2017年6月2日金曜日

イ・サン長いあらすじ61話~70話

「イサン」あらすじ 61話

中殿の部屋に通された恵慶宮は、奥の座イスに、スカートをうずめるようにして座り込んだ。その口調はいつになく厳しいものだった。
「何ということです! 例の図画署の女が大逆罪で投獄されたというのは本当ですか? だから言ったのです。王様に災いをもたらす女だと。それをそなたは側室にしようなどと」
「恵慶宮様、何かの間違いです。あの者はそんな子では…」
「間違いですと? あの者は義禁府に連行されたのですよ。今回はただでは済ませません。罪を明確にし、重い刑を科さなければ…」
恵慶宮は気が治まらないといった風に、肩で大きく息をついた。
これではソンヨンを側室にする話どころではない。中殿の言い訳も今度ばかりはむなしく響いた。

通報したのは、ウクを診察した医者であった。
ソンヨンへの取り調べは、まず直接グギョンが担当した。
ソンヨンは顔見知りであったし、王様も心配していたから、逃亡者の行方さえ話してくれれば、すぐにでも釈放するつもりでいた。
しかしソンヨンの答えは何度聞いても同じだった。
「知りません。いつ出て行ったのかもどこへ行ったのかも分かりません。私を処罰して下さい。罪に問われても仕方がありません。知っていることはすべてお話しました。他のことは何も知りません…」
行き詰っていたところに、いよいよ判義禁府事が取り調べ室に入って来て、ソンヨンを義禁府の牢へ連れていってもよいかとグギョンに尋ねた。
ソンヨンの家を捜索した兵士らは、倉庫の足元に埋め込まれた石の列に、生乾きの血の跡を発見し、引き続き山へと向かった。

ウクに肩を貸しながら山の中をしばらく歩き、テスは腐ったような長い草の上に、尻もちをついて倒れ込んだ。まだ胸の傷が痛むらしく、ウクのうめき声があがった。
少し先の方に、たいまつの明かりが、とぎれとぎれに、ちらついている。
あの兵士たちは本来、皆テスの部下であった。にも関わらず、テスがこうして草の陰に身を潜めなければならなくなったワケは、ウクの逃亡を助けるようソンヨンに頼まれたからだった。
兵士の帽子の房飾りが、薄暗く揺れた。彼らは草の根の方をしきりに探していたが、やがて方向を変え、たいまつの明かりと共に一列に山をのぼっていった。

サンは執務室にナムがやって来ると、筆を置いて、墨の乾ききらない書案を2、3枚重ねて渡した。
「先日、街で見た人参のことだ。安価な薬材として民に栽培をさせてはどうか。薬材商による独占販売を禁止して、人参の流通を拡大させるよう戸曹に命じよ」
ソンヨンのことだけを考えるには、サンはあまりに多忙だった。清への使節団の件もある。
ついで捜査にやっきになっているグギョンを部屋に呼んだ。逆賊を取り逃がし、しおらしい表情だった。
「気にしなくてもよい。ソンヨンだけでなく、今牢にいる罪人は皆すぐに釈放されるだろう」
サンはきびきびと早口で言った。
「え、どういうことでしょう…?」
「天主教徒を逆賊とする証拠の銃は、彼らの物とは限らぬだろう。あの銃は清から入ってきた数百両はする代物だ。財産もなく身分の低い彼らに買えるはずがない。首謀者であるヤン・ジンスは最近、全財産をはたいているが、銃は買っていない」
サンは、手元の帳簿をテーブルの上に滑らして、向かいに立つグギョンに預けた。

天主教徒が王様を狙ったのでないとすれば、一体誰が犯人なのか…?
グギョンの捜査は、いったん暗礁にのりあげた。
そうこうするうち、銃の密貿易の足取りから、事件の背後に浮かび上がった通訳官のキムが、毒をあおって死んだ。
没落した両班出身で、商人と結託して莫大な財産を築いた男だった。
この男がたった1人で王様の暗殺を企てたなど考えられない。
しかし男の死は、天主教徒の容疑を晴らす証拠にはなった。

ウクの怪我がすっかり回復すると、ソンヨンは、天主教徒の一行と華川の方へ旅に出ることにした。
やっと再会できた弟と、少しでも一緒にいたいという気持ちが強く、図画署には断りを入れた。
ソンヨン自身、都に戻るかどうかもわからず、ひょっとしたらこれが最後の別れになるかもしれないと思った。
しかしパク別提は、ソンヨンがいつでも図画署に戻って来られるよう配慮して、休みの手続きをすすめた。

地べたに固まって座る者たちや、列に並ぶ者、炊き出しの場には大勢の民が集まった。
おさげを1本、背中に垂らした女や、ハチマキをしめた男らに混じって、子供の姿もある。
大鍋は広場の3カ所に用意された。2カ所は地べたに置かれ、かっぷくのいい女が給仕するテーブルの鍋の前には、一番長い列ができた。
わらや木の皮を屋根にした家々が横一線に並び、そのずっと奥の石垣のアーチ門の向こうは、ねずみ色の空が広がるのみだった。
ウクは地べたの黒釜の湯気の中へひしゃくを入れ、黄色い粥をすくった。彼の方は紫地の服に羽織りを着ていたが、ウクから碗を受け取ったみすぼらしい子供や、後ろに並んだ大人たちは、どれも薄い上っ張り1枚だった。
少しでも何か手伝おうと思って、ソンヨンは汚れた椀をボウルに入れて川へ行った。
器を洗い終えた後は、桟橋のように長く突き出た岩の道で一休みした。
しかしソンヨンの目は美しい景色ではなく、手に握った帯を見ていた。紫地に金の刺繍がほどこされて、同じ色の房飾りと、ぶ厚い花の金ボタンがついたものだった。
まだ小さかった頃、サンと一緒に宮殿を抜け出し、腕に怪我をしたことがある。血を止めようと、自分のものをほどいて、腕に縛りつけてくれたのが、この帯だった。

都から離れた今、サンのことをより深く思い出す。かと言って、都にいるときも似たようなもので、どんなに図画署の仕事に打ち込んでいても、気持ちは満たされなかった。
岸辺から川の中ほどまで、平たい岩が寄せ集まり、その岩の間を水が浅く流れていく。
川の流れの静けさと小鳥のさえずりが、ソンヨンの胸に悲しみをゆっくりと浸みこませた。
川面に向かって斜めにそびえ立つ崖の木々のうち、数本は咲き始めの淡い桜だった。ソンヨンの体は桜の花に埋もれるように、小さく見えた。川の両側はどこまでも深い木々で覆われていた。
給仕の終わったウクが、ソンヨンを手伝おうと川へやってきた。すでに洗いものは終わった後だったので、ウクはボウルを抱えて、姉と一緒に岩場を去った。
しかし、ほどなくソンヨンは、夢中で道を引き返すことになった。
すでに広い河口辺りまで下っていたのを、土手沿いをずっと走り抜けて、とうとう上流の岩場まで舞い戻った。
どこで落としたのかしら…?!
岩場の下かもしれないと思って、川や雑木林に目をおとしたあと、もういっぺん足元を探しながら岩場の道を戻りかけたとき、急に後ろから声をかけられた。
「探しものはこれか。これをまだ持っていたのか」
そう言って、帯を差し出すサンを見て、ソンヨンは驚いて瞬きもできずに身を硬くした。
「王様…。ここには何のご用で…?」
「そなたを迎えに来たのだ」
サンは言った。

2010/10/11


「イサン」あらすじ 62話

ソンヨンを追って、サンが華川地方へ来た事情には、テスが絡んでいる。
仕事あがりに執務室にやって来て、一緒に酒を飲みたいと珍しいことを言うので、何か折りいって話でもあるのだろうとは思った。
サンはそのまま執務室から大殿にテスを連れて行き、気さくに酒をふるまった。
王様に頂戴した杯にひと口だけ口をつけたあと、テスが直訴でもするような顔つきで申し出た。
「どうかソンヨンを側室にして下さい。王様は勘違いしておられます。ソンヨンは王様だけを見てきました。あの時、側室にならなかったのは他に理由があったからです。ソンヨンは恵慶宮様の命令に従ったのです」
こうして今、ソンヨンが慌てふためいて、その昔、自分があげた帯を探しているのを見て、テスの言うことが本当なのがよくわかった。
サンは逃げようとするソンヨンの腕を、とっさにつかんだ。
「お戻り下さい、王様。迎えに来たなど、私ごときにめっそうもないお言葉です。王様はこの国の君主で私は卑しい画員なのです」
「私の気持ちが分からないか? そなたと離れていることがどんなにつらいか本当に分からないのか? 私は王として来たのではない。1人の男としてそなたにそばにいてほしいと言っているのだ。これ以上は待てぬ」
ようやくうつむいた顔をあげたソンヨンは、サンと同じように胸に熱い思いが込み上げ、今すぐにでも何か言い出しそうな目をしていた。しかしその溢れ出る思いは、ただ涙となって、ソンヨンの頬に流れていくばかりだった。

炊き出しの手伝いに戻っていたウクが、ソンヨンを探しに小屋の裏手に回ってきた。
枯れ木の垣根や小屋に囲まれた静かな場所だった。炊き出しの一帯にあがる煙が、小屋の向こうに流れている。ソンヨンは庭の縁台に一人で腰かけ、足元に広がる草の芽を見つめながら、深く悩んでいた。
「姉さん、王様がこの先の木の下でお待ちです。じきに日が暮れます。僕ならここに住むことにしたからいつでも会える。姉さんは都に戻るべきです」
ウクは言った。どうやらさっきサンのお供でついてきたナム尚膳から、あらかた話を聞いたらしい。
別れたとき赤ん坊だった弟のウクは、ソンヨンの目から見ても、しっかりとした若者に成長していた。

サンがナム尚膳と一緒に木の下で待っているうちに、辺りはすっかり暗くなった。
「亥の刻でございます、王様。適当な宿を用意させましたからそちらでお待ちになってはいかがですか…? 夜風がお体に障ります」
ナム尚膳は心配そうに言った。
夕方が過ぎて、夜が来た。ソンヨンが心を決め、走り出したときには、もう随分と時間が遅くなっていた。いったん走り出すと、今度は王様がいなくなってしまうような気がして、帯を探していたときと同じように、慌てふためいた。
月明かりに桜の白い花が、より大きく浮かんで見える。しかし木の下には、すでに王様の姿はなく、足元に広がるのは土ばかりだった。
もう行ってしまったのだと思って、体から力が抜け落ちかけたとき、咲き乱れる花の向こうに、ふっとサンが姿を現した。

その夜、サンはソンヨンを連れて宮殿へ着くと、部屋にパク尚宮を呼んで、大殿の外に待たせている者を今晩、寝所に迎えるから支度をするように伝えた。
「王様、正式な手続きも踏まないでは、あとで問題が起こります…」
気が気でないナム尚膳とは裏腹に、大殿の尚宮は、むしろおめでたいことのようにソンヨンを連れて仕度部屋に入り、てきぱきと指示を出した。
「着替えをさせて大殿に連れて行け。今晩、この者が王様のおとぎをする」
年配女官と若い女官の総勢4名が、ソンヨンに光沢のある赤い着物を着せ、肩幅や見ごろ幅を微調整した。スカートに沿って垂れた長い飾り帯の先を指先で揃える間も、ソンヨンはされるがまま、じっとしていなければならなかった。

