グギョンは心に決めた。
計画を中止にしよう…
何てバカなことを考えたのだ。中殿様を殺せば、誰より哀しむのは王様なのだ。
大慌てで瓦の埋め込まれた白壁の道を、奥へ奥へとひた走った。
縁側に格子ドアの並んだ屋敷の前庭にいたパク・タロをつかまえ、炊事場にいるチェ尚宮に、計画を中止にするよう伝えて欲しいと言った。
ホン・グギョンの必死の形相から、ただ事でないのを感じて、パク・タロはともかく、わけもわからず走り出したのだ。
山のふもとの建物沿いに、枝が屋根にかぶさり、空は緑で覆われている。
パク・タロは、若い女官2人とすれ違ったあと、小石の多いゆるやかな坂道を大わらわで下り、切り石が3段積み重なった壁の道へ入った。もたつく自分の足が、何とももどかしい。
大木そばの草やぶから、銃口がのぞいた。普段着になった宿衛官3名のものだ。銃口は宴の壇上席を狙っている。
突然、赤い衣をひるがえしてグギョンが3人の間に飛び込んできた。グギョンは彼らと同じように、やぶの中に身を潜めると、緊張してささやいた。
「撃ったのか?!」
「いいえ」
「よかった…。計画は中止だ」
グギョンが心底ホッと胸をなでおろしのも束の間、カン宿衛官が怯えた表情で言った。
「…ですが、中殿様は宴に出ていません。代わりに王様がおいでなのです」
招待された貧しい老人らは、砂利に敷かれたゴザへゆっくりと腰をおろした。
広場の脇にセットされた重臣らのテーブル席に、女官らが豆腐、どら焼き、桜やヨモギの餅団子、手羽先などの料理を並べ、ツバキの花の一輪ざしの瓶を、等間隔に置いた。そのどれもが白磁の器だった。
いよいよ宴がはじまると、広場の瓦門の内側に控えていた図画署員らが、長テーブルの上で記録画を描きはじめた。
5名の女官が6×2列のゴザ席と、広場中央の赤カーペットの隙間にできた道をたどり、一人用の膳を老人らの前に運んだ。
その女官らと入れ違いに、背筋をぴんと伸ばした5人の舞女が、はつらつとした笑顔を浮かべながら、赤じゅうたんへ一列に並んだ。
彼女らは、手のひらほどのミニ太鼓をお腹に構えて、ひじと脇を三角に張り、すらりと斜めに立つと、壇上席の王様に向かって一礼し、次の瞬間、舞い踊った。
トン、トカトンッ、トン、トカトンッ。大つづみを抱えた女の周りを、4人の女が太鼓をたたいて跳ね回る。つぼみのように輪の中心に集まったかと思うと、次には花が咲くように外へ散らばり、最後には中心の女を交えてくるくると回った。
老人らはカーペットの三方向から、万華鏡のような舞女の動きを楽しんだが、その背後には、警備兵が槍や銃を手に、じっと立っているのだった。
やがて大屋根の軒下に設けた壇上席に、白い布をかけた盆が運ばれてきた。
大殿の尚宮が盆の布を取り払い、金の急須やゴマや米の棒菓子などが揃った賑やかなテーブルの上に、新しい料理をのせた。
「王様。このソバは、この村の特産物だそうです。どうぞお食べ下さい」
ナム尚膳の説明を受け、サンはまずお茶を一杯飲んで口をしめらせてから、銀のさじを手にとった。ソバを軽くほぐすと、飾りの肉と薄焼き卵の千切り、ネギがぽろりと汁の中へ転がっていった。
ソバに浸った薄茶色のスープがきれいに澄んでいる。いかにもおいしそうなそのスープを、サンは嬉しそうにすくい、口に寄せた。
「しばしお待ちをっ!」
突然の声に、サンの手はとまった。
炊事場担当の尚宮が、お盆を手に戻って来たのである。
「つけ汁を忘れておりました。大変な失礼を…」
大殿の尚宮が盆のかけ布を取り外すと、白菜が浮かんだ水汁と土色の汁の入った2種の器があらわれた。
「毒見は?」
「致しました…」
炊事担当の尚宮は、ナム尚膳にそっと答えた。
つけ汁はソバの横に置かれた。サンは特に機嫌を損ねた様子もなく、再びスプーンを手にした。
とにかく炊事場担当の尚宮にしてみれば、こんな粗相は前代未聞であった。炊事場へ戻るなり、さっそく毒見係の女と若い女官らを叱りつけたが、毒見係の女には、どうも言い分があるようだった。
「私たちに尋ねられても困ります。そばの毒見を行ったのは私ではないのです。大殿の尚宮様に任せるようにと、署名入りの書状を見せられましたので」
「何だと!? 私はそんな命令を下した覚えはないぞ!」
驚いた尚宮は、餅が伸びたように口をあけ、息をのんだ。
宴の壇上席へ慌てて駆けつけた役人は、ナムの耳元へ手をあてた。正体不明の尚宮が炊事場にあらわれ、偽造の書状で女官に命令を下し、そのまま失踪したと、ささやいたのであった。
「王様! 箸を置いてください!」
ナムが王様に向かって叫んだとき、サンはまさにソバをひと口、すすったところだった。
グギョンが宴席へ駆けつけたときには、すでに宴の広場はごったがえしていた。不安の顔色を浮かべる村民の間に、槍を持った兵士が混じり、物々しい雰囲気だった。
