げた。
宿賃の代わりにと、ソンヨンが置いていった物らしい。きっと一文も金を持っていなかったのだろう…。かごの中には、色あせた下敷きとすずり、水ボールが2つと毛の乾いた筆が数本入っているだけだった。
夜更けになって、とつぜん嬪宮がサンの部屋を訪れ、涙で目を赤くして、さめざめと夫に告白した。見ているのが気の毒になるほど、後悔した顔だった。
「ソンヨンは進んで清に行ったのではありません。二度と戻れないと知りつつ、追われるように行ったのです。恵嬪様があんなことをされたのは、私を思ってのことです。ソンヨンを遠ざけるのが、王世孫様と私のためと思われたのです…」
質素なチョゴリとチマを身につけて、とぼとぼとソンヨンは歩いていた。手持ちの荷物は風呂敷包1つだった。
ソンヨンが下ってきた道には、薄茶色の荒れ山が広がっていた。これから進む先にも同じ景色があった。白い空と地面に挟まれて、ソンヨンは背丈ほどもある枯れ草の細い道の中を、ただひたすら歩いた。歩いても歩いても延々と続く荒れ山が、ソンヨンの小さな体を飲み込んでいった。
ようやく町の通りにたどりついたとき、意識はもうろうとしていた。それでもコクリコクリと首をうなだれ、足を引きずるようにして歩いた。
地面が大きく揺らいだように見えたのが最後だった。ソンヨンは糸が切れた人形のように、ぱったりと倒れた。
家々の軒先が並び、普段ならそれなりに人通りのある場所のはずだった。薄っすら雪の降り積もった地面のあちこちに、黒く透けた足跡がついていた。
しかし再び降り始めた雪が、その足跡さえも、消そうとしていた。ソンヨンの背中にゆっくりと雪が舞い落ちる他は、時間が止まったように今は静かだった。
地面の雪が横たわるソンヨンの体と頬を冷やした。足元に転がった風呂敷包から、いつかサンに貰った筆先がのぞいていた。
2010/3/27
韓国ドラマイ・サンのあらすじサイト。1話~77話(最終回)までと各話ごと揃っています。ネタばれ率100%!小説風に書いているので、ドラマと二度楽しめます。
2017年6月9日金曜日
韓国ドラマイ・サンとは
時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...
-
政治シーン 宮中の催事などを絵に記録する図画署が舞台ということで評判になった「イ・サン」ですが、チャングムみたいに物語の中心になっている感じはありません。 むしろ朝廷の闘争争いの方が印象に残りました。王様が主人公だけあって、トンイや馬医に比べて政治シーンが多いドラマです...
-
時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...
-
王子は目の高さで紙を持ち、背筋をまっすぐにした。1枚読んだら卓上机に重ね、また次の1枚を手に取る。 上奏文や巻物、書物の山は小さな王子をうずめてしまいそうだ。 それでもまだ父上の質問に対する答えが見つからなくて、気分はどうもマンネリになってきた。 もう3日も食事をしていない...