まもなくパク尚宮が丸ドアをまたいで寝所へ入り、ゆっくりとした口調で王様に告げた。
「仕度が整いました…」
ソンヨンが部屋へ通された瞬間、廊下に控えていた女官が、すっと背後で丸障子を閉めた。
サンはひじ枕に腕を置いて、真っすぐソンヨンを見上げた。
「近う寄れ…」
ソンヨンは茶菓子のお膳を間に挟んでサンの正面へおずおずと座った。花びらの薄っすらした袖もとから、ソンヨンの緊張し硬く結ばれた小さな手が見えた。
サンが突然すっと立ちあがったので、ソンヨンは、はじめて上目使いにちらりとサンを見た。サンは寝間着の上に、帯も閉めずに真っ白な上着を羽織っていて、それが足元まで、はだけたままだった。
サンに手を取られて、ソンヨンはいよいよ、こわばって息をのんだ。
しかし聞こえてきたのは、サンはいたわりのこもった声だった。
「すまない。断りもなくこんなことをして…。だが心配するな。私は読書堂に行く。そなたはここで少し眠るといい」
ソンヨンは驚いた顔でサンを見返した。恵慶宮に認めて貰うために、サンはわざと問題を起こそうとしていたのだった。

サンがようやく宮中に戻ったと聞いて、恵慶宮はお供をぞろぞろ連れて、すぐ大殿に飛んだ。
恵慶宮の機嫌が今日1日ずっと悪かったのも、無理もない話だった。
サンが宮殿を抜け出し、ソンヨンを迎えに行ったことから始まり、側室選びが勝手に中止されたという礼曹参議の話の意味も、何が何だかさっぱりわからなかった。
帰ってきたら、ぜひ事情を詳しく聞こうと、さんざん首を長くして待っていたのだ。
ところが尚宮が慌てて言うには、さっき王様は戻って来たものの、ソンヨンを寝所へ連れて行く仕度をしているなどと、とんだあきれた話だった。
大殿の庭へ到着した恵慶宮が、今すぐサンに会いたい旨を告げると、大殿のパク尚宮は、ひどく困った様子で、おろおろと頭を下げた。
「恐れながら、すでに寝所へ入られました…」
恵慶宮はショックで気を失いかけて倒れそうになり、尚宮2人に慌てて体を支えられた。

翌日には王様の噂は、図画署にまでも伝わった。
王様が華川まで直々に迎えに行かれたとか、王様の気持ちだけではどうにもならないのだとか、こまごまと予想する者までいた。
昨日、恵慶宮があれほど会いたがっていたサンは、自ら恵慶宮の部屋まで説明にやって来た。
もちろん恵慶宮の怒りが解けるはずがなかった。
「既成事実ができたので黙ってあの者を側室に迎えろと!? 卑しい身分の女に王室の未来を託すなんて。確かに先代の王の母君も水汲み女でした。しかしそのせいで王位を追われる不安におびえておられたのです。あの女から生まれた御子は、同じ人生を歩むでしょう」
しかしこのあと会った中殿には、恵慶宮はまるで挑戦状でもたたきつけるように、こんな本音を吐いたのである。
「王様はいつになく意地になっておられる。なす術がなく私もさじを投げました。しかし決して側室とは認めません。そしてもう1人、側室を迎えます」

清へ派遣されたパク・チェガら使節団の一行は、満足した顔で旅を終えたが、帰国早々、物騒とも思える計画を王様から聞かされることになった。
かつて失敗に終わった専売商人の改革に、もう一度、取り組もうというものだった。その発表のあと、側室を迎える方の準備が進められた。

儀式当日、ソンヨンは髪を細かくぴったり編み込み、金の大きな串かんざしで首の後ろに1つにまとめた。賑やかなかんざしを耳のすぐ後ろにも刺し、頭に梅のタイルを散りばめた筒型の冠をのせた。ビーズ糸の先から垂れた5色の小さな扇の紙が、額の上でちらちらとした。
服は中殿の選んだものを着た。
ピンク地に金の唐草模様がほどこされ、スカートの淡くて可憐な生地は、鴨が羽を折りたたんだように、色とりどりに重なっていた。
式が終わると、ソンヨンは先に寝所へ通された。
部屋の奥に、すでに赤と金に白い縁どりをした布団が敷いてある。ソンヨンは菓子の用意された膳のそばに座った。
まもなく、烏帽子をかぶったサンが、金の豪華な刺繍紋の入った羽織を今日はきちんと着て、部屋にあらわれた。
真珠のように輝いた頬と、バラ色の唇をしたソンヨンを見て、サンは言った。
「まるで夢のようだ。ひとつだけ約束してくれ。もう一日もそばを離れず、一生私と一緒にいると」
「はい、王様。お約束します。生涯ずっと共にいると誓います」
ソンヨンの決意を聞いて安心したのか、サンはソンヨンのそばに座って手を取り、ぴたりと胸に抱き寄せた。サンの胸にもたれて、ソンヨンもまた不思議なくらいに心の底から安らぎを感じた。

ソンヨンが側室に決まってから、グギョンは封書を持って、サンの弟ウノン君の御所を訪ねた。
ウノン君の長男タムと亡くなった元嬪の養子縁組の話は、すでに王様に取り付けて、承諾も得ていることだったので、ウノン君の方は戸惑いつつも、言われるがまま封書を受け取った。
ウノン君の目にしたその中身は、元嬪の養子になる際、長男につける予定である称号“完豊”の2文字であった。
ついでグギョンは大妃に会いに行ったが、その場にはソクチュもいて、どうも浮かない表情でこんなことを言うのだった。
「聞けば王様が再び専売商人に戦いを挑むそうだな。相当の覚悟の上だろう。だがその先のことまで、はたして準備ができているのかね?」
「先のことと申しますと…?」
この質問には大妃が答えた。
「専売商人は国の金を握っている。つまりそれはすべてが思いのままだということだ。必要であれば王の首さえすげ替えようとする。その攻撃から王を守る準備はあるかと聞いているのだ」

2010/10/19


「イサン」あらすじ 63話

尚宮は不機嫌な顔になった。というのも家具を運び入れるときに、長いスモックを垂らした男らが石段の花を踏みつけて歩くからだった。
男らは2人がかりで赤塗りのチェストを2種類ほど御殿に運び込んだ。ドアや引き出しに、金模様の浮き出た豪華なもので、続いて飾り棚なども持ち運んだ。
御殿に3名の尚宮が現れると、ソンヨンは読みかけの書物を卓上机に広げたまま、緊張した様子で、背筋を伸ばして待ち構えた。
なでつけた髪を、金のかんざしで後ろにふっくら編みとめ、鳳凰の髪飾りをそばに添えてある。頭のてっぺんは髪をカチューシャの帯のようにアレンジし、中央に筒冠をのせた。
上着はピンク地に銀の花模様を散りばめた豪華な生地だった。ソンヨンが立ちあがると、金の刺繍帯を縫いつけたスカートが、ふんわりと広がった。
「ようこそおいでに…」
「はい。宣嬪様」
尚宮らは二コリともせずに、ソンヨンに会釈して座った。彼女らが冷やかなのは、授業をする目的で来たからだった。
まずは代表の尚宮が問題を出した。
「正一品から正5品までの婦人の位階を」
「正一品は貞敬夫人、正二品は貞夫人、正三品は淑夫人、従三品は淑人、正四品は恭人、正五品は宣人だ」
ソンヨンは1つずつ思い出すように慎重に答えた。
教育係の女はうなずき、次の問題を出した。
「王族の親族である宗親の位階を」
「縣禄、興禄、昭徳、崇憲、中義、それに明善、彰善、保信、宣微、奉成は大夫をつけて呼ぶ。その下は通直郎、謹節郎、執順郎だ」
3人の尚宮は、思わず満足したように顔を見合わせた。今度は一番年配の女が質問してみた。
「大妃様が3代にわたりご存命の場合は?」
「宮中に入られた順に、大王大妃様、王大妃様、大妃様でございます」
その瞬間、女は突然、顔をしかめ、ソンヨンを叱りつけた。
「宣嬪様。すべて正解ですが、我々下の者には敬語を使われませんように」
今日の授業はこれで終わりだった。言葉使いに少し問題はあったものの、ソンヨンは物覚えがよく、おおむね順調であった。

授業の他には、サンと庭をゆっくり散歩することもあった。中殿がソンヨンの部屋へ顔を出したときには、ソンヨンはちょうど、盆に並べたボウルの中に、箸で白糸を浸しているところだった。恵慶宮の誕生祭の宴に使う糸を染めていたらしい。青草の絵柄の白いボウルの内側が、オレンジ、赤、緑などの染料で光っていた。女官に頼めば済むことなのに…と微笑みながらも、中殿はソンヨンの努力をとても気の毒に思った。恵慶宮の部屋へは毎日のように挨拶に出向いていたが、目通りすら叶わず、引き返してばかりいたからだ。

恵慶宮の誕生祭の場には、テスや叔父パク・タロもいた。
2人ともソンヨンがお供を連れて、宮中の敷地を歩いているのを、遠くで見かけたことはあった。
パク・タロは、テスや女将に、やけくそ気味にグチをこぼすのだった。
「一介の内官が自由に会いにいけると思うかっ!」
今、壇上の席には、大妃、サン、恵慶宮、中殿と尚宮らが座っている。参加を許されなかった宣嬪のことなど、まるで忘れ去られたように、宴は滞りなく進んだ。
チャン・テウをはじめとする大臣たちは、広場の席で雅楽の演奏や妓の舞いを心ゆくまで鑑賞した。
テスは護衛任務の途中にも関わらず、いつしかそっと賑やかな会場を立ち去った。

テスの心配していた通り、ソンヨンは庭にたたずんで、とても寂しそうにしていた。宣嬪の御殿の裏庭では、宴の晴れやかさは嘘のようだった。
幸い、おつきの尚宮はいない。テスが声をかけると、ソンヨンは嬉しさに飛びつくように、息せき切って話しはじめた。その様子が何だか余計に痛々しく思えて、テスの心はますます暗く沈んだ。
「テス、本当に久しぶりだわ。ね? 挨拶もできなくて。元気だった? おじさんとおばさんは? 図画書のみんなも元気?」
「宣嬪様もお元気でしたか? 心安らかにお過ごしですか?」
「宣嬪様だなんて…。どうしたの? そんな風に呼ばないでよ、テス」
「いいえ。身分が上の方に対する当然の礼儀であり、おきてなのです。どうか宣嬪様も御言葉を改めてください」
ソンヨンは心臓が止まったように、急にまじめな顔つきになった。もちろん自分でも昔と違うのはわかっている。ただその寂しさが今、実感となり、体の中に流れ落ちていくのを、ひしひしと感じた。
ソンヨンはその夜の時間を、絵筆を握って過ごした。
長く細い葉がやわらかく伸び重なり、その伸びゆく茎の先に、数輪の花が小さく頭を垂らしている。花びらは濃い黄色から外へと明るい黄色に変化し、縁はまた濃い黄色になり、根元に2匹の茶色い蝶が舞った。
絵は仕上がったものの、画員であったのが嘘のようだった。あまりに久しぶりだとそう上手くは描けないものだと、ソンヨンは思った。

王様がお忍びの視察に出るというので、グギョンはパク宿衛官らお付きの護衛3名の他に、視察先にも兵士を配置し、万全の対策をとった。
王様を狙う者は大勢いる。
グギョンの不安が晴れることなどなかった。しかしサンは予定通り、雲従街へと向かった。
雲従街だけでも百以上の違法商店があり、それが地域になると千にものぼった。
市場は殺伐とした雰囲気だった。専売商人がごろつきを雇って、次々と違法商店を襲わせている。他に食べてゆく術のない貧しい商人から、店舗の品物を没収する光景を、サンは目の前でありありと見た。
視察から戻ったサンは、宣旨を公布した。
通り沿いの高床式倉庫の板壁の高いところに、赤服兵が貼りつけた公布には、すぐに人だかりができた。
背中に布団ほどもある大荷物を抱えた男は、ビラをまじまじと見上げて、隣の男に聞いた。
「どんな内容かね?」
「これからは申請すれば誰でも自由に商売できるってことさ!」

役所の前には、専売商人らが直談判に大勢押しかけた。しかし兵によって解散させられると、今度はその対抗策として、専売商人らは、雲従街の取り引きのボイコットをはじめたのである。
物価は2日間で塩が3両、麦は2両も高騰した。サンは、やむなく松坡と桜院を通じ、品物を供給することを決めた。京江から都への入荷予定は5日だった。
また当面、宮殿の備蓄物資を放出することにし、イ検書官には、本日、申の刻に倉庫を開けて、新規商店に配給するよう指示した。
物資の配給はせいぜい4日が限度だ。中国から豆満江へ、ひと月分の品物の仕入れの手配することで、一応の準備を整えた。

