ここは回廊の高床式舞台である。ご婦人方の笑い声が、板間と天井に跳ねかえって、よく響く。招待客らは、上座の中殿、恵慶宮、元嬪をコの字に囲んで、2名ずつゴザに座った。
中殿らのそばには、尚宮3名が控え、10名ほどの女官が、朱色の柱を背にして、寄りかたまるように立っていた。その向こうに、ぽつん、ぽつんと鉛筆型の小さな休憩所が2つ見える。華々しい笑い声とは裏腹に、どこかぼんやりとした景色だった。
それぞれのミニテーブルには、柏餅とお茶が用意された。
小鳥が鳴き、一見、のどかな時が流れているようだったが、サンの妻、中殿の心は沈みがちだった。
しかし暗い気分でいることさえ許されないような強い雰囲気が、この場にはあった。
晴れ晴れとした笑顔の恵慶宮と元嬪に、黄色い花かんざしで後ろ髪をまとめた年増の女が、代表でお祝いを述べた。
「本当におめでとうございます。待望のお世継ぎですもの。元嬪様のおかげで恵慶宮様も安心されたでしょう」
会が終わってすぐ、中殿は早々に舞台をおり、前庭を歩いた。
賑やかな気配がして、ふと舞台を大きく見上げてみると、元嬪がちょうどご婦人方と楽しそうに、柵のついた舞台の端へ姿を現した。
ご婦人方は、手にした貴重な贈り物を、競うように元嬪へ見せていた。
済州の蜜柑の他、咸陽から取り寄せた薬というのは、男児を産むためのものらしい。
元嬪はひとまず満足な顔をしたものの、実のところ関心は別にあった。
ちらりと舞台から中殿を見降ろし、聞こえよがしに言ったのだ。
「お気遣いありがとう。王室に世継ぎがなく、皆も心配しただろう。子も産めぬようでは皆にあわす顔がない」
言い終わると、さっそうとご婦人らを連れ、お茶を飲みに舞台の中程へ戻っていった。
中殿は、みじめな気分になった。
ソンヨンは、ふっくらとしたザクロの実を紙に5つ描いた。右の枝に2つ、左の枝に3つ。桃色に塗り、閉じ口とお尻を淡い赤色にした。下書き用に、枝の色は影のように薄く、軽めに仕上げた。
チョビと一緒に、下絵を見せに、元嬪の部屋へあがった。
元嬪が蓮の花の絵を嫌ったため、多産と豊穣の象徴であるザクロに変えたのだったが、妊娠がわかった今、元嬪は、もはや絵に対して興味を失っていた。
ちょうど御医が、医官と医女を1人ずつ連れ診察にやって来たので、元嬪の気は、完全にそちらの方へ移った。
御医は、元嬪の手の平を上に向け、じっと脈をとった。しかし何かまずいことでもあったのか、急に汗ばんだ顔つきになった。
「恐れながら、今頃は懐妊を知らせる尺脈が出るはずなのですが…」
御医の口から次の言葉が出てくる前に、元嬪は尚宮に視線をやり、人払いをさせた。
部屋を追い出されたチョビが、細い回廊をぼんやりと歩きながら、ソンヨンに言った。
「様子が変よね。御医が口ごもってたでしょう。脈がなんとか言ってたけど、何かしら…?」
「想像妊娠だったですと?」
その晩、元嬪に急きょ呼ばれたグギョンは驚いて、声をひそめた。
部屋には兄と妹の2人きりだった。
「兄上、どうしたらいいのでしょう? 本当のことは話せません。王様や恵慶宮様の関心を引くために懐妊を偽ったと噂されます。それに中殿様はここぞとばかり白い目で見るでしょう。どうか力を貸して下さい。あとで死産したことにしましょう」
元嬪は悔しそうに涙ぐんだ。
翌、サンの宣旨が発表された。
便殿に集まった大臣らに向け、グギョンが読み上げた一文は以下の通りである。
「奴隷に対する搾取と逃亡者の追跡を、己亥年3月5日をもって禁じ、管轄機関を廃止する。また一定の条件を満たした奴隷は戸籍を破棄し、平民に格上げとする。さらに奴隷の身分を一代に限定し、徐々に奴隷をなくしていく」
グギョンが突然、嘉靖堂に軟禁中の大妃を、王様に引き合わせようと、外に連れ出したのは、この発表の少し前のことであった。
大きな権力を手にしたグギョンの周りには、常に何かしらの噂が付きまとってはいたが、自らそれを認めるような行為に、サンは驚きを隠せなかった。
しかしグギョンは大妃と密かに会っていた事実を、サンの前で釈明した。
「王様。どうか誤解なさらないでください。チャン・テウ様をけん制するためなのです。大妃様は必ず王様のお力になるでしょう。チャン・テウ様を退かせ、老論派を掌握できる大妃様の力を、大いに利用するべきです。嘉靖堂での軟禁を、ぜひ解いて頂きますよう…」
グギョンが大妃と組んだ事実を、裏切りと解釈する者もいた。
グギョンを料亭に呼び出したのは、テスら昔馴染みの部下たちだった。
あまりいい話でないのを予感してか、グギョンは手酌で酒を立て続けに飲み干した。
「まさかと思いましたが、大妃様はいけません。王様を殺そうとした方ですよ」
部下の1人が口火を切った途端、グギョンは、すっと席を立った。少し気に障ったようだった。
料亭の庭まで心配して追っかけてきたテスに、グギョンは悲しげに言った。