背後からささやく声がするので振り返ってみると、人混みにまぎれたチェ尚宮が、悲壮な表情を浮かべて、グギョンに近寄ってきた。
「なぜまだここにいる?!」
「禁軍たちが門を封鎖していて外に出られないのです。計画は仰せの通り中止しました」
「あの薬は?」
「ここに」
グギョンは尚宮の取り出した包紙を素早く受け取ると、自分の懐へしまいこんだ。
「どうすればいいですか? 私は食事担当の尚宮に顔を見られています」
「ひとまず身を隠せ。私が逃げ道を作っておく」
カン宿衛官の案内で、チェ尚宮が再び姿を消すと、グギョンの目線は広場を流れた。
ゴザ席の膳の器を片付ける女官たち。そのそばでは村民らが、先ほどまで舞女が華麗な太鼓の舞いを見せたあの赤いじゅうたんを踏みつけて、立ち話をしている。
一点に向かって頭を垂れる医女や役人、尚宮、内官。石段の両端に赤いハットをかぶった警護兵。最後にグギョンの目の先に、玉座のサンの姿がとまった。
御医の背後で盆を抱えた医女2名と、ジェゴン、ナム尚膳、尚宮、パク・チェガらが、神妙な面持ちで王様の診断結果を待っていた。
玉座のそばにひざまずいた御医は、王様の手首に指数本をあて、慎重に脈をとった。
とりあえず、王様はご無事のようだ。いつもと変わらぬその姿に、グギョンは涙目でホッと肩の荷をおろした。
あと一歩で、とんでもない間違いをしでかすところだった…!
中殿まで殺害しようとした自分の愚かさを、改めてつくづく悔やんだ。
薬の包紙を手に固く握りしめ、グギョンは思わず、声をあげて泣いたのである。
王様の毒殺をはかった尚宮を捕えるため、すぐに禁軍別将とジェゴンが捜査の責任者に任命された。
会場内は封鎖され、禁軍と宿衛官らは一斉に敷地内へ散らばっていった。
尚宮は全員、中庭に集められ、炊事場の女が、その顔を1人ずつ確かめて歩いた。
宴に参加した民は、持ち物検査が終わるまで足止めを食らい、兵士らが木箱のワラを引っかきまわすのを眺めているより仕方がなかった。
背後でそれらの風景を見守りながら、サンはテスに漏らした。
「そなたは標的が私だったと思うか?」
「…と申しますと?」
「あの宴には本来なら中殿が出ているはずだった。私は予告もなく出席したのだ。妙ではないか…? 私が口にした食事は中殿のものだった。ところでホン・グギョンはどこにいる? 今日は一度も見ていないが」
その頃、チェ尚宮と逃走中のカン宿衛官は、門へ先回りしていたテスに行く手を阻まれていた。テスがカン宿衛官と格闘している隙に、チェ尚宮は風呂敷袋を1つ手にぶらさげ、慌てて逃げ出した。
土塀にくりぬかれた木戸門をくぐり抜けると、木戸が並んだ白壁の建物の裏道を、行きあたりばったり迷路のように駆けずり回ったが、とうとう転んで悲鳴をあげてしまった。
禁軍兵がその声に気づき、槍を持って一斉にチェ尚宮を追いかけてきた。
逃げまどううち、裏道も奥まで行きついたチェ尚宮は、そのとき胸に隠し持っていた予備の毒を、とっさに飲み干した。
旅から宮殿に戻ったサンは、ソンヨンの部屋で過ごした。
明日にはグギョンの判決が出るという晩だった。
座枕にひじをつき、考えにふけるサンの握りこぶしを、ソンヨンはそっと手のひらで優しく包みこんだ。
しかしサンの心は癒されず、心は悲しみで激しく打ち震えた。
グギョンをいまだに信じてやりたいと思う。
どんな些細な言い訳でもいい。罪を許し、生かしてやりたい。ところが自分は王であるがゆえに、そうしてはならない。グギョンは中殿の毒殺をすべて認めた。
ホン・グギョンは自分の右腕であり、夢に抱いた志を一緒に実現しようとした同士であり、友であった。
その友に、死刑を命じなければならない気持ちが、一体、彼にわかるだろうか?
何のためにあの男は私に仕えたのか。
何のために、その昔、東宮殿に私を訪ねて来たのだろうか…
2010/11/21
韓国ドラマイ・サンのあらすじサイト。1話~77話(最終回)までと各話ごと揃っています。ネタばれ率100%!小説風に書いているので、ドラマと二度楽しめます。
2017年6月8日木曜日
韓国ドラマイ・サンとは
時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...
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政治シーン 宮中の催事などを絵に記録する図画署が舞台ということで評判になった「イ・サン」ですが、チャングムみたいに物語の中心になっている感じはありません。 むしろ朝廷の闘争争いの方が印象に残りました。王様が主人公だけあって、トンイや馬医に比べて政治シーンが多いドラマです...
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