荷物を背負った商人らが、見張り台の門をくぐって、配給所の設けられた役所の広場に入ってきた。
配給価格は、米が1俵4両、麦と豆は2両、塩は6両、薪は1両5文である。
それらの荷物が壁のように整然と積み重なり、広場に小路を作っていた。
配給物を運びこむ役人、商人、巡回の役人が、それぞれ広場を行き交った。
白い着物を1枚だけ着た男は、手に包んだ銭を二十数枚、テーブルに置いた。役人はその銭を片手で数え、もう一方の手で、かさばる用紙の一枚に印を押し、男に渡してやった。すると白い着物の男は、さも嬉しそうに、お辞儀をして去り、次の男の番になった。黒ずきんの役人は、男が背負ったカートに、豆などがパンパンに詰まった布袋を積みあげてやった。
視察に来たサンは、広場をゆっくりと見渡した。
取引中止が続けば、やがて経済は麻痺するだろう…。そう思うと配給所の賑わいも、どこかはかなげに見えるのだった。
2つに先の割れた旗が、広場の中程で大きく風にひるがえっている。ガヤガヤとした人の声は、当たり前のように景色に馴染んでいた。常に警戒の目を光らせていたグギョンは、テスにそっと怪しい人影を追わせた。
倉庫の裏側へまわり、勢いよく中へ突入したテスは、次の瞬間、チリがゆったりと舞う光の筋の中に立っていた。入口の扉から差し込んだ光が、床のシートや米俵を照らした。倉庫の中はもぬけの殻だった。
「ニャーッ!」
黒と白のまだら猫が、木戸の敷居をすばしっこく飛び超え、外へ逃げていった。

宮中に戻ったグギョンは暴動に備え、兵士を動員した。
ところが雲従街のいくつかの店舗を除く大部分は、急に商売を再開したのである。
まもなく市場の責任者、キム・スンファが王様に謁見を求め、こう申し出た。
「王様、皆を説得し、取り引きを再開させましたが、根本的な解決にはなりません。王様から直々に改革についての説明をして貰って、現場の我々の意見も聞いて頂きたいのです…」

王様がどうしても、雲従街の専売商人たちに会いに行くというので、グギョンは警備に奔走されることになった。
しかしその一方では、大妃の部屋へも足を運んだ。
恵慶宮がソンヨンとは別に、新しい側室選びの日程を25日に取り決めたため、こちらとしても裏の計画を急ぐ必要が出てきた。
明日の御前会議で、元嬪の養子ワンプン君を王世子に推薦する際の段取りについて、ソクチュを交えて相談を交わした。王に世継ぎが生まれてからでは手遅れになる。
「問題はチャン・テウク様でしょう? 周囲を扇動し猛反対するはずです」
グギョンは一抹の不安をよぎらせた。
しかし、あの男の家ぐらい宿衛大将の権限で好きに捜索できるであろうというのが、大妃の助言であった。

2010/10/30


「イサン」あらすじ 64話

中殿は、ちょうど廊下を歩いているときに、石階段のタラップをおりていくワンプン君を見かけた。お供の女官を引き連れ、宮中を移動中のようであった。
グギョンの養子となったと聞いて、しばらく敬遠していたが、まだ5歳にもならない子供である。本来ならばもっと目をかけてやるべきだったと反省し、ワンプン君を久しぶりに部屋へ招いた。
尚宮が2人用のミニテーブルを抱えて、部屋へ入ってきた。並んでいるのは白磁の急須と小皿、木箸、ピンクや緑、茶色、黄土色の団子餅、むきリンゴ、ふかしイモ、粉砂糖をふりかけたモナカ、どれも普通の子供なら飛びつかんばかりのおやつだった。
テーブルが中殿との間に置かれるのを待ち、ワンプン君は礼を言った。
「恐れいります」
中殿はワンプン君の姿を心から微笑ましく思った。帽子の生地は黒に金印模様。水色の羽織の衿帯に刺繍された金花紋に着物の白さが映え、りりしいほどであった。にも関わらず、とんがり帽の後ろにカブト虫の羽のように垂れたベールは、いかにも幼げだった。
「宮殿での暮らしはどうだ? 何か困っていることはないか」
「ございません。王様と中殿様のおかげで不自由なく過ごしています」
「幼いのにしっかりしている。子供とは思えない受け答えだな」
「王様の跡を継ぐためには、広い心と威厳ある態度を兼ね備えるよう教わりました」
「何? 王様の跡を継ぐだと? 一体、誰に言われたのだ?」
中殿は急に顔色を変えた。まだ王様のお世継ぎが誕生するかもしれないのに、早々と入れ知恵を教えこむとは。
ワンプン君は返事に困ったように薄い眉を垂らして、目をパチパチとさせた。

ほどなく、ソクチュが御前会議の席で、ワンプン君を王世子にする案を出した。
この降ってわいたような話に、サンはかなりの戸惑いを見せたが、当のグギョンは何も知らない風を装い、控えめな態度に徹した。こちらから下手に王様へ働きかけると失敗する。
したがって、王世子擁立の上奏文の用意はソクチュが担当した。大妃を後ろ盾に、チャン・テウに従う者以外、すべての重臣らの意見がまとまった。提案を検討する官吏らは、グギョンに採用された者ばかりである。こうなったら王様も受け入れるしかあるまい。
当然、宮中では噂や懸念、疑問の声が流れた。
考えてもみろ。ワンプン君様が王世子になれば、得をするのはだれだ。伯父である承旨様が絶大な権力を手にする。将来王様にとって脅威になり得るということだ。
と言ったのは、グギョンにごく近い部下だった。

ミーティングの長テーブルには総勢7人が集まった。紫の布をかけた王様のデスクは、敷居をまたいだ奥にある。市場巡察の予定表に目をやるサンに、パク・チェガが説明を加えた。
「王様、5日後の午の刻に雲従街で行われます」
「代表者は来るか?」
白塔派の男が答えた。
「旧専売商人のキム・スンファが伝えて参りました」
サンは出席者の並んだ紙を手もとに取り、注意深く眺めた。
「戸曹の堂上官だけでなく、実務官も出席させるように。しかし妙だな…? チャン・テウの名前がないぞ。巡察に左議政が不在とは」
「王様、左議政様は投獄されていますが…? 当然王様もご存じのことと…」
チェガがすごすごと、不思議そうな顔をして申し出た。

チャン・テウ逮捕の決め手は、逃亡犯ミン・ジュシクとやりとりした書状であった。
グギョン本人から詳しい事情を聞いた瞬間、サンは強い苛立ちと、やりきれなさを感じた。
書状など簡単に偽造できる。頭の切れる男が、なぜもっと慎重に捜査を進めないのか。
確かな証拠もなく家を捜索し、罪人をかばった罪で投獄するとは。

サンの一存で直ちにチャン・テウの釈放が決まり、前回から4日後、今度はジェゴンも交えてのミーティングが行われた。
外ではナム尚膳がちょうど門をくぐって、大殿前のタイル道を、足早に向かってくるところだった。
「専売商人は税の軽減を要求してきますね?」
「麻布を扱う店など多くの店には、すでに大幅に軽減してあるが、その他の店についても検討する必要がある。また新しい商人にも平等に納税の義務を課す。どの程度の税率が妥当か案を出すように」
パク・チェガが指摘した問題点について、サンが答えていたとき、廊下から声が響いて、ようやくナムが部屋に入ってきた。
「私です王様。明日の巡察の件ですが、未の刻に出発するよう手配しました」

チャン・テウを排除する企みが失敗に終わり、グギョンの無念は怨霊のように心にまとわりついた。
巡察中の王様を狙う動きがあるとの情報は大妃から入った。
グギョンにとっては、まさに名誉挽回をかけたチャンスだったから、それこそやっきになって捜査に奮闘した。
市場の店舗と商人の家を強制的に家宅捜索し、帳簿を押収すると、次いで市場を統括する旧専売商人キム・テスク他4名を捕え、部署の一室に監禁、室内に警備兵を置いた。
調べたところ、2カ月の間に1200両もの大金が帳簿から消えている。同じ頃、商人の手下が硫黄を仕入れて捕まった。爆弾でも作る気だったか。
グギョンは絹店のヤン・ギチョルを捕えるよう、追加の指示を出した。
逮捕者はその後も増え続け、20人を超えた。テスはグギョンの命令に従いつつも、あまりに生々しい拷問を目の当たりにし、どうしようもない不安に掻き立てられた。最近のホン承旨は、テスの目から見ても、人が変わったように様子がおかしかった。
一方、大妃はソクチュを通じて、グギョンをいさめるよう厳重注意した。このままでは王の感情を損ないかねない。
しかしグギョンは功績さえ挙げれば、王世子擁立が実現するものと信じて疑わなかった。

王様の巡察の前日夜、赤門の3つの入口のうち、グギョンはその中央に立って、投入される兵士30名余りを前に、自ら陣頭指揮をとった。
雲従街に到着するまでの道のりをチェックするため、まもなくテスが部下数人と馬で城門を突破した。
巡察の準備は、こうして万全に整えられたかのように見えた。

翌日、王様の一行は、予定通り雲従街の広場へ到着した。
広場の中央に、簡易ステージが設置されている。
大半の役人は、入口に押しやられたように広場の隅に立ち、サンとチャン・テウ、ソクチュ、グギョン、ジェゴンら重臣の姿と、簡易ステージの玉座を交互に眺めた。
王様はステージに、なかなか上がろうとしない。ジェゴンが恐縮したように、そばで頭を垂れていた。
サンは怪訝な顔で辺りを見回した。ステージ天井の日除け用の黄色い幕と、兵士がかかげる色違いの旗4本が、広場の中程で目立つ。ステージ後ろは、警備兵のガードに守られながら、図画署員らが何らかの指示を待ち構えていた。広場の周りに集う草ぶき屋根の家々。しかし肝心の専売商人と民の姿はなかった。
一体どうなっているのか?! 今回の巡察は専売商人からの要請だったはずなのに。
原因がわからないまま、サンはいったん宮殿に引き返すこととなった。
まもなくチャン・テウが執務室にやって来て、
「王様、お話がございます。今回の件で驚くべき事実が分かりました。すべてはホン承旨が原因です。商人を捕え拷問したのです」
すぐに監禁現場へ立ち入り調査をしたサンは、そこに凄まじい光景を見た。
専売商人らが赤い縄できっちりと体を縛られ、顔じゅうに血を垂らして力尽き、雪崩のように仰向けに倒れている。
現場に居合わせたグギョンは、なおも任務に忠実にこの状況を王様に釈明しようとした。
「先日の銃撃事件に関わった疑いがありますので」
「これは職権乱用だ。彼らは自ら歩み寄ろうとしていた。そなたの愚かな行動により、解決の道が閉ざされたのだ!」
「では何としてでも、事態の収集を図ります」
「いや、その必要はない」
「えっ?」
「この一件から手を引けということだ」
これまでグギョンの成長を気長に見守ってきたサンも、今回ばかりは激しく突っぱねた。
あとの処理を任せられたジェゴンは、尻拭いのため、パク・チェガらを連れ、市場を飛び回った。商人1人1人の説明にあたったものの、一度失った信頼を取り戻すのは、大変骨の折れる仕事だった。
ようやく目途がつき、王様のもとへ報告にあがった際には、条件を出した。
「妥協案を提示して同意を得ました。専売商人の特権を撤廃するにしても、最も規模の大きい六矣塵は保護するのです」
他に選択の余地はない。サンは主要な6種の品を国に納める店に対するこの条件をのんだ。

