2017年6月8日木曜日

イ・サン59話「悲しみの行方」

雨ざらしにあったせいか、元嬪の具合が急に悪くなり、意識もないということであったが、なぜか淑昌宮への見舞客は1人も来なかった。
元嬪付きの尚宮は、この現実に悲嘆にくれた。しかし見舞客にも、それぞれの事情があり、それはだいたいこういうワケだった。
サンは淑昌宮へ見舞いに行く予定であった。ところがナム尚膳がせっぱつまった様子で言うには、
「清国皇帝の誕生を祝う使節を決める会議があります。返答の期限が過ぎており、一刻の猶予もありません」
とのことである。せめてグギョンだけでも、先に元嬪のところへ行くようサンは勧めたものの、グギョンの方も、昨夜の王様の狙撃事件について、ぜひ論議したく、何が何でも会議には出席するつもりであると断った。
中殿にいたっては、もう見舞いへ行きかけていたところへ、恵慶宮に止められた。
「慈悲を施す必要はありません。行かないことが中殿としての務めです。すべて元嬪自身が招いたこと。これもあの者に科せられた罰のうちなのです」
恵慶宮にしてみれば、妊娠中に益母草を飲んだ元嬪の行為は非常識で、到底、許されないことであった。それより何より、大事な御子を失ったというのが、恵慶宮にとっては一番の痛手だった。

会議のテーブルには、ジェゴン、グギョンをはじめ、奎章閣の者と合わせて7、8人が集まった。背もたれのすぐ後ろに棚や間仕切りが迫って、おまけに障子まで閉まっていたので、狭苦しかった。
サンは一人、奥の書斎用デスクに座った。筆入れ、硯、書物、読みかけの巻物は端に寄せ、皆の顔を見渡しながら話を進めた。
「次回の使節団による交渉では清からの要求をすべて受け入れる気はない。我々の要求を通す方針でいく。清との交易が行われる市場で清の商人や官吏による横暴が絶えないと聞いた」
「王様。清に有利な市場の規制を改定するよう要求すべきです」
サンの意見に対して、パク・チェガが申し出た。
「それ以上に問題なのは我が国の通訳官です。後ろ盾である老論派にわいろを渡しています。昨夜、王様の狙撃に使われた銃は清のものでした。現場で部品の一部を見つけたのです。通訳官が密輸入した銃である可能性があります。捜査を許可してください」
グギョンのこの発言に、思わずジェゴンは渋い顔をした。確かに昨晩の狙撃事件には驚かされた。しかし王様はこの通り無事だったし、ここは使節団の話合いをするべき場だ。グギョンはどうも昨夜の狙撃のことしか頭にない様子であった。
しかしジェゴンの思いとは裏腹に、サンが捜査を許可したことで、グギョンは新たな翼を得た。


続いて場所を移して、サンはチャン・テウ、ソクチュ、ジェゴン、戸曹判書、工曹判書、刑曹判書ら総勢12名ばかりを相手に、講義をはじめた。
ボンボン玉が垂れた紫のテーブルクロスの上には、講義のための資料がびっしりと並べられた。
扉はすべて開け放たれ、周りの瓦屋根や中庭が望めるなど、うってかわって開放的な空間であったにも関わらず、重臣らはどうもうわの空だった。むしろいつもどおり落ち着いたサンと進行役のジェゴンの方が、かえっておかしく見えるくらいであった。
「本日の講義の内容は老子道徳経17章です。理想の政治とは民を支配しないことであり、民を信じる心が為政者の第一の徳であります」
「そのとおり。治世において王と重臣が心に刻むべき1文字とは、清廉の“廉”である。財や女色を遠ざけ、清廉であればおのずと民に慕われる」
戸曹判書、工曹判書、刑曹判書らは顔色を暗くして、ジェゴンとサンのやり取りに耳を傾けた。
グギョンの捜査はますます暴走するばかり。今、この瞬間にも、老論派の重臣である自分たちの屋敷から次々と資料が押収されていると思うと、本当に気が気ではいられなかった。
「ひと言、申し上げてもよろしいでしょうか、王様。昨夜、王様を狙う銃撃がありました。そんな重大な事件の捜査を宿衛大将に任せきりで、講義にのぞまれるとは」
ついにテウが、心配と非難の色を込めてサンに言った。
しかしサンが捜査はあくまでグギョンの役割だと、はっきり答えたので、テウは渋々、黙り込んだ。

