2017年6月7日水曜日

イ・サン71話「命がけの出産」

恵慶宮は御医が持ってきた紙に目を通し、軽く折りたたんだ。護産庁に配属される医官と内官の名簿の内容だ。
「臨月が間近なので注意が必要です。王室の将来がかかっています。無事に王子が生まれるよう全力を尽くすのだ」
「かしこまりました」
御医は頭を垂れ、すごすごと部屋をさがった。
ここまで万全の準備を整えても、恵慶宮の心はまだ休まらなかった。世継ぎの誕生がもう間近に迫ってきている。
尚宮より、助産婦到着の知らせが入る。妊婦と一緒に話を聞くべきだと思って、御殿の前まで迎えに行ってみると、ちょうど散歩中だったらしく、2段の石段を、ゆっくりのぼってくる。
「お義母様…」
「どこへ出かけたのです。心配しましたよ」
恵慶宮は和嬪に言った。尚宮が和嬪の背中に手をあてた。そうでもしないとお腹の重みで、和嬪が後ろにひっくり返ってしまいそうであった。

白芍薬が入荷するのにあと数日かかるというのを聞いて、チョビは呆れ果てた。貴重とは言え、宣嬪の常用薬なのに。それがなぜ不足しなければならないのか。
答えはわかっている。和嬪に優先的に使われているのだ。
和嬪には護産庁まで設置される有り様だ。恵慶宮の関心が和嬪へ移ったことで、周りの反応も、あっという間に和嬪の方へ向いてしまった。
こうなったら何としても宣嬪様に王子を産んで貰って、皆をぎゃふんと言わせたい。これが今のチョビの本音だった。

「そなたは胎児の性別が分かるのだろう?」
恵慶宮のすがるような思いが助産婦に伝わったのだろう。豊かな丸い顔をした年配の助産婦が小さな三日月眉を曲げ、おちょぼ口で微笑んだ。
「私の見立てでは王子様に間違いありません」
「それは本当か?」
「はい。恵慶宮様。妊娠線が伸び、お腹が下に垂れています。さらにへそが固く、つわりのあと肉類を欲するのは男子誕生の兆候ですので」
助産婦はゆったり自信たっぷりに恵慶宮を力づけた。
「間違いないか?」
和嬪も思わず確認した。
「はい。間違いございません」
恵慶宮は肩を大きくなでおろした。どうやら王子であることに間違いはないらしい。御医も助産婦と同じ意見だったのだ。これでようやく安心ができる。恵慶宮の心は輝いた。

父がそうしてくれたように、自分も我が子のためにと思って、サンは早くも武具など、いくつか準備を整えた。
「これは…?」
ソンヨンは千字文の表紙を嬉しそうに眺めた。
「我が子に漢字を教えたくて毎日、書きためたものだ」
「王様を失望させはしないか心配です。皆は私の姿を見て、王女が生まれると言います」
「そなたに似た娘が生まれたら、どんなにうれしいことか」
サンも子供の誕生が楽しみでならなかった。

ところが予定日を10日過ぎても、ソンヨンの陣痛はまだ始まらなかった。
すっかり和嬪に気を取られていた恵慶宮も、さすがに気をもんだ。御医によると、すでに破水し、長引くと母子ともに危険らしい。
佛手散の薬を処方して3日目、先に和嬪の陣痛がやってきた。
その直後、ソンヨンの部屋から金の洗面器と盆を抱えた医女が2人出てきて、いよいよ宣嬪の陣痛がはじまったことをチョビに伝えた。

2人の嫁の陣痛が重なり、恵慶宮は迷った。
ソンヨンは恐らく難産になるだろうと思い、中殿に任せた。そうして自分はやっぱり和嬪の様子を見にいった。
和嬪の御殿へ何度目かに足を運んだとき、恵慶宮の耳に和嬪の張り裂けるような悲鳴が聴こえた。御医も御殿の外から明かりの漏れる障子に耳を近づけて、心配そうに中の様子をうかがった。和嬪には医女2人が立ちあっているはずであった。
そのうち和嬪の悲鳴が、赤ん坊の泣き声に代わった。尚宮は胸をなでおろした。
障子ドアが開いた。恵慶宮は駆けて行きたいのを我慢して、医女が石段を下りて来るのを待った。助産婦もきっと医女から王子誕生の知らせが聞けるものと思い、心構えをした。

「宣嬪様、ご立派でした! お生まれになりました!」
医女は横たわるソンヨンをのぞき込んで、半泣きになった。
ちょうど同じ時刻、ソンヨンも赤ん坊を産み落としたのである。
ソンヨンは肩で大きく呼吸を整えながら、疲れ果てた声で聞いた。
「御子はご無事か。どうか教えてくれ。王子なのか、王女なのか…」
「お祝い申し上げます! 和嬪様が王女様を出産されました」
と医女は恵慶宮に告げた。男子を産むと予言した助産婦はその瞬間、恵慶宮の横で目をじろりとした。
「見えますか? 王子様でございます」
医女はソンヨンの枕元に、白布で竹の子の皮のように包んだ赤子を寝かせた。ソンヨンはゆっくりと頷いてみせた。
まもなくソンヨンのもとへ中殿が見舞いにやって来て、入れ替わりに恵慶宮も姿を見せた。
赤ん坊を大事に腕の中へ抱え、恵慶宮はしみじみ涙を流したのである。
「私が生涯待ち続けた王子です。ご苦労だった。王様とこの国のために大事を成し遂げたのですよ」
一方、和嬪の方は火が消えたように静かだった。サンがねぎらいに来てくれたことだけが、唯一の救いになった。
和嬪に対する配慮からか、その夜はサンがソンヨンの部屋へ足を運ぶことはなかった。しかしその翌日、ソンヨンに会いに行ってこう誓ったのであった。
「忘れるなソンヨン。私はこの子を王世子に据える。そしていつか私のあとを継ぐ王となるのだ」