任務を外されたグギョンは、耐えがたい怒りで胸の中で火が舞うようだった。次に打つべき手を考えあぐねながらも、目の奥は怒りと恨みでいっぱいだった。
王世子擁立を急ごう…
王様との関係を修復するには他に手立てがない。
強力を要請しに大妃の部屋を訪れた帰り、ふと思いついて、ワンプン君の御殿へ寄ることにした。ワンプン君のことが、今まで以上に大切な存在に思えた。

ワンプン君は、建物の間の狭い通路を抜け、石段のタラップをおりていくところだった。風呂敷をさげた女官が4、5人と、世話係の年配女官がすぐ後ろをついて歩いた。
クジャクの長い飾り羽のついた丸帽子までかぶって、どこへ出かけようというのか。
グギョンは慌ててワンプン君の前へ駆けつけ、行く手を遮るように立ち止まると、ひとまず礼をし、幼子に合わせて腰をかがめ、丁寧に話しかけた。
「どこかへお出かけですか…?」
「伯父上。しばらく宮殿を出ろとの命令です」
「何ですと? 一体誰の命令ですか」
「それが…」
ワンプン君は急に困ったように目を垂らした。舌たらずで、あどけない。しかし本人は大真面目である。
「私が命じたのだ。幼子にとって宮中は窮屈なところだから、実家で過ごすよう手配した。ワンプン君、何をしている? 準備が済んだら宮殿を出るように。もう行くがよい」
声の方へ振り返ったグギョンは、お供の尚宮と女官を引き連れた中殿と目があった。
「ではこれにて失礼します。どうぞお元気で。中殿様…」
ワンプン君はぺこりとお辞儀をし、グギョンを残して去っていった。

2010/11/6


「イサン」あらすじ 65話

人事のことで宣旨をするなら、都承旨であるホン・グギョンを部屋に呼ぶべきなのではないかと、ナムは思わず首を傾げたが、王様がグギョン本人に対する人事だから他の者の方がいいと言うのではしょうがなかった。
その頃、グギョンは自分の運命が変わろうとしていることなど何も知らずに、ワンプン君の父ウノン君に会っていた。
王世子擁立問題に巻き込まれ、幼子ワンプン君を、宮殿外へ追いやられた父ウノン君は、いつもにまして弱腰だった。しかしこのまま計画を変更する予定はないことをいま一度、念を押し、グギョンは部屋を出た。
意外にも宿衛所の執務室で、グギョンの帰りを待っていたのは、自ら宣旨を届けに来たサンだったのである。
翌日、その宣旨はジェゴンによって正式に読み上げられた。それはグギョンを奎章閣提学の職から解任し、宿衛大将の仕事に専念させよとの内容であり、さらには、うるう4月5日をもってチャン・テウを領議政に、チェ・ソクチュを右議政に任命するというものだった。
サンはグギョンがこの宣旨を、再起のチャンスと、とらえてくれるように願っていた。
しかし多くの重臣からしてみれば、しょせん、ただの左遷にしか見えなかったのである。
というわけで、王様の視察旅行の準備が、グギョンの都承旨として最後の仕事になった。

その夜、大妃は早くも事態の軌道修正に乗り出した。権勢をふるっていたグギョンが王様に退けられのだ。
尚宮1人を共に連れ、こっそりとグギョンの屋敷へ足を運んだものの、王世子の擁立の件を、ひとまず白紙に戻そうという大妃の提案を、グギョンは裏切りと考えたようだった。
その場で大妃に決別を宣言すると、むしろ今さらながらに、大妃と手を組んだことを、彼はひどく後悔したのである。

翌、中殿の尚宮が突然、グギョンの執務室へ現れ、中殿が呼んでいるから部屋へ来て欲しいと伝えに来たのが、グギョンに決定打を与えた。
「昨夜、大妃様がそなたの家を訪ねただろう。元嬪を側室にする時も王世子擁立の件も大妃様の後押しがあったのだな。だから老論派の支持が得られたのだ。元嬪の想像妊娠の件は水に流すつもりだった。王様が誰よりも信頼する部下のこと、私もそなたを信じようと思った。だがそなたは王様を裏切り続けたのだ。王様が行幸から戻られたらすべてお話する。心の準備をしておくがよい」
中殿の話を聞いたあと、玄関と外門をつなぐ黒い瓦屋根つき廊下を、グギョンは上の空で通り抜けた。肩と背を丸めて歩くその姿は、見送りの尚宮と女官らの目に、急に老けこんで見えた。
その日一晩、グギョンの気持ちは深く沈みこみ、渦巻き、大きく揺れた。
例えば、もし、大罪を犯したと知ったら、王様はどうなさるだろうか?
いや、私が欺くなど、そもそも王様は信じようとはしないだろう。
王様の深い懐を思うと、グギョンの胸にも熱くこみあげるものがあった。
この信頼を何としても守り通したい。
清の大黄…。
その毒性は一般とは違い、服用後しばらくしてから回りはじめる。息苦しさと手足の震えの後、死に至るのだ。

一夜明けて、大殿へあがったグギョンは、行幸の準備の報告を淡々と済ませた。
王様のコシには宿衛軍の騎馬隊を、行列の先頭には別侍衛、各地域の警備には内禁衛を配置する予定であると説明してから、一呼吸置き、尋ねた。
「中殿様も同行されると聞きましたが…」
「私が村を視察する間、中殿は宣嬪と一緒に敬老の宴を開くのだ。その護衛はそなたに任せよう」
サンが、はつらつと答えた。

いよいよ出発の日となり、中殿が恵慶宮へ挨拶に出向いた。
「あの者も行くそうだな」
と針のようにとがった声で恵慶宮が言ったのは、もちろんソンヨンのことである。
そのソンヨンの体調は、旅をするのにはあまり良い状態ではなかったが、まんまと宣嬪の世話係へと出世した先輩母茶のチョビは、むしろ期待に胸をワクワクさせた。
「まさか、すっぱい物が食べたくありません? きっとご懐妊の兆しですわ。王様も頻繁にお泊りですし、可能性は十分ありますよ」
「口を慎め。こういうことは軽々しく口に出してはならぬ」
ソンヨンは自分でも内心もしかしてと思いながらも、チョビを注意して、器の煎じ薬を飲み干した。

元陵と永祐園の間にある別内や松秋などへ向けて、一行は出発した。
先頭で旗を持つのは丈の長い衣を着た役人たちだった。切手のような縁どりの四角い旗の中で、大柄の龍が強風で大きく広がった。
テスと仲間の3頭の馬、とんがり棒と黄色い衣のチャルメラ楽器隊10名の後に、王様の馬が細い脚をゆったりと折り曲げて進んだ。
サンのその特別な馬は覆面をしていて、布の2つの穴から耳を出し、額と鼻づら部分に金の紋様が打ちつけてある。
ナム、ジェゴン、グギョンの馬がそばに、背後には鉄かぶと兵がついた。
かぶと兵の大将は、ウロコつきの鎧に身をまとい、首に赤布を巻き、毛皮帽をかぶっている。彼が乗っているのは、鼻筋に白模様が通った見事な馬だった。
一行は、わら屋根の集落を通った。その様子をひと目見ようと、野次馬たちが道の両側に立ち並んだ。
そり返った赤屋根のコシが、好奇心たっぷりな野次馬の目に近づいてきた。入口ののれんと房飾りの奥に、ひっそりと中殿の姿が見える。
畳6枚分はあろうハシゴの上に、コシが丸ごとのせられており、ずきんをかぶった男らが、肩とハシゴをたすきで縛り、船をこぐように押して歩いた。側面に房や散り花の串飾りを差し立てた華やかなコシだった。
パク・タロの妻で飲み屋の女将は、近所のお喋り女や、くたびれた男らに、さも誇らしげに説明するのだった。
「あれがうちの甥っ子のテスよ。従5品の宿衛官なの! あそこにいるのは従八品、うちのだんなよ!」
近所の女や男たちが感心して視線を送った先には、中殿のコシのそばで、堂々と腕を横に振って歩くパク・タロがいた。
女将はさらに勢いづいて、大声を張り上げた。
「新しく側室になられた宣嬪様は、王様の寵愛を一身に受けてるそうよっ!」
中殿のコシとソンヨンのコシの間には、赤い大ウチワをかかげて歩く2人の女官がいた。
金の屋根のソンヨンのコシは、青い日除けの内側に金すだれを巻きあげ、外付けの椅子タイプであったので見通しが良かった。ソンヨンは久しぶりに懐かしい街を目にして、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
赤服と青服の役人、図画署員、銃兵、槍兵、荷物運びの男らと、行列はわら屋根の集落から林の一本峠を抜け、やがて荒れ地の原っぱを長々と下りはじめた。
最後尾を行く数本の旗の揺らめきは、はるか後ろの方だった。
先頭のずっと向こうに、黒瓦の2階門の横長いとりでが、かげろうのように、ぼんやりと映った。
その方角から砂埃を巻きあげて、4頭の馬が駆けのぼってくる。
馬が行列の前で止まると、一行の歩みも自然にストップした。
うち1人が馬から降りて、何か急な知らせでもあるらしく、サンのもとへ挨拶に走った。
「私は村長、パク・インギュでございます。この村には特に要望もありませんので、通過してもよろしいかと」
逆に通過されると何か困ることでもあるような切実な表情である。
「そうはいかない。村を視察せねば。案内してくれ」
サンにきっぱり跳ねつけられ、村長は戸惑いつつも、自分の馬をサンの前へ回した。
行列が再び進みはじめると、大太鼓、長ラッパ、小太鼓、つづみ太鼓など、チャルメラ楽器隊の音楽が、ススキの荒れ野原に奇妙に響き渡った。
しかしサンが険しい顔で馬を止めたのに合わせて、演奏の方もぴたりと静まり、代わりに、煙のあがる草畑を、村人達が枝ではたく音と風、小鳥のさえずりだけが残った。
「何を焼いている?」
「はっ、王様。何でもありませんが…」
村長は慌てて誤魔化そうとしたものの、ナムが事情をよく知っていたから無駄だった。
「綿花はこの土地の副産物です。最近は清からの輸入が増え、重要が激減したため、綿花畑の半分を焼き払っているのでしょう。育てても売る先がないのです。民にとっては生活に関わる問題ですが、役所の人間は放置しています」
サンは、早速この村に宿泊して民の声を聞く場を設けることに決めた。
それに伴い、敬老の宴の準備の方も進められたのである。

中殿は庭に立って、脚付きのお膳に女官達が、出来あがった料理を縁側へ並べる様子を満足そうに眺めた。
皿の音が耳に心地よかった。
しかしその背後では、グギョンが中殿を憎々しげに見つめていたのだ。もちろん中殿は知るよしもなかったが…

夜になって、役所の執務室にようやく腰を落ち着けたグギョンは、襟元から、ふと薬包を取り出し、しばらく眺めた。
翌朝、その薬を亡くなった元嬪の尚宮を務めていた女に手渡した。敬老の宴で中殿に出される食事へ混入する手はずだ。
そのあと北門に配置していた護衛、十数名ばかりを南門へ去らせ、宿衛官で狙撃の名手を、密かに北の見張り門が見下ろせる山中に潜伏させた。こちらの方は万一、中殿の毒殺が失敗したときの予防策だった。
民の声を聞く場は、役所前の広場にて開かれた。サンは村人と役人とを交えて話を聞き、当分の間、村の綿花は国で買うこと、村長には清に劣らぬ綿花の品質改良を求めることで、ひとまず問題にケリをつけた。
変わった点と言えば、宣嬪がめまいを起こして、部屋で休んだことくらいだった。
昼近くに、ソンヨンを見舞いに中殿とサンが部屋へ顔を出した。
グギョンが宴の前に中殿を見かけたのは、それが最後だった。

