緑の透けるもみじの下に、内官の雷太鼓がてんてんと鳴り響く。幼い王子が前へ前へと伸ばす指もまたもみじのように小さかった。
女官らが手拍子を打つ。目隠し姿の王子をおびき寄せては後ずさりをし、王子もまた手のなる方へ右往左往する。振り返った拍子にずきんの割れた先が背中でひるがえった。黒字に金の紋様文字、それに龍の刺繍入りの帽子である。
ソンヨンは幼い王子の姿を、御殿の軒下で微笑ましく見つめた。
なぜか途中で雷太鼓が鳴りやんで、王子はたった1つ残った手拍子の方へ誘われた。そうして誰かにタッチできたと思って両手でしがみついた。
ところがいざ目隠しを外してみると、なんと捕まえたのは父のひざであった。
「あっ。父上! 父上をつかまえました」
王子はびっくりしたような嬉しいような顔になった。サンはいたずらっぽい目つきで、王子の目線までしゃがみ、お尻に手をあてて抱きかかえてやった。サンの腕の中で丸くなった王子は大きな父の肩にもみじの手をもたれて微笑み返した。
王子の成長は早い。
「千字文と同時に孝経もお読みですが、すべて覚えておいでです」
とチェゴンも目を細めて喜ぶ。しかし成長するにつれて、幼いながらいろいろとわかってくることもあるようだった。
王子が母親のする絵の授業にも行かずに一人で縁側に腰かけているのを見て、サンはどうしたのかと尋ねた。すると王子は、
「父上、卑しいとはどういう意味ですか。絵を描くのは卑しいことですか?」
と聞き返した。
「ヒャン。誰がそんなことを言ったのだ?」
と言いながら実はサンにも、だいたいの見当はついていた。恐らく女官らの噂話が耳に入ったのだろう。特に王世子冊立の話があがってからは、母親の身分が低いのを理由に、反発の声がうるさくなった。そういう雰囲気を察して、王子もだんだんと疑問に思い始めたようだ。
そうして今、王子はアゴに手をついて、ぼんやりと考え込んでいるのだ。
「いいか。卑しさや貴さが何かを教えてやろう。ある女官が誤って王子の顔に傷をつけた時、王子はどうした?」
「その女官が叱られないように、なぜケガをしたか誰にも言いませんでした」
「そうだったな。そのような心を持つ人は貴い。だが卑しい者は違う。弱い者を見下す心ない人間だ。王子が誰より貴いのは私の息子だからではない。お前が母上の優しい心を譲り受けたからだ。父の言うことがわかるか」
「はい。父上!」
王子は急に迷いが晴れたように、口を大きくあけて元気のよい返事をした。
中門の石道を歩いていたとき、和嬪の一行がやって来た。
和嬪はソンヨンの前で立ち止まって挨拶をした。
「久しぶりだな。変わりはないか」
溜息がうつりそうなほど、元気のない声であった。立ち話をする気もないようで、すぐに会話は途切れた。ソンヨンが敷石の外までさがって道を開けると、和嬪はおつきの者とそのまま通り過ぎていった。
和嬪の後姿をじろりと盗み見ながらチョビがささやいた。
「姫様を病で亡くされて以来、あの様子です…」
「仕方があるまい」
「次の懐妊に賭けるようです。でもこればかりは1人ではどうしようもありませんよ」
ソンヨンに睨まれてチョビは渋々口をつぐんだ。しかし反省などしていない。自分は事実を口にしただけなのだ。
王世子冊立の反対を率先して重臣に呼びかけたのは、和嬪の父であった。王子がまだ幼すぎること、王子の母の身分が卑しいというのが表向きの理由で、その陰では水原に墓を移した件や、新しい親衛隊を組織した件など、最近の王様の動きに不安を募らせていたのである。
王様が王権を固めようとしているのは明らかだ。しかも他にまだ何か計画があるように思える。その証拠に王様は作業中の検書官に会いに、たびたび水原まで足を運んだ。
「こうなると思っていましたよ。宣嬪が王子を産んだ時から騒ぎが絶えないだろうと予測していました。中殿の言う通り目に入れても痛くない王子です。ですが重臣たちは簡単には認めないでしょう」
恵慶宮の心労は、孫のことが可愛くなればなるほど、いっそう深くなった。そんな恵慶宮のもとへ尚宮が4つ折りにした半紙を差し出した。具合の悪い恵慶宮を心配して、たった今、王子が練習用の文字を届けに来たという。
紙を開いた恵慶宮は、その瞬間、緊張がふっと解きほぐれて目頭が熱くなった。
天地玄黄と書かれた文字は「千字文」の中の一句である。
線は細いが、温かみと大胆さがある。入りはやわらかく終わりはぶつりと途切れ、堂々と伸びそれでいて品よく紙におさまり、線と線の間隔は美しい平行に保たれ余白がきれいであった。
王子が好きな松花の菓子でも用意してやろうと思い、恵慶宮が慌てて縁側へ追いかけて出たとき、ちょうど内官が王子の背に合わせ、帰り道を案内しているところだった。
「待たれよ王子」
恵慶宮に呼ばれた王子は振り返って、ぴょんと跳ねるようにすぐ舞い戻ってきた。
その王子の首元の赤と緑と白の3色でよられたヒモに気付き、恵慶宮が
「何か首にかけているようだが…?」と尋ねた。
「これは、母上がくださったものです」
と王子はあどけなく答え、首に手を入れヒモを引き出して見せた。
ヒモの先にはなんと指輪が通してあった。
「そなたの母がこの指輪をくれたのか?」