守衛儀式とは王様や重臣の前で模擬試合を披露する場である。
壮勇衛軍司令の旗をかかげるのは、壮勇衛の中軍パク・テスら代表3名。うろこ貼りのよろいと真っ赤な襟巻で広場の赤じゅうたんへ登場した瞬間、大砲が次々に火を噴いた。
ここでは旗、長槍、長カマ、二刀流の個人試合、団体での銃のデモンストレーションが繰り広げられる。
ところが重臣らの思いは複雑だった。壮勇衛とは王様の親衛隊なのである…。これらを強化するということは、つまりは老論派が握る五軍営を、いずれしのぐ部隊になるかも知れないということである。王様は五軍衛を消滅させる気なのではないだろうか。

気がかりは他にもあった。試験に合格して晴れて検書官となったヤギョンは、河川を補修する官庁に、すでに2カ月こもりきりだという。
一体何をしているのか。王様は周囲に何も言わなかった。
ヤギョンはただ机にへばりついて、紙の舟ばかり作っているらしい。
重臣らに限らず、ナム尚膳にいたっても、わかっているのは、王様が何かを計画中であるということだけだった。

ヤギョンは硬い紙でパーツを組んで、ソリ型の模型舟を作った。長さが5寸、幅が一寸半。手のひらで持てるほどのサイズだ。
その舟に楊枝のつっかえ棒を5本くらい並べ、少しずつ大きさを変えた舟を、いくつも作った。
王様を呼びに行ったのは丑の刻。そんな夜中に寝床から起きていく王様も王様であった。
壁には書画が飾られている。もともとは執務室だったのかもしれないが、今では格子の骨組だけとか、板や掲示台、棒などが持ちこまれて、ガラクタ置き場にしか見えなかった。そしてヤギョンの机には紙の舟がこぼれ落ちそうなほどあった。
奥の棚の片手壺から、湯気があがっている。ロウソクは芯が短くなって、なお眩しい。
最も部屋を占拠している物は、何か頑丈な木のベッドのようにも見える。しかし大きな布がかかっていて中は謎だ。
「自分で言うのも何ですが、これほど早く安全に大勢が川を渡る方法は他にないでしょう」
ヤギョンがひらりとその布を取り去ると、そこにプールのようなものが現れた。大小の紙舟が縦に一列ずらりと水に浮かんでいる。
「まさか舟を使うつもりか。これでは既存の方法と何も違わないじゃないか」
サンは待ちに待った後なだけに、少しがっかりした様子だ。
「おっと。申し訳ございません。これを置くのを忘れておりました」
ヤギョンは壁に立てかけた長い板を2つばかり取って、舟全体にのせて道を作った。
「これが私の発見です。船に乗るのではなく、船で橋を作るのです。船を連結し固定して丈夫な板を置けば、数千人が容易に川を渡れます。漢江で最も幅が狭く流れが緩いのは鷺梁津です。そこに幅30尺の船36隻を並べ、組み合わせた木板1800枚で覆います。すると浮力が働いて、重さが偏らない限り決して沈まないのです」
サンはヤギョンの言ったことを確かめようと、その辺のテーブルから書物を数冊、引っつかんで船の上へ放りのせた。
なるほど…。船は板ごと波に揺られるものの沈みはしない。サンは調子にのって、さらにペアになった金の燭台を書物の上へのせた。
舟はバランスを保ち、これでも沈まない。サンは思わずおかしそうに笑った。

翌、卯の刻。夜明け共にサンは孔雀の羽飾りのついた帽子をかぶり、墓参りへ出かけた。テスら親衛隊、内官、尚宮らごく少人数での参拝だった。
芝生の上の敷物にひざまずいたサンは、三本脚の金カップを反時計に3度ゆったり回して、赤いナツメ、黒豆、小豆などの盛られた石造の祭壇に置いた。
花模様を彫り込んだ丸い石台の上に、短く刈られた草の山がこんもり築かれている。これがサド王世子の墓だった。

長祐園から戻ってきたサンが、重臣らを便殿に集めて発表した内容は、以下の通りである。
「永祐園を他の場所に移す。前に拜峰山の地形がよくないとの上奏があり、綿密な調査の結果、移転すべきだと判断した。新しい墓所は水原府の花山だ。工事には船の橋を利用し、その陸名を顕隆園と改める。これは決して突然の決定ではない。即位した瞬間から心に秘めていたことだ」
発表後、重臣らは、いつものように内輪で会議を開いた。
「なぜ今になってこのようなことを…?」
「機が熟したと考えたからであろう」
チャン・テウは、もはや逆に冷静だった。
「どういうことですか?」
「サド王世子の死に関して王は誰も処罰していない。内心、耐え忍んでいたのだよ。親衛隊を養成し、自らを支える重臣を登用しながら準備を整えていた」
「つまり王様は墓を移すのを手始めに、復讐するつもりだと…?!」

2010/12/26

韓国ドラマイ・サンとは

時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...