回廊の石段を下りて来たグギョンは、建物の前に集められた押収物を見て回った。
ごろごろと銃を寝かせた木箱が積みあげられ、後ろの木箱にも、まだびっしりと銃が立てかけてある。すべて重臣らが隠し持っていたものだった。
地面に置かれたデスクの上には、書物が平積みになっていた。あの帳簿の中身を調べれば、ワイロの実態が明らかになるだろう。
カゴに入った押収物の手紙を、グギョンはまさぐった。
肝心の事件に使われた銃は、まだ発見できていなかった。
ソクチュが呼びに来たので、いったん大妃の部屋に顔を出して少し話を交わした。
元嬪の容態の深刻さを知ったのは、その大妃の口からであった。

グギョンが駆け付けたときには、まだかろうじて元嬪の息の音はあった。
しかしサンはとうとう死に目には会えず、死んだばかりの妹を胸に抱きかかえて、声をあげて泣くグギョンの背中を見ただけだった。
医女と尚宮、医官がそばでがっくりと肩を落としていた。他には誰もいなかった。
安らかなものとは無縁の、もがき、苦しみ抜いての孤独な死であった。
中殿はお供をぞろぞろと連れて、足早に石畳の道を急ぐ中、同じくランタンで足元を照らして進む恵慶宮の一行に鉢合わせた。
「訃報を聞かれましたか?」
「突然のことで私も戸惑っています。今朝は話をしていたと聞いたのに、こうもむなしく世を去るとは…」
恵慶宮はすっかり青ざめて言った。あまりの悲惨な結末に、自分でもどうしていいかわからなくなっていたのだった。

その夜のうちに元嬪の遺体に寿衣が着せられ、入棺された。
国葬の盛大さは、誰の目にも十分伝わった。
政務に忙しく元嬪に何もしてやれなかったことが、何か自分の責任のような気がして、サンがそうさせたのだった。
傷心のはずのグギョンは、サンが心配して休暇を与えるまで、休まず登庁し続けた。
しかし休んだところで、グギョンの思いはますます深い闇に落ちていった。
盛大な国葬など何の意味があろう。
何もかも、もう取り返しはつかないのだ。
苦痛と不安に耐えられず、無残な死を迎えた妹のことを思うと、日に日に無念ばかりが募った。
そのうち消去令が出され、元嬪の淑昌殿から早々に家具が引き払われた。
元嬪付きの女官で宮殿に残りたい者は、中殿付きのキム尚宮にその旨を伝えるよう指示したのは中殿だった。
グギョンは廃墟となった淑昌殿の庭で、中殿の姿を見るなり言った。
「今もよくわかりません。あれは死に値するほど重大な過ちだったのでしょうか…? 元嬪様はその若さゆえ、報いに耐えられず事実を伏せようとしました。しかしあまりにも冷たい仕打ちではありませんか。中殿様は病床の元嬪様を、一度は訪ねられるべきでした」
グギョンはその夜遅く、狙撃犯を逮捕するため、宿衛所軍官と禁軍を連れて龍洞方面へ出発した。
老論派の重臣らを疑うのはそもそもお門違いである、というのが大妃の助言であった。

ソンヨンは昼間のうち、イ・チョンとタク画員と一緒に、市場へ画集を買いに出た。
瓦屋根の店舗の多くは壁と扉がなく、板間をあがったところに、商品が並べてある。
本屋では、いくつかの大台と飾り棚に本が平積みにしてあり、客が自由に読めるようにもなっていた。
見知らぬ男が、とつぜん腕に挟んでいた画集をソンヨンに差し出した。金の花紋様が表紙になった明の画集だった。
「よろしければどうぞ。通りすがりに手にしただけです。画員様がご覧になったほうが役に立ちます」
男は人の目が気になるのか、常にうつむきがちで、顔に帽子の影がおちていた。ヒゲが不似合いなほどに若く見え、背は高いが、きゃしゃな体つきだった。
「私が画員だと、なぜ知っているのです…?」
ソンヨンは驚いて聞いた。
ところがイ・チョンに呼ばれて一瞬、気を取られているうちに、また振り返ったときには、すでに男の姿はなかった。
いつも通り、人が目まぐるしく動いて、辺りはがやがやとしている。
板の間に座り込んだ店の女が、客の見た生地を巻き直し、小さな麦わら帽をかぶった男が、何人も通りを行き交った。片手でカゴを腰に押しつけるようにして、主婦が歩いてやって来る。
市場の通りが、ずっと奥の方まで広がり、軒先につけた日除けの幕が大きく風にひるがえった。

2008年01月03日

韓国ドラマイ・サンとは

時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...