白布盗難事件の取調べの様子を見に行った王様は、やけに庭が静かだと思って、辺りを見回した。ところがどうしたことか、罪人達の姿は全くなく、代わりにサンがしょんぼり、突っ立っている。
王様の表情が、みるみる険しくなった。
義禁府に護送中に、罪人達が何者かに襲われて、こつぜんと姿を消した・・・。
こんなおかしな話があるだろうか?
そもそも罪人達を義禁府に護送しろと言った覚えもない。
一人の悲痛な顔をした武官が、王様の前に勢いよくひざまずいた。
「どうか私を死罪にして下さい!」
その男の話によれば、罪人を義禁府に護送しろとの通達が確かにあったという。
サンはすごすごと、武官が証拠として持ってきたその通達を手渡した。
王様は赤い巻物の両端を持って、その文書をしっかりと広げた。筆跡はサンのものだ。
文書の最後の日付の上に、細かい迷路みたいな文字の印もちゃんと押してある。その大きな四角い印の模様は、サンの玉印と同じものだった。
こみ上げる怒りが、王様の手から紙に伝わり、かすかに震えた。
サンには、何が何だかさっぱりわけがわからなかった。通達なんか出した覚えはまるでないのだ。
自分の寝殿に戻ると、玉手箱の前に直行して、亀の形の金の玉印を表やら裏に何回もひっくり返して眺め回した。
サンのイライラは、そばの侍従や侍女に向けられた。何だかそこらにいる皆まで怪しく思えてくる。サンに怒鳴られた侍従や侍女達は、気の毒に身を小さくして部屋の入り口に固まった。
「出て行け!」
サンはそれでも肩を震わせて叫んだ。
侍従達がゾロゾロと退出すると、部屋は急に静かになった。部屋に一人取り残されて、何だか余計に惨めな気分になる。
怒りに満ちた目は、やがて泣きはらしたように赤く滲みはじめた。
まもなくして、左捕庁から罪人達と軍官の遺体が天蔵山で発見されたという報告が入った。これについては、サンは別に驚きもしなかった。白布事件の口封じのために敵がそうするのは想定内だった。
執務室で上奏文に目を通していたサンは、読み終わると、山盛りになった文書の一番上にそれを重ねた。これらは全てサンを非難する文書だった。
「ソンヨンは私が必ず探します。ですから早く宮殿にお戻り下さい。私たちが宮殿に行くまで無事でいると約束したはずですよ」
あの襲撃の夜、テスにこう諭されて、サンは後ろ髪をひかれるような思いで宮殿に戻ってきた。こうして仕事に縛られながら、テスが何かいい知らせを持って帰るのを、待ち続けることしかできない。
王世孫という名は、一体何のためにあるのか・・・?
何の力になってやることも出来ない自分が、実に歯がゆかった。
サンの妻、嬪宮が寝殿を訪れたとき、サンはまだ諦めきれずに、しげしげと亀の玉印を見つめていた。
「長い間、妻の務めを果たせず心苦しい限りです。実はこれをお渡しするために伺いました・・・」
嬪宮は風呂敷包みをほどいて、八角形の塗り箱をサンの文机にのせた。
「実は図画署の画員に付き添って来ていた者に、手伝って貰って作ったのです」
扇状に並んだ色鮮やかなお菓子を、サンが1個つまんでモグモグ味見するのを嬉しそうに眺めながら、嬪宮は正直に打ち明けた。
「そうか。だから彩りが絵のように美しいのだな・・・」
サンは、心配事を抱えながら、やわらかい笑顔で呟いた。
王様の部屋に、サンの大叔父ホン・イナンが顔を出した。
図画署では、画員達によって、サンの筆跡と偽文書との鑑定が行われているところだった。ホン・イナンは、その結果を知らせにやって来た。
しかし彼の報告は、サンの状況をさらに不利にするものとなった。画員のほとんどが、同一人物の筆跡だと判定を下したのだ。
「ご苦労だった」
模写の達人であれば、まねることは可能だ・・・と言いかけたホン・イナンの言葉を、王様は途中で遮って、話をおしまいにした。もう見切りをつけたのか、事実を重く受け止めようとしているのか、その渋い表情からはわかりかねた。
王様の心中を最初に悟ったのは、ホン・イナンが退出してすぐ、王様の部屋にあがった中殿だった。
