2017年6月9日金曜日

イ・サン36話「愛しき友」

ソンヨンが瀕死の状態で見つかったとの知らせを聞いて、サンは町の診療小屋へ馬を飛ばした。
行ってみると、テスと町医者が小屋の外でサンを待っていた。
テスと医者が遠慮したので、サンは一人で小屋へ入った。
ソンヨンは静かに寝かされていた。せんべい布団1枚を敷くのがやっとの狭さで、すぐ足元には、薬ダンスが置いてあった。
薬草袋が鴨居から何個もぶら下がり、床の間の棚の木箱には、薬草が仕分けられている。
「ソンヨン…ソンヨン…」
サンのすがるような声は、ソンヨンには届いていないようだった。ソンヨンはすでに虫の息だった。
サンは実感を確かめるように、オロオロとソンヨンの手を両手で握りしめた。
ソンヨンの額や頬には転んだような痕があった。唇は腫れたように荒れ、目のふちは、ほんのりと赤黒かった。汗だくで、髪の毛が頬に張り付いている。それでもあの懐かしいソンヨンには違いなかった。
気が付いたら夢中でソンヨンを寝床から抱き起こしていた。大切な物を放すまいと、頬が潰れそうなくらい強く抱きしめた。それでもソンヨンの小さな体は、ただぐったりとしていた。

宮廷の医官と医女を連れて、ナムが町医者の診療所へ駆け付けた。
診療にあたった医官は、ソンヨンの脈の数をじっと数えて、サンに告げた。
「町医者の言うとおりです。脈が取れないほど気力が衰えています…」
医官は王世孫と目を合わせるのを避けた。それほど回復は難しいようだった。
医官が去り、医女が小屋の前で薬材を煎じはじめると、サンは眠ったままのソンヨンと、ずっと2人きりになった。

外が暗くなりかけた頃、サンが、いったん政務状況を聞くために、小屋の外に出て来た。
ナム尚洗は、会議にチェゴンが代わりに出席したこと、ホン・グギョンが、人事の件を検討中だということを手短に伝えたあと、ちょっと硬い表情で聞いた。
「明日の政務報告は、いかがされますか…?」
これ以上、王世孫が仕事に穴をあけるのは、まずいと思ったのだろう…
しかしサンはきっぱりと言った。
「まだ宮殿には戻れない。ホン・グギョンに戸曹の者と協議するよう命じよ」
ナムは正直、驚きながらも、諦めたように深いため息を漏らした。
王世孫が泊まり込みで看病する気でいるのを、やめて欲しいと説得するのは、無駄だとわかっていたからだ。
宮殿に戻るナムのために、テスが気をきかせて馬の縄を軒先の柱から外してくれた。テスもこれから出勤するところだと言う。
そのテスの表情が、ナムの目に切なく映ったのは、子供の頃からソンヨン一筋だったのを、知っていたせいもある。テスはずっと遠慮して、小屋の外へいた。
「王世孫様がそばにいたら、あいつきっと目を開けますよ。私には分かります。王世孫様に会いたい一心で、やっと帰ってきたのです。だからそろそろ王世孫様にも、あいつの気持ちに気付いて欲しいんです。何も変わらないだろうけど、それでも分かってやって欲しいんですよ」
テスが言った。

サンはソンヨンの額に替えのおしぼりをのせて、首筋の汗を拭き取ったあと、そっと耳をそばだてた。ソンヨンの唇が微かに揺れている。何か喋っているように見えたものの、息が漏れているだけだと気づいた。他に聞こえるのは、たらいの水音くらいだった。
ソンヨンは夢を見ていた。
夢というより思い出したくもない厳しい現実の記憶だった。やっと辿りついた清の検問所では、うんざりするほどの行列が待っていた。それを通過したら、今度は超えなければならない荒れ地がいくつも広がっていた。
物騒な裏通りにうずくまって、夜を明かした。酔っぱらいが目の前を通り過ぎる間、息を殺して身を縮めた。
あんまり心細くなって、ソンヨンはそのとき思わず呟いたのだ。
「王世孫様…」
おしぼりを水に浸していたサンは、ハッと振りかえった。 今度はちゃんとソンヨンの声が聞こえた。指先もぴくりと動いている。
「誰かおらぬか。誰か来てくれ。誰か!」
ぼんやりと開いたソンヨンの目に、小屋の外に向かって怒鳴りつけるサンの背中が、一番に映った。
「王世孫様…。どうしてここにおられるのですか…」
ソンヨンが、枯れたような声でささやいた。
「言わなければ分からないのか。そなたの姿を見て、どれだけ心配したと思っている。どこまで愚かなのだ。分からないか…? そなたが去ったあと、残された私は1日たりとも心休まる日はなかったのだ…」
サンが泣きながら答えた。