「お前も私が信じられないか? 他意があって大妃様に近づいたと思うか?」
「もちろん承旨様に限ってそれはないでしょう」
テスは慌てて否定したものの、今では出世を望む者が、大勢グギョンの家を訪ねているという事実が、どうしても頭から離れなかった。
「そうだ。私は変わった。変わらないはずがないだろう? やっと権力を手にしたのだ。昔のままのホン・グギョンではいられない。だが、分かるかテス? 私は自分が間違っているとは思わない。必要なら誰とでも手を組む。私がこうするのは、すべて王様をお守りするためなのだ」
そのときグギョンはこぶしを震わせて、テスにそう宣言した。
宣旨を聞き終わったチャン・テウが、大臣らを代表し、随分ときまじめな顔をして、サンに質問した。
「王様。左議政チャン・テウが、ひと言申し上げます。私が何を言おうと王様のご意思は変わらないと思われますが、いかがですか?」
「そうだ」
サンは、それがごく自然であるかのように、きっぱりと答えた。
「そういうことならやむをえませんな。王様は国中の両班を敵に回しました。破局に至った責任は、王様にあるのです」
誰を見つめるでもなく、厳しい目を宙へ向けたまま言い終わると、チャン・テウは、とつぜん立ちあがり、便殿を立ち去った。つられるように、他の重臣らも続々と席を立ち、出口へ向けて歩きだすのを、サンは、ただぼう然と眺めるしかなかった。
席は歯が抜けたように空き、場はガランとした。
しかしこれはグギョンの心配が、目に見える形となって現れたに過ぎない。
その苦い思いをひしひしと味わったのは、他でもないサンであった。
翌朝の御前会議は、予定通り辰の刻にて行われた。
サンにとって意外だったのは、ソクチュが工曹判書らを引き連れ、御前会議に参加したことである。
チャン・テウをリーダーとする老論派の重臣の一部は、昨日に引き続き欠席していた。
会議のあと、ソクチュは、その思惑を王様に正直に打ち明けた。
「両班が所有する奴隷の解放を撤回してください。その代わり、逃亡した奴隷の追跡禁止は受け入れます。私たちが両班の反発を抑え、官吏たちを業務に復帰させましょう。王様。天下には2種類のハカリがあるのです。ひとつは是非の秤、ひとつは利害の秤です。王様の改革は正しいものですが、どちらかに偏っては民をまとめられません」
「それがそなたの妥協案か?」
どこか怪しむような目つきをするサンに対して、ソクチュは、むしろすでに問題が解決したかのような安らいだ口調になった。
「さようです。そしてこれは、大妃様の指示でもあります…」
サンの瞳は驚きで見開き、微かな迷いのようなものが現れた。
ソクチュはその足で、テウの屋敷へ報告に行くことも忘れなかった。
「やはり大妃が裏で手を回していたのか。私には従えぬと?」
怒りというより、世の情けなさを嘆くように、テウは言った。
「我々は一度、王様との勝負に負けました。再び正面衝突をしても結果は同じです。譲歩しつつ要求を通すほうが賢明でしょう。朝廷は大きく変わりました。時流をとらえ、柔軟に対応しなければ」
「そういう話はそなたの仕えるメギツネにせよ。駆け引きなどくだらぬ。信念に従い動くのみだ」
テウは意地を張った。内心、ソクチュの言うことも理解はできた。しかし彼はあくまで自分のスタイルを貫き通す方を好んだ。
翌日の午後、重臣を殺害した義狭団の実行犯の処刑が行われ、サンも同席した。
奴隷として一生を過ごした男の不幸な人生を思い、サンは悩んだ。
しかし殺人事件のケリがついたということで、あと1つ、問題を片付けることにした。
処刑場から帰る途中、サンは大妃のいる嘉靖堂に人を送るよう、肩越しに立つナムに指示を出した。
まもなく軟禁を解かれた大妃が、お供の尚宮や女官らをぞろぞろ引き連れ、かつての住まいへと向かう姿が見られたが、その晴れ晴れとした笑顔とは裏腹に、回廊から大妃の姿を眺めるサンの思いは、とても複雑なものであった。
2010/8/29
韓国ドラマイ・サンのあらすじサイト。1話~77話(最終回)までと各話ごと揃っています。ネタばれ率100%!小説風に書いているので、ドラマと二度楽しめます。
韓国ドラマイ・サンとは
時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...
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政治シーン 宮中の催事などを絵に記録する図画署が舞台ということで評判になった「イ・サン」ですが、チャングムみたいに物語の中心になっている感じはありません。 むしろ朝廷の闘争争いの方が印象に残りました。王様が主人公だけあって、トンイや馬医に比べて政治シーンが多いドラマです...
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