2010/11/13


「イサン」あらすじ 66話

グギョンは心に決めた。
計画を中止にしよう…
何てバカなことを考えたのだ。中殿様を殺せば、誰より哀しむのは王様なのだ。
大慌てで瓦の埋め込まれた白壁の道を、奥へ奥へとひた走った。
縁側に格子ドアの並んだ屋敷の前庭にいたパク・タロをつかまえ、炊事場にいるチェ尚宮に、計画を中止にするよう伝えて欲しいと言った。
ホン・グギョンの必死の形相から、ただ事でないのを感じて、パク・タロはともかく、わけもわからず走り出したのだ。
山のふもとの建物沿いに、枝が屋根にかぶさり、空は緑で覆われている。
パク・タロは、若い女官2人とすれ違ったあと、小石の多いゆるやかな坂道を大わらわで下り、切り石が3段積み重なった壁の道へ入った。もたつく自分の足が、何とももどかしい。

大木そばの草やぶから、銃口がのぞいた。普段着になった宿衛官3名のものだ。銃口は宴の壇上席を狙っている。
突然、赤い衣をひるがえしてグギョンが3人の間に飛び込んできた。グギョンは彼らと同じように、やぶの中に身を潜めると、緊張してささやいた。
「撃ったのか?!」
「いいえ」
「よかった…。計画は中止だ」
グギョンが心底ホッと胸をなでおろしのも束の間、カン宿衛官が怯えた表情で言った。
「…ですが、中殿様は宴に出ていません。代わりに王様がおいでなのです」

招待された貧しい老人らは、砂利に敷かれたゴザへゆっくりと腰をおろした。
広場の脇にセットされた重臣らのテーブル席に、女官らが豆腐、どら焼き、桜やヨモギの餅団子、手羽先などの料理を並べ、ツバキの花の一輪ざしの瓶を、等間隔に置いた。そのどれもが白磁の器だった。
いよいよ宴がはじまると、広場の瓦門の内側に控えていた図画署員らが、長テーブルの上で記録画を描きはじめた。
5名の女官が6×2列のゴザ席と、広場中央の赤カーペットの隙間にできた道をたどり、一人用の膳を老人らの前に運んだ。
その女官らと入れ違いに、背筋をぴんと伸ばした5人の舞女が、はつらつとした笑顔を浮かべながら、赤じゅうたんへ一列に並んだ。
彼女らは、手のひらほどのミニ太鼓をお腹に構えて、ひじと脇を三角に張り、すらりと斜めに立つと、壇上席の王様に向かって一礼し、次の瞬間、舞い踊った。
トン、トカトンッ、トン、トカトンッ。大つづみを抱えた女の周りを、4人の女が太鼓をたたいて跳ね回る。つぼみのように輪の中心に集まったかと思うと、次には花が咲くように外へ散らばり、最後には中心の女を交えてくるくると回った。
老人らはカーペットの三方向から、万華鏡のような舞女の動きを楽しんだが、その背後には、警備兵が槍や銃を手に、じっと立っているのだった。
やがて大屋根の軒下に設けた壇上席に、白い布をかけた盆が運ばれてきた。
大殿の尚宮が盆の布を取り払い、金の急須やゴマや米の棒菓子などが揃った賑やかなテーブルの上に、新しい料理をのせた。
「王様。このソバは、この村の特産物だそうです。どうぞお食べ下さい」
ナム尚膳の説明を受け、サンはまずお茶を一杯飲んで口をしめらせてから、銀のさじを手にとった。ソバを軽くほぐすと、飾りの肉と薄焼き卵の千切り、ネギがぽろりと汁の中へ転がっていった。
ソバに浸った薄茶色のスープがきれいに澄んでいる。いかにもおいしそうなそのスープを、サンは嬉しそうにすくい、口に寄せた。
「しばしお待ちをっ!」
突然の声に、サンの手はとまった。
炊事場担当の尚宮が、お盆を手に戻って来たのである。
「つけ汁を忘れておりました。大変な失礼を…」
大殿の尚宮が盆のかけ布を取り外すと、白菜が浮かんだ水汁と土色の汁の入った2種の器があらわれた。
「毒見は?」
「致しました…」
炊事担当の尚宮は、ナム尚膳にそっと答えた。
つけ汁はソバの横に置かれた。サンは特に機嫌を損ねた様子もなく、再びスプーンを手にした。

とにかく炊事場担当の尚宮にしてみれば、こんな粗相は前代未聞であった。炊事場へ戻るなり、さっそく毒見係の女と若い女官らを叱りつけたが、毒見係の女には、どうも言い分があるようだった。
「私たちに尋ねられても困ります。そばの毒見を行ったのは私ではないのです。大殿の尚宮様に任せるようにと、署名入りの書状を見せられましたので」
「何だと!? 私はそんな命令を下した覚えはないぞ!」
驚いた尚宮は、餅が伸びたように口をあけ、息をのんだ。

宴の壇上席へ慌てて駆けつけた役人は、ナムの耳元へ手をあてた。正体不明の尚宮が炊事場にあらわれ、偽造の書状で女官に命令を下し、そのまま失踪したと、ささやいたのであった。
「王様! 箸を置いてください!」
ナムが王様に向かって叫んだとき、サンはまさにソバをひと口、すすったところだった。

グギョンが宴席へ駆けつけたときには、すでに宴の広場はごったがえしていた。不安の顔色を浮かべる村民の間に、槍を持った兵士が混じり、物々しい雰囲気だった。
背後からささやく声がするので振り返ってみると、人混みにまぎれたチェ尚宮が、悲壮な表情を浮かべて、グギョンに近寄ってきた。
「なぜまだここにいる?!」
「禁軍たちが門を封鎖していて外に出られないのです。計画は仰せの通り中止しました」
「あの薬は?」
「ここに」
グギョンは尚宮の取り出した包紙を素早く受け取ると、自分の懐へしまいこんだ。
「どうすればいいですか? 私は食事担当の尚宮に顔を見られています」
「ひとまず身を隠せ。私が逃げ道を作っておく」
カン宿衛官の案内で、チェ尚宮が再び姿を消すと、グギョンの目線は広場を流れた。
ゴザ席の膳の器を片付ける女官たち。そのそばでは村民らが、先ほどまで舞女が華麗な太鼓の舞いを見せたあの赤いじゅうたんを踏みつけて、立ち話をしている。
一点に向かって頭を垂れる医女や役人、尚宮、内官。石段の両端に赤いハットをかぶった警護兵。最後にグギョンの目の先に、玉座のサンの姿がとまった。
御医の背後で盆を抱えた医女2名と、ジェゴン、ナム尚膳、尚宮、パク・チェガらが、神妙な面持ちで王様の診断結果を待っていた。
玉座のそばにひざまずいた御医は、王様の手首に指数本をあて、慎重に脈をとった。
とりあえず、王様はご無事のようだ。いつもと変わらぬその姿に、グギョンは涙目でホッと肩の荷をおろした。
あと一歩で、とんでもない間違いをしでかすところだった…! 
中殿まで殺害しようとした自分の愚かさを、改めてつくづく悔やんだ。
薬の包紙を手に固く握りしめ、グギョンは思わず、声をあげて泣いたのである。

王様の毒殺をはかった尚宮を捕えるため、すぐに禁軍別将とジェゴンが捜査の責任者に任命された。
会場内は封鎖され、禁軍と宿衛官らは一斉に敷地内へ散らばっていった。
尚宮は全員、中庭に集められ、炊事場の女が、その顔を1人ずつ確かめて歩いた。
宴に参加した民は、持ち物検査が終わるまで足止めを食らい、兵士らが木箱のワラを引っかきまわすのを眺めているより仕方がなかった。
背後でそれらの風景を見守りながら、サンはテスに漏らした。
「そなたは標的が私だったと思うか?」
「…と申しますと?」
「あの宴には本来なら中殿が出ているはずだった。私は予告もなく出席したのだ。妙ではないか…? 私が口にした食事は中殿のものだった。ところでホン・グギョンはどこにいる? 今日は一度も見ていないが」

その頃、チェ尚宮と逃走中のカン宿衛官は、門へ先回りしていたテスに行く手を阻まれていた。テスがカン宿衛官と格闘している隙に、チェ尚宮は風呂敷袋を1つ手にぶらさげ、慌てて逃げ出した。
土塀にくりぬかれた木戸門をくぐり抜けると、木戸が並んだ白壁の建物の裏道を、行きあたりばったり迷路のように駆けずり回ったが、とうとう転んで悲鳴をあげてしまった。
禁軍兵がその声に気づき、槍を持って一斉にチェ尚宮を追いかけてきた。
逃げまどううち、裏道も奥まで行きついたチェ尚宮は、そのとき胸に隠し持っていた予備の毒を、とっさに飲み干した。

旅から宮殿に戻ったサンは、ソンヨンの部屋で過ごした。
明日にはグギョンの判決が出るという晩だった。
座枕にひじをつき、考えにふけるサンの握りこぶしを、ソンヨンはそっと手のひらで優しく包みこんだ。
しかしサンの心は癒されず、心は悲しみで激しく打ち震えた。
グギョンをいまだに信じてやりたいと思う。
どんな些細な言い訳でもいい。罪を許し、生かしてやりたい。ところが自分は王であるがゆえに、そうしてはならない。グギョンは中殿の毒殺をすべて認めた。
ホン・グギョンは自分の右腕であり、夢に抱いた志を一緒に実現しようとした同士であり、友であった。
その友に、死刑を命じなければならない気持ちが、一体、彼にわかるだろうか?
何のためにあの男は私に仕えたのか。
何のために、その昔、東宮殿に私を訪ねて来たのだろうか…

2010/11/21


「イサン」あらすじ 67話

判義禁府事に任命されたチャン・テウは、不当な判決を読み上げるのを、こばんで怒りだした。
代わりにテウの手元から巻物を取り上げ、被告人や重臣らを前に、サンが自ら読みあげた文は、以下の通りである。
“庚子年4月戌午日、この者たちは非道極まりない罪で王室の尊厳を傷つけた。ゆえに私は本日、カン・ジュンビルら3人を免職の上、流刑に処する。首謀者であるホン・グギョンは免職の上、江陵への流刑に処す。中殿の毒殺を企んだ罪は重いが、自ら過ちを悟り、計画を止めた。料理を食べた私が無事なのがその証拠である。よって死刑は免除すべきだ”

とはいえ過酷な地へ友を送るのは、サンには辛い決断だった。しかしグギョンが流刑地へ旅立った後も、サンはいつも通りに、忙しい業務をこなさなければならなかった。
まずはパク・チェガら7名と会議をした。
議題は干ばつによる生活の困窮と、それにつけこむ高利貸しの問題だった。サンはこの件について引き続き、詳しい調査を指示した。
会議の後、新しい側室の件で恵慶宮がサンの部屋へ訪ねて来た。
イ尚宮を通じて何度も伝えたのに、サンがこれまでひと月の間、和嬪の部屋へ1度も顔を見せなかったというのである。サンにしてみれば、まずソンヨンを認めて貰うことの方が大事だった。しかし恵慶宮は自分の言いたいことだけを告げ、早々に引きあげていった。王様を迎える準備を整えてあるから、今晩こそ和嬪の部屋へ行くように、とのことであった。
未の刻より戸曹との会議を済ませた後は、執務室でナムとチェゴンの3人で、遅くまで仕事をこなした。ろうそくがちびて、炎も小さくなった頃、和嬪の部屋へ行く時間になった。
サンはまだ墨の乾かない宣旨を、ふわりと4つに折り畳んで、ナムに承政院に送るよう指示して、今日の仕事を終わりにした。
「ところで王様、宿衛大将の座はどうなさいますか? あれ以来、禁軍別将が代行していますが、そろそろ後任を…」
チェゴンが最後に心配そうに聞いた。

