2017年6月9日金曜日

イ・サン3話「王への第一歩」

野次馬達が慌てて道を開けた。
その中央を二頭の早馬が駆け抜けていった。
馬は王様の目の前で止まり、男がすっと降り立った。

「世子様がお亡くなりになられました……」

王様はその訃報を耳にすると、サンの首根っこから急に手を放した。

「サンの処罰はなかったことにする……」

そばにいた家来へ小声で告げて、そのまま黙ってコシへと乗り込んだ。

王様の一行はサンをその場へ置き去りにし、まるで何事もなかったように去って行った。

民衆達は再び道をあけ、コシに向かって頭をさげた。


輿の中の王様はまっすぐに前を見つめていた。
しかしなぜか景色がぶれて見えた。それはコシに揺られているせいだけではないのだろう。

今日がどれほど暑かったことか……
あの窮屈な米びつの中で、骨が透けるほどに痩せ、息を吸うのもままならなかった息子の姿が目に焼きついて離れなかったのだ。


喪中の間、サンは母さんの実家で、ぼんやりと日々を過ごした。
白衣姿で庭先に腰掛け、目の隠れた毛むくじゃらな犬と子犬を眺めていた。
特に宮中へ帰ろうとか、王様に謝ろうとか何も思い浮かばない。ただサンの耳には、あの晩の父さんの声がひたすら蘇っていた。

「行くんだ。ここにいてはダメだ。そなたを死なせるわけにはいかない。早く帰るんだ」

時敏堂に忍び込んだあの晩、サンの身を心配して父さんは言った。

やっぱり宮中に帰らなければいけない。
生き残るためには、自分が王様になるしか……!

サンは決意した。
父さんの死がそれを教えてくれたのだ。


宮中への道のりは長く、途中で日が暮れかけた。
サンはコシの窓にひじをもたれて何気なく顔を出した。
文人風の男やら百姓達がハス畑の前で立ち止まって、サンに向かって会釈している。

風景画のように流れていくそれらを眺めていたサンは、急にハッとした。
ソンヨンとテスが、途方に暮れたような顔をしてコシを見つめていたのだ。


サンはもうたまらなくなって、すぐにもコシから降りて走った。
宮中に戻ったらもう二度と会えないとわかっていたからだ。二人にはお別れを言うつもりだった。

久しぶりに会ったソンヨンとテスは、変わらず元気だった。でもサンが王様の罰を受けるのではないかと、随分と心配したらしい。

「王世孫様が宮中から出られないなら、私達が会いに行くわ! 必ず行きますから、そのときまで無事でいてください!」

ソンヨンはサンを何とか励まそうと無邪気に宣言した。

サンも二人の顔を見て目を潤ませ、すっと小指を差し出した。

「必ず会いに来てくれ。親友との約束だ。何があっても必ず守る。きっと生き延びてみせるから指きりをしよう……」


宮中に戻ったサンは、母親と一緒にさっそく王様の部屋にあがった。でも王様はサンに話があるらしく、恵嬪宮を早々に退室させてしまったのだ。
王様と二人きりになってしまい、サンは何だか居心地が悪かった。

王様のデスクには、巻物がてんこ盛りになっている。民の前で恥をさらしたサンの廃位を願う上奏文の数々だった。

「この上奏に何と答えようか?」

王様は少し試すような目つきでサンに聞いた。

しばらくの間、沈黙が流れた。でもようやく何か決心したようにサンが重い口を開いた。

「私を廃位しないでください。生きることで孝行をし、友との約束も守りたいのです。世孫にふさわしいことを、王様と上奏した者たちの前で証明いたします。いかがですか?」

王様はサンをまじまじと見つめた。
街で会ったときのサンは、汚い着物を着て実にみすぼらしい姿だった。それに比べて今はどうだ。孔雀の羽がプロペラみたいな帽子を被り、高貴な紫の着物に身を包まれている。
だが一体、世の中の何を見て、この自信ありげな顔で取引を口にしているのだろう。

「こざかしい。実にこざかしい……」

王様は思わず呟いた。


まもなく家臣が集合した会議場で、サンの処分が読み上げられた。

「罪人を庇護し、軽率な行動で王室の尊厳を損なった罪は重大である。しかし王世孫は未熟であるので、罰の代わりに教育を行う」


この他にも東宮殿へサンの住まいを移すこと……
さらにはサンの教育係と護衛官の昇進が発表されるや、家臣達の間にざわめきが起こった。
この決定はサンを世子の代わりとして認めることを意味するものだったからだ。


連日サンの廃位を求める抗議の声が、宮中の庭のあちこちに響いた。サンの教育は嵐が吹き荒れるなかで、それでも淡々と進められた。

ある夜のこと、王様はふらりとサンの部屋に立ち寄った。月と灯篭の明かりだけの、ドアのない風通しの良い座敷で、ちょうどサンが二人の教育係を前に、論語の顔淵編を暗唱しているところだった。

縁側に近い方の床に座り込んで、元気な幼い声に耳を傾けていた王様は、突然口を挟んだ。

「それは政治とは何かを論じた文だ。では政治とは何か答えてみよ」


「根を正し、木を育てることです。根を正すとは、国家を治める王が聖君であること。聖君とは民の願いを知ろうとする王です。父上の遺言通りに立派な聖君になることが……」


迷うことなくハキハキと言いかけ、サンはハッとした。父さんの話がつい口を滑ってしまったのだ……

しかし意外にも王様は気にせず質問を続けた。


「では民の願いとは?」

サンは困って口ごもった。実を言うとそこまでまだじっくり考えたことがなかったのだ。

すると王様は急に立ち上がってスタスタと部屋を後にした。その背中がひどく怒っているように見えた。


サンはその日から夜なべで勉強を開始した。三日後にもう一度、王様に同じ質問をされることになっていたのだ。
書物を読みあさり、何千という民の上奏文に目を通した。
民と同じ貧しい食事まで口にしてみた。
でもどうした訳か、やっぱり答えが出てこない……
三日後、ついにサンは巻物の山の中にうずくまって途方に暮れてしまった。


王の手には王室の財産を管理するための一冊の台帳が握られていた。
なんとそこには東宮殿の予算三千両を、サンが早くも使い果たしたと記録されていた。

その金の使い道を王様が知ったのは、王世孫の身分を没収するとすでに決定した後のことだった。
庭を歩いていたら、部下が何やら腰を深く曲げながら駆けてきて、小さなノートを差し出してきたのだ。

王様はページをめくって、思わず息をのんだ。

三千両もの金が、清に身売りされかけた身寄りのない子供達を救出するために使われたとある。

それならそうとなぜ自分の手元に、子供達の上奏文が届いてないのだろうか?
子供たちが恐ろしさに手を震わせながら書いたというのに……!
その理由を家臣達ときたら、忙しさのせいにするばかりなのだ。

サンの身分を回復するにあたって、王様はチェ・ジェゴンを部屋に呼び出した。
彼は亡き王世子の忠臣で、今はサンの教育係を担当する男だった。

「聖君のすべきこととは何か?」

王様に聞かれたチェ・ジュゴンは、少し恐縮したように答えた。
「民を慈しむ心を持つことです……」

「サンをよく教育してくれているな」
チェ・ジュゴンの回答にすっかり満足した王様は、彼にねぎらいの言葉をかけてやった。





2008/11/7 更新



韓国ドラマイ・サンとは

時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...