中殿は、持参したお茶セットを侍女に床へ置かせると、王様に茶を入れはじめた。湯飲みの中で菊が花開いて、すーっと安らいだ空気が漂った。
中殿は王様に一礼した。
「出すぎたこととは思いますが、宮中によくない噂が出回って心配しております。王世孫は誰よりも誠実な子です。どうか信じてあげて下さい」
王様は、ゆっくりとお茶をすすりながら、ぽつりと吐き捨てた。
「信じていなければ、とうの昔に見捨てておる・・・」
テスが町を這いずり回るようにして探したおかげで、突然ソンヨンが見つかった。ゴロツキに誘拐されたあと、遊郭へ売り飛ばされる寸前のところで、ある屋敷の倉庫から助け出したらしかった。
屋敷の軒下の石道に、魂の抜け殻のようなソンヨンを座らせ、テスと叔父が寄り添った。
ソンヨンが、ぼうっと目を向けた先には、ホッと笑いかけるナム尚洗の姿があった。
「本当に無事でなによりだ。王世孫様もお喜びになる」
「え・・・?」
ソンヨンはノドの奥で小さく呟いた。言葉の意味が、まだ理解できないらしかった。
しかしうつろな目に走った一筋の光は、やがてソンヨンをハッと目覚めさせた。
「ソンヨン。バカだなあ。王世孫様は、お前のことを覚えてるんだよ・・・」
テスの優しい声が耳に入った。
家に戻ったテスは、まだ夜が明けないうちに起きて、庭のかまどに鍋をかけた。中には叔父さんがソンヨンのために手に入れた牛のすね肉がたっぷり入っている。
ところが長く横に伸びた煙と同じ方角に、ソンヨンが図画署の着物をきちんと着て、出掛けていくのをテスは見た。
数日ぶりに顔を出した図画署は、暗くてまだ誰も出勤していなかった。
柱にかけたロウソクの細い灯りのなかで、ソンヨンは黙々と準備をはじめた。
木箱から画員達の使う筆を取り出してテーブルに並べていたソンヨンに、背後から温かく呼びかける者があった。
「ソンヨン・・・」
ソンヨンには、それが誰だかすぐにわかった。月明かりで青く透き通った障子の前に、サンが懐かしそうな顔で立っている。
ソンヨンは涙をぽろぽろとこぼしながら、まるで何かの話の続きみたいに言った。
「王世孫様は、何もかもお忘れになったと思いました・・・」
サンは、ソンヨンの涙をぬぐいながら答えた。
「泣かないでくれ。恋しかった友にこうして会えたのだ。私は一瞬でもあの約束を忘れたことはない」
2008/12/24更新
韓国ドラマイ・サンのあらすじサイト。1話~77話(最終回)までと各話ごと揃っています。ネタばれ率100%!小説風に書いているので、ドラマと二度楽しめます。
2017年6月9日金曜日
韓国ドラマイ・サンとは
時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...
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政治シーン 宮中の催事などを絵に記録する図画署が舞台ということで評判になった「イ・サン」ですが、チャングムみたいに物語の中心になっている感じはありません。 むしろ朝廷の闘争争いの方が印象に残りました。王様が主人公だけあって、トンイや馬医に比べて政治シーンが多いドラマです...
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時代背景 イサンは朝鮮王朝22代王です。 1776年に即位して、1800年に亡くなっています。 日本では江戸時代の後期に当たり、中国は清の時代です。ドラマの中でイサンの父である思悼世子が米びつに閉じ込められる有名な事件が起きますが、これは1762年のことでした。 イサンの祖...
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王子は目の高さで紙を持ち、背筋をまっすぐにした。1枚読んだら卓上机に重ね、また次の1枚を手に取る。 上奏文や巻物、書物の山は小さな王子をうずめてしまいそうだ。 それでもまだ父上の質問に対する答えが見つからなくて、気分はどうもマンネリになってきた。 もう3日も食事をしていない...