和嬪は恵慶宮が自信を持って送り込んだソンヨンの対抗馬だった。
ソンヨンが五品なのに対して、良家に育った和嬪の階級は正一品と高い。
そのため2人が同じ本を読みたがった場合、和嬪の方が優先された。王室の系統と業績をまとめた「壺範」や「女史書」など基本の書物を読んでいないソンヨンに、和嬪と同じ本はまだ難解だというのがその理由だった。もちろん聡明なソンヨンが、和嬪と同じ本を読みこなせないわけはなかったが、それを証明する場はなかった。
王様が訪ねて来たと聞いて、ソンヨンは慌てて縁側へ出て、短い石段から庭へおりたった。「こちらに何のご用ですか?」
てっきり今頃、王様は和嬪の部屋にいると思い込んでいたからだ。
「どういう意味だ?」
サンはおかしそうに微笑んで、部屋へあがった。
無性に酒が飲みたかった。
粉をふいた黄色と緑のあん団子、なつめの実やドライフルーツをたっぷりと盛ったポンチなど、おつきのチョビに用意させた酒膳が目の前に運ばれて来ると、サンは待ちきれない様子で自分で急須を取って、湯のみに注いだ。
チェゴンに宿衛大将の任命を催促されたのが、ずっと心に引っかかっている。
「あの職にはホン承旨以外の者を据えたくないのだ。もちろんあの者が犯した非道な罪を許すことはできぬ。なのになぜ、未練が残るのだろうか…」
ソンヨンはサンの思いつめた顔を見つめた。グギョンを恨むというよりも、サンはむしろ、恋しがっているように見えた。

翌日、グギョンが流罪となった島の近くまで遠出をした。その合間に、テスに薬を持たせてグギョンの様子を見に行かせた。
夜になり、テスが風呂敷をさげ、サンの部屋へ報告にあがった。
「体の具合が悪そうでした。これはホン承旨様から預かって来たものです」
風呂敷の包みをほどいてフタを取ったカゴの中には、軍の改革案をまとめた書物が2冊と、下側に手紙が忍ばせていた。
罪人の身で王様に改革案を提出するのを、グギョンはかなり迷ったようで、もしふさわしくないと思えばその場で燃やして欲しいと、手紙の最後に添えてあった。

高利貸しについて、その後の調査をふまえた会議をした。 
高利貸しが法の規定を守らず、利子を自由自在に高くしているらしい。
「問題はこれだけではありません。高利貸しが返済できなかった者を捕えて清に売っているのです。その本拠地は蓮花坊と彰善坊一帯にあります」
パク・チェガは言った。
会議のあと、サンは人身売買の現場調査へ行きたがった。しかしナム尚膳によると、午後の未の刻から、成均館でサンが儒生に与えた課題の解答を見る予定が入っているとのことであった。

その成均館へ行く途中、面白い男に出会った。
石塀の瓦にまたがって、通りすがりのサンとテスを呼びとめた若い男は、飛び降りるには塀が高すぎて、すっかり困り果てているようだった。
テスが仕方なく、男が伸ばしてきた手を取っても、まだ飛び降りる自信がつかないのか、今度は遠まきに見ているサンを手招きした。
「あんたも手を貸してくれよ。早く!」
サンは口を開きかけたテスを止め、言う通りに男の手を握った。
2人の手を借りて、男は瓦を踏み鳴らし地面へ着地すると、先に転がしておいた風呂敷包を拾い上げ、底の土をはたいた。
「毎度ながら面倒だな。ムダに高い壁だ。とにかく助かりましたよ。あっ、しまったな…。名前を書き忘れた。せっかくいい答案がかけたのに、もったいない」
そう呟いて、淡々と歩き去っていったのだ。
テスが男の後ろ姿を見つめながら呟いた。
「成均館の儒生のようですね…」
「放っておけ。学問に興味がないから抜け出すのだろう」
サンは薄笑いを浮かべた。

成均館の座敷では、白い着物に黒ずきんをかぶった講師3名がサンを迎えた。
サンは講師陣に見せられた1枚の答案を、熱心に読み込んだ。
自分でさえ半信半疑で出した中庸の70の問いに、こうも早く答えた者がいるらしい。
その内容は、人身売買の根絶について訴えたもので、どこでどう調べたのかは知らないが、情報として十分に信じられるほどに詳細に書かれていた。
「これを書いた儒生は誰だ?」
「恐れながら分かりません」
「分からないだと?」
「はい。答案に名前が書かれておらず、我々も困っているのです…」
講師陣の1人がサンに答えた。

注目すべきは、答案に人身売買の本拠地が建徳洞だと記してあったことだ。
サンは成均館から人身売買の本拠地、建徳洞へと向かった。倉庫街に到着すると、テスら護衛と手分けして、調査にあたった。
鋭い目つきで倉庫の前に立っている大柄な男らの目を盗んで、サンは1人で裏道へ回った。
辺りは外釜の煙突から吐き出される煙で、見通しが悪い。
その煙突に、さなぎように身を寄せ、地面にうずくまっている男がいた。さっきの若い儒生だった。
「ここで何をしている?!」
「あんたこそ何を?!」
サンと若い男の声を聞きつけたのだろう。見張り番の男らが、裏道へ駆けつけてきた。
2人があばら小屋に逃げ込んですぐ、見張り役の男2人が板張りの入口から、その倉庫へ入ってきた。
三角屋根の明かりとりつきの高い天井から、海藻の束や、ヒモで連なったタキギがぶら下り、横に太い張りが1本またがっている。
入口の壁に、積み上がった米袋、ムシロにくるまれた中央の荷の山から大黒柱がのぞき、さらにその向こうに穀物袋の山が寝かせてあるなど奥が広い。
見張り役の足がゆっくりと奥へ進んで、やがてあきらめたように入口へ引き返し、大扉のかんぬきを閉めて立ち去っていった。
その瞬間、頭の上の米俵を投げやって立ちあがった若い男は、入口へ駆け走り、力いっぱい扉を押してみた。しかし頑丈な板の音が跳ねかえってくるだけで、扉はびくとも開かない。
振り返って、窓際を見まわす。窓に引っかけてあるのは、もみがら用のざる、かごバック、古い着物をほどいた布、床に無造作に置かれた木箱、木箱に丸めて立てかけたござ、ワラ袋…
どうも何かを探しているらしい。この男は一体、何をはじめるつもりなのか…?
サンはしばらく、その様子を観察した。
若い男は邪魔な穀物袋を払いのけて大きい木箱を作業台にすると、小麦の入った大袋と、小さな木箱に詰められた巾着のひもをほどいて、次々に広げていった。
小麦粉をメインに茶色の粉2つかみと、灰色の粉ひとつかみなど調合したのを、布とさらに風呂敷にもくるんで、先ほどの小さな木箱に戻し入れ、点火用の縄を箱の角に出してフタを閉めた。
次に袖口から取り出したのは、変てこな2本のパイプ管だった。穴の部分にもう片方のパイプを直角に入れ、窓の格子からレンズのついた方を突き出した。
普通なら目の前の石塀が見えるだけなのが、パイプの曲がりによって、塀に沿った道が、突き当たりまでずっと見通せる。
こういうものに目のないサンは、手作りの双眼鏡をさっそく若い男に貸して貰い、片目をつぶった。道を挟んで、板造りの倉庫と赤茶色の石壁が外に膨張したように見える。
もっと違う場所を見ようと、パイプの角度をあれこれ変えて、しゃぶりつくようにのぞき込み、節のある太い竹筒のような煙突が土釜から出ているのと、軒下の配管、勝手口、瓦つきの3連の石壁まで見えた。
若い男は双眼鏡を返して欲しくて、サンの肩を引っつかんだが、サンは窓にへばりついて、頑として放そうとしない。
「いい加減に返せよ!」
男は仕方なく双眼鏡をもぎとった。そして外に誰もいないことが確認できたので、小窓の下へ先ほど作った小箱を仕掛けた。
箱から出た縄のしっぽに点火して、サンを連れて戸口の前へ避難した。
すぐに柱の陰からボンッと2度ほど爆発音がし、明るい火の海が一瞬にして、濃い煙にのみこまれた。
もやの中からサンが最初に見たのは、若い男のニヤニヤした顔だった。
2人でそのまま倉庫を脱出し、夢中で逃げた。
一息ついたところで若い男が、
「ところであんた誰だい? 言いたくなければ当ててやるさ。生まれは?」
「壬申年の9月だ」
「ちょっと待った。天下を入れる相だ。格好からして豪商ではなさそうだし、もしあんたが王様なら、私は無礼を働いた罪で死刑だろうな」
「確かにそなたは大変なことをしでかした」
若い男とサンは、お互い、あきれたような笑い声をあげた。

2010/11/28


「イサン」あらすじ 68話

「え? あんたが王様だと言うのかい? これは恐縮です。どんだ無礼を」
王であると打ち明けたサンに、ヤギョンが言った。
「いいや。この格好では分からなくても無理はないのだ。私だって騙すつもりはなかった。次はそなたが正体を明かす番だが…」
「王様。私をお忘れで? 王様の右腕の領議政ですよ! アハハハッ。あんたが王様ならば私は領議政だろ?」
どうもヤギョンは冗談だと思っているようだ。
次の瞬間、ヤギョンは急にサンの手を引っ張って、一段低い通りへ抜けられる狭い石段に身を隠した。そうしてがれきの塀に背中をぴたりと寄せ、辺りを見回した。
倉庫の見張り番の男ら4名が、サンたちには気づかず、目の前を通り過ぎていく。
「王様ごっこをしている場合ではない。あの下から錦川橋へ行ける。ここへはもう来るな」
ヤギョンはサンに忠告すると、見張り役の男らとは逆方向に走り去って行った。

その若い儒生についての調査資料をテスが持って来た。サンはそれを熱心に目を通した。
「チョン・ヤギョンというのか…」
「はい、王様。明礼坊に住んでおり、修学して3年程だそうです」
「学問に興味がないどころか政治学は見事な成績じゃないか…」
「しかしなぜか科挙には落第して、授業も休みがちで懲戒を受けています」
「授業を抜け出して一体、何をしているのだろう?」
「酒場で民の訴訟を代行しているのです。無償で毎日、話を聞いて学のない民に代わって嘆願書を書いているとか。あの儒生が乗りだして負けた訴訟はないそうで」
忙しいわけだ。
多くの訴訟を扱うには刑律の知識がいる。
サンはヤギョンが漢城府に提訴するために書き綴った紙を広げた。
お手並み拝見といこう。
まずはおえらいに家を奪われた貧しい男の一件。助けを求めてヤギョンに泣きついたらしい。
どうも見覚えのある書体だと思い、サンは椅子の後ろのチェストから、右端の小引き出しを開けて、例の名無しのごんべえの答案を取り出した。
間違いない。ヤギョンの書いた訴訟と同じ文字だ。
すぐにチェゴンを呼び出し、答案を見せたところ、
「人並み外れた才能が人目で見てとれる答案です」とハァーと深い息を漏らした。
やはりそうだったか。とサンが納得しかけたとき、チェゴンが首を傾げた。
「なぜこれほどの者が、科挙の大科に落第したのでしょうか…?」

次の科挙の機会はすぐにやって来た。
答案を今一度確かめてから筆を置くと、早くも荷物を丸めてゴザ席から立ちあがった男がいる。
隣の色白の背の高い男が、心配し男を見上げた。
「もう帰るのかい?」
「答えは全部書いたさ。頑張れよ」
「だから毎回落第なのさ…」
色白の男はあきれ果てて首を横にふった。
そのあきれた男は、ヒモつきの荷袋を背中にだらんと垂らして、他の受験者らの隙間をぬって答案を提出しに行った。そうして城壁門の会場を後にしたその男こそ、他でもないヤギョンであった。

「これが合格者の答案か?」
「はい。さようでございます」
チャン・テウが真面目腐った顔をして答えた。しかしサンは答案の束にヤギョンのものがないのが不満だったのだ。
あまりにも型破りな内容のため、どうも採点官がはねつけたに違いない。
すべての答案を再度、採点部屋へ持ってくるよう命じると、テウは渋い顔をしてみせた。
合格発表の時刻は少し遅らせることにした。