「王世孫様はだいぶ前に出かけられ、お戻りになっていません。医官を呼ばれたそうですが、内医院でも理由がわからないとか。どうやらただ事ではなさそうです…」
尚宮の報告を聞き、サンの母、恵嬪は肩で大きく息をついた。
サンは一体どこで何をしているのか…。国一番の医術を持った医官を呼び寄せたというのだ。よほどのことがあったに違いない。 嫌な予感がした。

意識が戻ったソンヨンを診察した医官は、気つけ薬と附子理中湯で体力を補うようサンに言い残して、小屋を去っていった。
日がだいぶ高くなった頃、サンは東宮殿に戻ってきた。御殿の前に並んだ内官と尚宮が、あたふたした顔で、サンの方へ寄ってきた。
「お部屋で恵嬪様がお待ちです…」
部屋に入ると、身動き一つせず、主人のいない空席をじっと見つめている恵嬪の背中がサンの目に映った。
サンが座席につくのをじりじりと待ったあと、恵嬪はトゲのある口調で聞いた。
「どこに行っていたか聞いてもいいですか?」
「ソンヨンを、見つけました…母上…」
サンは何か考え事でもするように、ゆっくりと声を吐き出した。 留学の経緯を知って、どこか母親を恨んでいるような顔つきでもあった。
しかし恵嬪は引き下がらなかった。
「あの者に罪がないという考えは間違いですよ。その証拠に、今日もあなたは国事を放り出し、あの者のそばにいました。正直に話して下さい。あの者に関して母が抱く不安は、本当に誤解にすぎないのですか…?」
恵嬪に疑問を投げかけられ、サンはふと、何かに目覚めたような目になった。
そして胸に浮かんだその正直な気持ちを告白した。
「誤解ではありません、母上。これまでは気付いていませんでしたが、どうやら母上がお考えの通り、私はあの者がいとしいようです…」

嬪宮が、東宮殿の前室でぴたりと足を止めた。
夫が恵嬪に淡々と話す声が、偶然、障子越しに耳に入った。息が止まりそうなほど動揺した嬪宮は、おつきの女を連れて、こっそりと自分の部屋へ引き返した。
夫が嬪宮の部屋を訪ねてきたのは、その晩のことだった。
しくしくと泣きたい気持ちを隠して、できるだけの笑顔で夫を迎えた。
サンは嬪宮が空けてくれたピンクの座椅子に、あぐらをかいて座り込み、用件を言った。
「嬪宮…。ソンヨンの件は嬪宮も気がかりだったろう。自責の念をそなたに抱かせたのは私の責任だ。申し訳なく思っている…」
嬪宮の顔色が曇った。夫の口から出たのは、謝罪の言葉だった。将来、王になろうという夫を支えるどころか、こうして余計な心配をかけている…
夫の心を和ませたり、笑わせたりできない自分の無力さが、惨めで、悲しかった。

ソクチュが大臣たち同士で、会議を開いていたとき、ホン・イナンが、息もつけないほど慌てた様子で駆けこんできた。
「ここにおられたか! どういうことですっ。なぜキム・ギジュが赦免されたのです?」
ホン・イナンは、まるで鶏を後ろから急かすみたいに、手の平をパチパチとソクチュに向けて鳴らした。
「左承旨が赦免されただと…?」
ソクチュは、ホン・イナンに比べたら、ずっと落ちついた声で言った。しかし気分はふさぎ込んでいた。もしホン・イナンの言うことが本当だとしたら…。
せっかく道筋が見えかけたと思ったところなのに、また風向きが変わるのだろうか…?

王様は一人、寝床で考え込んでいた。
今日は、さっぱりわからないことだらけだった。
なぜキム・ギジュが赦免されたのか…? 都承旨の話では、通達を書かせたのは、他でもない自分だという。内宮もそばでそれを見ていたと証言した。
通達には王の印もあった。偽造したものでないことは確かだ。
王世孫も、かなり戸惑ったのだろう。キム・ギジュを赦免にした理由について、大殿まで理由を聞きにきた。
しかし王様は何も答えることができなかった。本当に身に覚えがなかったからだ。
「尚膳はいるか…?」
王様は、障子の外に控えているおつきの男に、御医を呼ぶように声をかけた。
てっきり年のせいだと思っていた。だが自分のしたことも忘れてしまうなんて、確かに度が過ぎるではないか…!
王様の脈をとり、診察を終えた御医は、急にオロオロとうつむいた。
「申してみよ。何の病だ。なぜ何も言わぬ…」
王様は御医をじっと見た。

2010/4/9

韓国ドラマイ・サンとは

時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...