2017年6月8日木曜日

イ・サン56話「裏切られた喜び」

ジェゴンの報告によると、奎章閣の直提学の殺害、検書官の襲撃事件の容疑者、ミン・ジュシクを護送中、兵士らが突然、毒矢の攻撃を受け、ジュシクを取り逃したしたとのことであった。
逃亡犯、ミン・ジュシクはチャン・テウの側近である。
チャン・テウがジュシクを逃走させたと考えたわけではないが、サンはグギョンの意気込みを買う形になった。
「王様、捜査の全権を私に委ねられたのを覚えておいででしょうか…? どうか今回の処分は私に一任してください」
グギョンはサンの許可を得ると、宿衛所にすっ飛んで帰って、テスら部下に、嫌疑のある重臣を全員、捕えるように命じた。またその際には、どんな方法を使ってもよいと、付け加えた。

チャン・テウの屋敷には、重臣らが8名ばかり集まった。
卓上机には、さきほど届けられた令状が置いてある。
テウはそれを腹に据えかねたように見つめていた。
「ミン・ジュシクの逃走を助けた嫌疑が我々にかけられているとは、どういうことですか…?」
重臣の一人が身を乗り出して、テウに答えを求めた。
しかしテウは思わず口をねじ曲げて、絶句したのである。
テウには、グギョンがミン・ジュシクを口実に、老論派を徹底的に弾圧する光景が、ありありと浮かんで見えたのだ。

庭先を歩いていて、サンは、御医とグギョンが建物の影で立ち話をしているのを不思議に思った。何か言い争っているようにも感じた。
「御医と一体何の話をしている…? 元嬪の話のようだったが」
声をかけてみると、グギョンは我に返ったような顔をした。どこか後ずさりでもしたそうな目だった。
「それは…。薬の処方についてです。中殿様が取り寄せた薬の効能を御医が疑うので…」
サンは、その途切れがちな返事を聞きながら、グギョンの隣でやけに縮こまっている御医に、ちらりと目をやった。切羽詰まり、悩みごとでも抱えたような顔だった。
「そうか。しかし薬の処方は御医に任せるがいい。そなたも分かるだろう? 腹の子に万が一のことがあれば重大な責任を問われる。これは王室をあげての慶事なのだ」
サンは御医をかばうように、グギョンをたしなめた。

恵慶宮の尚宮は、元嬪の座卓に黒塗りの木箱をのせて、部屋をさがった。ピカピカした貝を使って、表面と側面に細かい模様をほどこした逸品だった。
恵慶宮からの思わぬ賜り物に、元嬪は喜びと悲しみが入り混じったような顔をした。
木箱のふたを取ってみると、鮮やかな宝飾品が目に飛び込んだ。
ヒスイの花ブローチつきの房飾りが3色ほど底に敷き詰められ、その中央に、色とりどりの石の指輪が9つ転がしてあった。
「清から戻った使者がくれた装飾品です。美しい物を身に付けるとお腹の子にもいい影響があるとか…。そろそろ御子を授かってふた月になりますね? 軽い腹痛があるはずですよ」
「えっ? ああ、そうなのです…。その件で御医にも相談しています」
元嬪は無我夢中で返事をした。
恵慶宮は、すっと胸のつかえが下りたように微笑んだが、元嬪の方は生きた心地がしなかった。

恵慶宮のあとには、中殿が見舞いにやって来た。
「腹痛がひどくて大変ではなかったか?」
「腹痛などありませんでした」
「変だな。文醋湯を飲まなかったのか?」
「文醋湯と言いますと…? どんな薬です?」
「懐妊の真意を判定する薬だ。少し前に医女が届けたはずだが…」
「あっ…! ありましたわ。確かに何かの薬を飲んだあと、腹痛が始まりました」
元嬪は顔をカチカチにして無理に微笑んだ。
中殿の尚宮が卓上机に盆を置いて布カバーを払い、中殿がその盆から急須を手にとり、梅茶を注いだ。元嬪はそそくさとそれを飲み干した。
元嬪の目つきが暗いのが、中殿はどことなく気にかかった。
懐妊で神経が過敏になっているのだろうか…?

ソンヨンの描く屏風絵の進み具合を見るため、作業室に入ってきた元嬪は、すでに疲れていて機嫌が悪かった。
作業テーブルには水ボール、絵の具皿を入れた盆など、こまごまとした道具が並んでいる。ソンヨンにいつでも筆が渡せるよう、チョビが横でスタンバイしていた。
紙にまだ色付けがされてないのを見て、元嬪が不満を漏らしたとき、ちょうど部屋に尚宮と女官が入ってきた。
「ホン承旨様が益母草を煎じた茶を持ってこられました。毎日5回、飲まれるようにとのことです…」
女官の持つ盆に、ふんわりと布がかかっている。元嬪はうんざりとなった。さっきからずっと薬ばかりだ。
それでも兄がせっかく用意してくれたものとあって、すぐ尚宮らと一緒に寝室へと戻って行った。
夜にはグギョンが心配して部屋へ顔を出し、元嬪に告げた。
「元嬪様の行動がどれほど軽率だったか、分かりましたか? 私も王様に嘘をついてしまいました。王様を欺くのは大逆罪です。…もはや手立てはありません。数日内に死産を装い処理しましょう。御医には口止めしましたので」

翌日、元嬪の誕生日会が開かれた。懐妊のお祝いと合わせて、盛大な宴になった。
黄緑、赤、藤色のドレスの舞妓が3名ずつ、白い布を手にひらひら、くるくる目まぐるしく回り、その影が赤いじゅうたんの上で、風車のように舞った。
重臣らはじゅうたんを挟んで奥と手前の2列のテーブル席に分かれ、白い器に料理と酒がふるまわれた。
恵慶宮、サン、中殿、元嬪の順に座った王族らは、壇上のテーブル席から、舞妓らの踊りを楽しげに見つめた。
そばに尚宮、内官が立ち、背後で女官らがひょうたん型の金のうちわをかかげた。
笛の音は高く、楽師らの弦楽器は線のように重なりあって空に届いた。
王族はもとより、ソクチュやテウまでもが、不安をいっとき忘れて、くつろいだ顔をした。
重臣らの席で静かに酒を口に運んでいたグギョンは、そのとき王族席の元嬪へ目をやった。
中殿と笑っていた元嬪も、兄の視線には気づいた様子であった。
やがてグギョンの顎の合図で、元嬪は叫んだ。
「アァー! アーッ…」
元嬪のその叫び声が響いた瞬間、そばにいた尚宮は、衣のたもとに隠し持っていたボール玉を手で絞りあげて、血のりをぴしゃりと床板にまき散らした。

会場は騒然となった。
残された重臣らは、元嬪のうめき声が、だんだん会場内から遠ざかっていくのを、ただぼう然と眺めた。
まもなく医官2名と医女が淑昌宮から小走りに出て右へ走り去り、別の医官と医女2名と慌しくすれ違いになった。
これまた別の医官と医女が正面の道をまっすぐ進み、そのまま元嬪の住まいである淑昌宮の中へと入っていった。

2010/9/6

韓国ドラマイ・サンとは

時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...