テスが酒場へ顔を出したとき、縁側にわらじで正座した貧しい男が、何度もヤギョンに礼を言って帰っていくところだった。
ヤギョンは玄関口の小部屋に机を置いて、民の相談場にしているらしい。もうぼちぼち店じまいにしようと、書物を机でトントンと揃えているところへテスが声をかけた。
「ああ、誰かと思ったら。王様のお供の方ですね」
ヤギョンもテスの顔を覚えていた。
「ええ。ところでどうでした? この間、実施された科挙の結果ですが」
「あんたも勘が鈍いな。落ちたからここにいる」
「たった今、結果が貼りだされたようですけど? 行ってみたら? 手違いであなたの名前が一番上にあるとも限らないでしょう」
とテスに言われて、ヤギョンは城壁門の前へ行ってみた。なるほどつば広の黒帽子をかぶった人だかりが出来ている。
バカらしいとは思いながら、人を掻き分け進んでみると、試験会場で隣にいた色白の男がいて、屋根のある看板をしきりに指さす。
つられて目をやったヤギョンは、何かの見間違いじゃないかと思って、一瞬、眩しそうに瞬いた。

癸卯年 大比科試
調律榜目
壯元 チョン・ヤギョン 羅州

なんと首席合格である。
合格者の25名は、赤門に四方を囲まれた石敷の広場に集められた。
まもなく王様が尚宮や内官らを連れて、石造りのなだらかな階段をゆっくり下りてきた。
サンは合格者の顔ぶれを見まわし、ヤギョンを探した。皆かしこまって目を伏せている。
「そなたが首席で合格したチョン・ヤギョンか」
「はい。さようでございます…」
ヤギョンは帽子の先につけた合格者の花の串飾りを、アンテナのように前へ垂らして神妙に答えた。
「そなたの答案には深い感銘を受けた。だが妙だな。すでに高官であるそなたがなぜ科挙を受ける」
「恐れながら…私が高官とはどういうことでしょうか?」
「とぼけるな。そなたは領議政ではないか」
ヤギョンがハッと驚いて顔をあげた瞬間、サンがいたずらっぽい笑みを返した。

養蚕の成功を祈願する親蚕礼の打ちあわせに、そもそも恵慶宮がソンヨンの参加を認めたのは、慣例に従うべきだという中殿に折れたためではなく、和嬪のひと言がきっかけだった。
「宣嬪はまだ宮中のおきてになれていません。判断に迷うところですが、恐れながらひとまず宣嬪を参加させて、もし何か問われたら私が答えるのはどうでしょう?」
お気に入りの和嬪の考えに恵慶宮はとても感心した。徳と知恵を示す席で、王室の恥をさらさずに済むだけでなく、和嬪の賢さがいっそう目立つことだろう。

養蚕は王室で奨励している産業で、高麗時代から女性が衣服を作ったことに由来するものである。
打ち合わせの席には、40代から60代までの高貴なベテラン婦人8名が顔を揃えた。それぞれに茶菓子の膳が用意されて、ソンヨン、中殿、恵慶宮、和嬪ら王族と対面に座った。
リーダー格と思われるうりざね顔の女がまずは質問した。
「宣嬪様にお尋ねします。親蚕礼で着る衣は何色ですか」
ねちっこい口調だ。お手並み拝見とばかり、挑戦的な目つきでソンヨンを睨みつけた。恵慶宮はここぞとばかり、下目づかいにそっと和嬪に視線を送る。
「和嬪。そなたが答えるのがよかろう…」
ベテラン婦人は思わず隣同士で顔を見合わせ、ひと言、ふた言、何かささやいたようだった。しかしそのざわめきも、おだやかな和嬪の声がすると静まった。
「本来は青色であったが、庚午年に鴉青色へ変更し、丁巳年に乳青色へと変更した。先代の王様は庚午年の礼法に従えと命じられた。従って乳青色にすべきだろう」
ベテラン婦人らは恐れ入ったように、前衣のスリットへ両腕を隠したまま頭を下げた。和嬪を誇らしそうに見る恵慶宮の顔に、笑みが浮かんだ。
続いて、ふくよかな女が、さっぱりとした物言いで尋ねた。
「和嬪様。では衣の色はなぜ変わるのですか?」
こちらの方はどうも答えが思い当たらず、和嬪は考え込んでしまった。
「恵慶宮様。私が答えてもいいでしょうか…」
婦人たちは声の主に視線を送った。おつきの尚宮や和嬪、恵慶宮、中殿も驚いてソンヨンを見た。
「知っているのなら答えなさい」
恵慶宮は仕方なさそうに、しかも冷たく言った。
「親蚕礼の前に祭壇に礼をしますが、養蚕の神として祭られるのは春秋時代の西陵夫人です。最初はその礼に従い、中殿様の衣は桑色、他の女性は青色でした。ですが明の皇帝が色を変えたため、我が国もこれにならったのです。のちに乳青色となり再び鴉青色へ変わったのは乳青色の染色が難しく、また中殿様と他の女性の区別を明確にするためです」
ソンヨンはゆっくりと、一度も詰まることなく答えた。
文句のつけようのない完璧な答えだった。
ふくよかな女は、驚いておちょぼ口を大きく開けた。他の婦人らも笑顔で頷きあった。ねちっこい女でさえ、すっかり感心したように微笑んだのだった。

余罪を追及する名目で、テスが再び島を訪れたのは、サンのたっての願いであった。どうしてもグギョンにひと言、伝えたいことがあり、都近くまで連れて帰るよう言われたのだ。
棒を横にわたした垣根にツルが絡まっている。海に囲まれ、兵士がどんなに監視を怠けようとも、グギョンが逃げ出せるはずのない辺境の地だった。
テスは草ぶき小屋へ入った。ところがそこに病人はおらず、二間続きに敷かれたせんべい布団の端が、まくれているだけだ。隅に寄せた家具は、どれもタンスだか箱だかわからないような粗末なものだった。
玄関の板間は、きれいに片付いていた。くりぬき鉢とすりこぎ、小さなざる、まな板、何度も握りしめて艶の出た包丁以外、何もない。ずんどうの魚が、わらを敷いたざるに、頭の向きを揃えて並べてあった。
まな板に魚が1匹のっている。透明なヒレに血が滲んでいる。包丁を枕にして、さばかれるのをじっと待っていた。
テスは何だか嫌な予感がして、小屋の外へ出て、急いで庭へ回った。
グギョンが倒れていたのは、横庭の小石を積み重ねたかまどの前だった。そばに小さなザルが1つ転がって落ちていた。

テスからの急報で、サンが島へ駆けつけたとき、日は暮れかけていた。
グギョンは布団に横たわっている。その手が少し伸びたのに気づいて、サンが両手で握った。
グギョンは糸をひくように何とか声を出した。薄っすら目を開け、サンを見ている。もうほとんど死にかけているというのに、鼻の頭を赤くして子供のように泣いているらしかった。
「聞いてくれ。私はそなたのことを恨んではいないのだ」
サンは言った。
「王様、何もおっしゃらないでください。これでいいのです。でもどうか信じて下さい。王様に対する私の忠誠心は偽りではなかったと」
「分かっている。すべて分かっている…」
とサンはとうとう泣き崩れた。

グギョンの遺体は早朝、卯の刻よりテスら白い着物姿の宿衛官らによって運ばれた。
赤地ののぼり旗には“宿衛大将 都承旨 豊山洪公”
と白文字で染め抜かれた。それが行列と共に進んでいった。
チリンチリン…
ミコシやぐらに立つ男が、手持ちのベルを鳴らし、甲高い歌声をあげる。それは天へのぼって再び地へ降りた。ミコシを引く男らの合の手が、線のように底を流れた。
サンは思った。私たちは同じ夢を見ていた。これからまだ一緒にすべきことがあったのだ。それなのになぜ、こんなことになったのだろう…
今、潮が引いて、海は目の前から夢のように消え去った。グギョンの棺をのせたミコシが、サンの待つ都を目指して砂浜を進み、海へと真っすぐに向かった。

2010/12/5


「イサン」あらすじ 69話

ナム尚膳と尚宮は、ため息をついた。内官、女官らも頭を垂れて大殿の前にいる。障子越しの明かりがナム尚膳の衿元を白く照らし、落ちていく日は衣をより黒くした。
ジェゴンが心配して大殿前の渡り通路まで様子を見に来た。
「王様が執務室に移られたそうだが」
「さようです。夕食のお時間なのに、例の儒生との議論が続いています。声の様子からして、ますます白熱している様子で…」
ジェゴンは光のこぼれる障子を見あげた。扉の開かれる気配は全くない。それにしても、もう戌の刻なのである。

サンは一つ議論が終わると本を閉じて山へのせ、また次の本を出した。
ヤギョンはもはや眠くなって、体が本にうずもれかけた。まだヤギョンの得意分野である天文学について質問する気でいたサンも、彼が大あくびをするのを見てようやく書物を閉じた。
最後に肩まで積んだ書物の中から、“解剖新書”と“保元集”をヤギョンに渡してやった。どちらも貴重本とされている品だ。
「ここにある本は何でも持って行け。なければ国中から探してやる」
とサンは気前よく言った。
ヤギョンがようやく王様の部屋を後にした頃、日はすっかり高くなっていた。

科挙に合格した者は、まず承文院、成均館、校書館へ臨時に配属される。そのあと優秀と認められた者に限り、希望の部署に正式配属できるのが決まりだった。
首席合格のチョン・ヤギョンが中枢部に自ら望んで入ったと聞いて、重臣らは思わず首をひねったものである。中枢部と言えば、そもそも仕事のない官吏のために作られた部署だったからだ。
ヤギョンはまず倉庫に眠っていた書物を、棚ごと全て中枢部へ運び込んだ。足らない本は役人に頼んで、出来る限り掻き集めて貰った。
部屋を占拠した長テーブルは、高官たちとのミーティング用のものだ。そこに棚を持ちこみ、椅子を引き出すのも窮屈なほど手狭になった。
棚にはそれぞれ領事宛、知事宛てなどの場所を決め、毎日1度はここに来て必要な書類を自分らで閲覧するよう工夫した。広い宮殿でもこうすれば効率よく業務を行える。
こうして確保した時間は、承政院に出す提案を書くためにあてた。

石畳の広場で偶然にもチャン・テウを見かけた。挨拶しようと駆け寄ったヤギョンを、テウは待ち構えたように見つめ、
「そなたがチョン・ヤギョンか」
と面白くない顔をして言った。
「私をご存じで?」
「有名人だからな。そなたの提案も読んだ」
「お褒めいただき恐縮です」
ヤギョンはうやうやしくお辞儀した。正真正銘、本物の領議政に会って、すっかり感激したのだ。
「恐縮する必要はない。あんな余計な事をしようと中枢部を希望したのならばな。暇な部署のほうが書案を作る時間があるとでも? 政治の何たるかも分からぬ者が身の程をわきまえよ」
これで少しは血気盛んな若造に灸をすえたつもりでいたところ、ヤギョンは図々しくも、こう釈明してきた。
「お言葉ですが私の未熟さは重臣の方々が補ってくれるでしょう。若い官吏が骨組みを構想し、知恵と徳を備えた重臣が肉づけする。そうして協力しあえば朝廷は一層、発展します。それからひとつお願いがございます。領議政様がお書きになった文集を貸してください。どうしても1冊だけ手に入らないのです」
テウは蛇のように目を細くした。そうしてまじまじとヤギョンを睨みつけた。ずいぶん妙な若造だと思ったのであった…

「集合時間は辰の刻。今晩、宿衛官20名、禁軍40名を東西に分け、人身売買の本拠地を制圧します」
と禁軍別将軍は前もって報告したが、翌日には、桟橋に現れた清の密輸船をパク・テス率いる軍が襲撃、樽馬車に詰め込まれた人々を無事開放し、本拠地を制圧するという展開があった。
捕えられたのは清の商人らと関与した役人たちだ。