「はい。おばあさま。先代の王様が残されたものなので大切にするよう言われました」
「今、何と申したのだ? 先代の王の遺品だと?」
「そうです」
「もっとよく祖母に見せてくれないか」
「もちろんです」
王子は首の後ろへ手を回して結び目をほどくと、水をすくうように大事そうに差し出した。
その後、恵慶宮の希望を受け、サンは新しい命令を下した。
以下の文は便殿へ集められた重臣を前に、都承旨によって読みあげられた。
「甲辰年5月5日をもって、王世子冊立のため、冊礼都監の設置を命ずる。王子の生母である宣嬪ソン氏は正一品の位階に格上げされる!」
案の定、ソクチュをはじめとする重臣たちからは猛反発の声があがった。
「恐れながら王様。王子様の生母は身分が低いため、尊敬を受けられずにいます。これは道理に反したことです!」
ところがソクチュは王様に突然、起立するよう言われたのである。
王様の指示を受けた都承旨が、背後に控える内官から虹色に光る黒塗りの宝石箱を受け取った。虹色の正体は、蝶と吹雪に舞う草花の貝殻細工だ。
ソクチュは一体何事かと思いながらその箱の蝶の留め金を外し、ふたを開けた。
薄い幾何学模様の絹布の上に置かれたものは乳白色の指輪だ。赤い糸で2つの指輪を結びつけてあった。
「王様、これは先代の王様が肌身はなさず身につけていた淑嬪様の指輪ではないでしょうか。王族の方なら誰もが知っている品です」
とソクチュは驚いた顔をした。
「そうだ。先代の王が崩御されてから指輪はなくなったと思われていたが、そうではなかった。先代の王は生前これを宣嬪に下賜していたのだ」
このあとサンの息子は無事に儀式を終えた。正式に王世子と認められたのである。
指輪はサンの古くからの友達、いやそれ以上の存在と知って、先王が絵を描いたお礼がてらソンヨンに託した形見の品だ。
その先王の遺志とあっては重臣らも宣嬪の身分を口実に、これ以上反発するわけにはいかなかった。
広々とした丘に生い茂る樹木。その背後に霞みがかる山。ねずみ色の雲に、遠くの山々が陰のように薄白い。
ヤギョンは地形図を広げた。そうして検書官の部下に、「近くに貯水池はあるか?」と確認した。
「川があるので干ばつの心配はないかと思います」
地形図を丸めて部下に返し、また別の地図を受け取る。
地図には山々が歯車のように波うつ。その間を線書きの道があちこちへ抜けている。
八達山の南側の柳川。3方角に開けた平地に右は全州、左は安東に通じる道が交差する最
高の土地だ。
地図に目を落としては、また実物の山を遠くに眺め、ヤギョンは位置を照らし合わせた。
事務所に戻ってみると、役人らが丸めた重いゴザを抱えたり、ひじ付きの椅子を背負ったり、低い長テーブルを次々と運び込んだりしているところだった。
顕隆園の参拝のための機関をこの水原府の役所に設置する計画だ。今のところ通常の業務は金凛の寺院を使っているが、早急に新たな役所を建てる準備を進めているところであった。
ヤギョンの事務所は、書類が散乱し大風が吹き抜けたあとのようだ。それでも一応、自分では場所の把握はできているつもりだ。
入口手前のテーブルは水原府の治水に関する資料で、壁側のテーブルは築城に関する計画書と設計図、入口奥の窓際のテーブルは商業に関するものだった。
御殿の完成図や詳細な設計図が出来あがると、ヤギョンは鴨居下の仕切り格子へ貼りつけた。
計画は順調に進んでいる。
途中、パク・チェガら検書官と、水原まで足を運んできたサンを交えて、事務所で打ち合わせをした。
土地はすべて買い上げる予定である。200反といえば漢陽の半分もの大きさだ。
柳川の土地200反の所有者の名簿をサンに手渡し、パク・チェガが聞いた。
「なぜこんな広大な土地が必要なのです?」
ところがサンは、
「足りぬかもしれぬ」
と答えた。
2011/1/5
韓国ドラマイ・サンのあらすじサイト。1話~77話(最終回)までと各話ごと揃っています。ネタばれ率100%!小説風に書いているので、ドラマと二度楽しめます。
2017年6月7日水曜日
韓国ドラマイ・サンとは
時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...
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政治シーン 宮中の催事などを絵に記録する図画署が舞台ということで評判になった「イ・サン」ですが、チャングムみたいに物語の中心になっている感じはありません。 むしろ朝廷の闘争争いの方が印象に残りました。王様が主人公だけあって、トンイや馬医に比べて政治シーンが多いドラマです...
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王子は目の高さで紙を持ち、背筋をまっすぐにした。1枚読んだら卓上机に重ね、また次の1枚を手に取る。 上奏文や巻物、書物の山は小さな王子をうずめてしまいそうだ。 それでもまだ父上の質問に対する答えが見つからなくて、気分はどうもマンネリになってきた。 もう3日も食事をしていない...