このタイミングで清の使節団が都へ到着し、その長チャン・ウォンウィが、王様のもとへ挨拶に来たというのは、最初から何らかの糸が絡んでいるようにも思われた。
彼は龍のうろこが縦にはしったガウンを着て、堂々としていた。
肩の辺りに唐草模様の縁どりがしてある。ベルベッドのタワー帽子を頭にのせて、大きな黄色いリボンを、厚いアゴの下に結わえていた。
「さようです王様。都に向かう途中で事件のことを聞きました。投獄された罪人たちは清の民でございます。こういう場合、本国に移すのが原則だと思いますが」
読書堂の丸いテーブルについたウォンウィは、かっぷくの良いわりには、やわらかみのある声で訴えた。
「朝鮮で罪を犯したのに、調査が終わるまで引き渡しはできない。余罪を追及する必要がある」
「では清に連れ帰って罪を問いましょう」
「そうはいかぬ。彼らにしかるべき処分が下るとは思えないからな」
サンは確信したように答えた。
会談は嫌な空気を残したまま終わった。

禁軍別将軍より一報が入る。捕盗庁に使節団の護衛兵が押しかけて、清の商人の引き渡しを要求しているとのこと。
事態を受け、捕盗庁の門は直ちに封鎖された。それから収拾のための宿衛官が派遣されることになった。
パク・チェガ検書官らは、承文院の書物をひっくり返して、何か解決方法はないかと歴史の事例を調べまくった。
承文院の文書を見尽くしたヤギョンは、今度は他の部署をあちこち駆けずり回った。通りすがりに役人とぶつかって落ちかけた帽子を手で押さえると、また走り出した。ヤリを持った禁軍が宮中を移動するのをちょうど見かけた。
便殿では重臣らの意見が様々に割れた。
「今からでも清の商人を引き渡しましょう!」
「いえ王様。彼らの要求を飲んではいけません。わずかでも譲歩すれば、いつの日か領土と民まで引き渡すことになりましょう」
と反論したのはチャン・テウだった。
まるでどちらかが先に手を出すかと駆け引きするように、捕盗庁の前では剣を手にした清の商人らと宿衛官らの睨みあいが続いていた。
急きょ大使が再びサンに会いにやって来て、
「王様、とんだ騒ぎになりましたね。しかし私だけの責任とは言えませんよ。提案を拒否されたのは王様なのですから。この先どうしますか。これでも彼らを引き渡しませんか…?」
と皮肉った。

珍しく王様の足がこのところ遠のいていた。
新しい恋人が出来て忙しいのだろう…
とソンヨンは思った。
ヤギョンと議論するのを王様は大いに楽しんでいるようなのだ。
年配の医女がソンヨンの手首に指を4本あてている。診療を終えると静かに頭を垂れ、
「わずかながら脈拍が出ております」
このところ吐き気がして、食事ものどを通らない。
妊娠のときに脈拍が出る…そう本で読んだことがあった。
でも王様に報告するのは、医女の処方した薬を5日間ほど飲んで、もう一度、診脈を受けてからにした方が良いだろう…

診察のあとソンヨンは珍しい客人を部屋に招いた。留学先でソンヨンの絵を認めてくれた師匠が、清の使節団の一行について来ていたのである。
政変で一時は礼部司を去ったものの、今は政情が落ち着いて復帰したらしい。
師匠はソンヨンが宣嬪になったと聞いて大いに喜んで、祝いを述べた。その一方で才能豊かなソンヨンが、もう暇つぶし程度にしか絵筆を握ってないというのを、とても残念がった。
「ところでチャン・ウォンウィ様を覚えておられますか」
と師匠に聞かれて、
「もちろんですわ」とソンヨンは答えた。
修学中にソンヨンが山水画を贈ったことのある人物だ。
「あの方が使節団の長としておいでです…」
師匠は言った。

2010/12/12


「イサン」あらすじ 70話

罪人の釈放が目的にしては、やり方が無謀すぎる。
おそらく清は兵を送り込もうとしているのだ。
新しい皇帝が即位し、清では内乱が続いている。
国庫が底をついて国内の不満が高まる今、民の目を外に向けようというのが、清の本当の狙いらしい。
ヤギョンの報告によれば、幕華館を出た伝令は、江華ではなく舟で広津へ向かっていた。広津の先には清軍が駐屯する大連があった。
そうしたなかで、1つ腑に落ちない点も残る。清の兵士が捕盗庁へ武力行使したとの通報を聞いて、サンと会談中だった大使が、一瞬、驚いたように顔色を変えたことである…

ソンヨンは思い切って恵慶宮の部屋を訪ねてみた。緊急の用だと伝えたら、何度目かにようやく部屋へ通された。
「恐れながら、私をしばし宮殿の外に出してください。誤解されませんよう。私的な用ではありません。清の使節団との摩擦で宮中に不安が渦巻いています。私がその解決策を講じたく存じます」
ソンヨンが気に食わず、いつも目さえ合わそうとしない恵慶宮は、今度はすっかり呆れ果てた。図々しさに怒りさえ込み上げてくる。もちろん外出許可を与える気など全くなかったのだが、例の清の武力行使の一報が飛び込み、最終的にはやむにやまれず、ソンヨンを頼みの綱とするしかないほどに追い込まれた。
「本当にできるのか!? 何とかして王様の力になるのだ」
「断言はできませんが、解決に向け最善を尽くします」
ソンヨンは恵慶宮に約束した。

ソンヨンはチョビやお供を連れ、幕華館の2階建ての見張り門へ到着した。
予想通り警戒は厳しかった。危うく門前払いになりかけたのを、大使がちょうど声を聞き付けたらしく、外まで出迎えに来てくれた。
「私がお招きした。久々にお会いして話をしたいだけだ。宣嬪様、中にどうぞ」
大使にそう言われては、役人らも追い返すわけにいかない。ソンヨンは無事、部屋に入ることができた。
調度品は木彫りのものが多いようだ。廊下に面した丸扉や、厚い屏風は、網目や唐草模様のくり抜かれたデザインになっている。障子の格子も迷路の模様のように凝った造りだ。
二段重ねの丸天板に、木彫りの縁飾りが垂れたテーブルへ2人はついた。
給仕のほっそりした男は、丸いランチョンマットに白地の器を2つ用意して、お茶を注ぎ入れると、急須を大理石の脚つきの盆に残し、チェストの前までさがった。そうして長い三つ編みの背をこちらへ向けたまま、じっと控えた。
「実は閣下にお聞きしたいことがございます。閣下は非礼を犯す方ではありません。今回の事態にはきっと理由がおありなのだと思います。なぜ摩擦が生じたのか教えて頂けますか」
とソンヨンは率直に聞いた。ところが大使は、
「アハハハ。今日はつもる話をするだけにしましょう。他の目的があるなら日を改めてください。わざわざご足労をおかけしました」
とゆったりした肘掛椅子にくつろぎ、笑顔を浮かべた。その合間にちらちらと給仕の三つ編みの背中へ目をやった。2人の会話に給仕が先ほどから、聞き耳をたてていることに気づいていたからであった。

それきり大使は、もう見送りに庭へも出てこなかった。ソンヨンが門の前でコシへ乗り込もうとしていたとき、絵の師匠が慌てて姿を現し、
「大使から預かった絵です。後宮入りを祝う贈り物だとか。祝詩も書かれたそうで…」
とソンヨンに巻物を手渡した。

ソンヨンは宮中に戻ると、さっそくその祝辞入りの巻物を持って、サンの執務室を訪ねた。テーブルの中央に広げてみせたのは、横書きの山水画であった。
深い木々の塔の山が2つ。その背後にそびえる山々はモヤに隠れ、頂上が微かに黒い。
「王様、添えられた詩句をご覧ください…」とソンヨンは言った。
「風凋扇樹林 孤意-繋園。冷たい風に森が揺れ、孤立した私の意は伝わらないという意だ。杜甫の秋輿だな」
「祝いの言葉にしては、そぐわぬ内容です。大使様は自らの思いを伝えられずにいるのかもしれません。王様、どうか大使様のお心を探ってください」

サンに呼ばれて三たび宮殿に参上した大使は、まずはこんな挨拶からはじめた。
「宣嬪様に絵のことをお聞きになられたようですな」
その心中は、清のもくろみとは異なるものであった。大使は事を大きくするのを望んではいなかったのである。心意を知ったとの会談は、前回と違いスムーズに運んだ。
会談後、サンは御前会議にて、とある発表をしたが、その内容は以下の通り。

解決の鍵は人参売買の自由化である。自由に取引ができれば物量が増え、値段も下がる。清には年に数万両の利益となり、朝鮮にとっても3つの利点がある。
人参を作る農民と売買する商人の収入が増えること。国に税収入が入ること。朝鮮侵略を避けられることだ。
もし清がこの提案を受け入れれば、捕盗庁にいる清の商人はこちら側で罪を裁く。その処分については清と相談のうえ決める。

サンはこの法案を、戸曹に試行させた。
品物は内資寺と済用監から確保し、不足分は各地方の役所から徴収でまかなった。
港には人参をのせた帆舟がすぐに到着しはじめた。
見張りやぐらのある桟橋に横付けされた舟から、次々に木箱が降ろされていく。
役人らがふたを開けると、箱の隅々まで長い根を同じ方向にして埋もれた人参があらわれた。検査のあとは2人がかりで桟橋の隅へ重ねられた。
水原と広州からは150斤、楊州から50斤を用意した。
まもなくこの提案の受け入れを、大使が宮殿へ伝えにやって来た。
「この度は王様に深い感銘を受けました。内部の災いから目をそらそうとした我々を恥ずかしく思う限りです」
事件はようやく円満に解決した。

ソンヨンの懐妊の正式な診断が出た夜、サンは座布団に腰を落ち着けたまま、この世で一番の喜びを噛みしめ、ソンヨンとゆったりした時間を過ごした。
翌日にも早々にサンが自分を訪ねて来たのが、恵慶宮には気に食わなかった。
「懐妊を理由に宣嬪を側室として認めろと私を説得しに来たのですか?」
「そんなつもりはありません。しかし宣嬪が宮殿に来てもう1年です。あの者の人となりもお分かりになったでしょう?」
そんな風に言われなくても、今回のソンヨンのお手柄は恵慶宮にも身にしみていた。
ソンヨンはなぜとつぜん部屋に呼ばれたのかわからずに顔を出した。そうしてスカートをうずめ、かしこまってサンの隣へ座った。
恵慶宮は急に氷が解けたような優しい笑みを漏らし、
「実は話があって私が呼んだのですよ。正三品、昭容の位階を与え、宣嬪を王族として認めますから、王様もそのおつもりで」
と2人に告げたのである。

兵士の1人が板看板にハケをかけて、ビラを貼りつけている。
いったい何事かと、早くも民衆の人だかりができた。

甲辰年 武科試
試目 長槍 旗槍…手刀…棍棒…
日時 甲辰年5月 巳の刻
科場 漢山停
募人 二千名

甲辰年2月
兵曹参判 金成基

これほど大規模な武官の募集は珍しい。今回の清の事件の教訓を受けてのことだ。
陰ではこんな噂をする者もいた。王権の基盤を固める狙いがあるのだ。だから王様は親衛部隊をかねてから強化してきたと。
ともかくグギョンが最後に取り組んだ軍衛の改編は、こうして始まったのだ。

ヤギョンを連れて宮中の庭を歩いていたサンは、柳の枝が大きく垂れこめた池の前に立ち止まった。
「そなたに宿題を課そう。あの舟に乗れ。あそこで数千人が一度に漢江を渡る方法を考えるのだ」
「数千人を1度に? なぜ数千人が川を渡るのです?!」
見るとオールを左右に下ろした小舟が、池に寂しげに浮かんでいる。
池の中央には積み石を土台にした人工の芝生島が見えた。
柱と板が赤茶色のあずま屋も建っている。そり上がった屋根が水面に映り、うろこのように揺れた。
誰にも邪魔されないあのあずま屋で、考えろと言うのか…
ヤギョンは渋々ながら、黄色い水仙の咲き乱れる水辺から舟を漕いで、一人、人工の島へと渡っていった。

2010/12/19

韓国ドラマイ・サンとは

時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...